20.忙しいエリザベス
「……二十九、三十。はい、よろしい」
「ッ」
エリザベスは右足と両腕を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。ぜえぜえと荒く息をすると叱られるからだ。
教育係のマリアベルが数を数える間両腕を水平に開き片足立ちをする。合図とともに左右を入れ替え三回ずつ。それを休憩をはさみ三セット。
一見簡単そうだが意外ときつい。
エリザベスと比べると鍛えているアリアも初めは辛そうだったし、エリザベスの勉強を見てくれている次姉もひぃひぃ言っていた。
「なんでわたくしも……」
「せっかくですから」
にっこりと、しかし有無を言わせぬ圧力を伴ってマリアベルおばあちゃんが言うと次姉は黙ってしまう。そんな元気がないからだ。
エリザベスたちが何をしているかというと、体の芯となるの筋肉を鍛えている。
マリアベルが言うには、姿勢というものは筋肉によって維持される。しかし、淑女たるもの筋肉でガチガチというのは忌避されてしまう。理想とされるのはふんわか触り心地がよさそうな体なのだという。
かといってゆるゆるの体では美しい姿勢を維持することはできない。
柔らかな肉の内側にしなやかで強靭な筋肉を隠し持つ。
見えない場所に強い芯を持ち、表面上は優雅に気高く。それが淑女の嗜みだ、と。
そのために、妙な姿勢で固定して一定時間維持したり、やたらゆっくり体を動かしたり、曲げ伸ばししたりといった訓練を施されているのである。
見た目地味だがひたすらつらい。
しんどい。
やすみたい。
だが最近は慣れてきたのか、つらさも気にならなくなってきた気がする。
この調子なら……。
「みなさんなかなかにできてきていますから、次から一回当たり三十を六十にしましょうね」
「六ッ!?」
「えええ」
「ついでってなんで」
三十五でも四十でも五十でもなく倍の六十だそうだ。
エリザベスは気持ちが萎えそうになる。
しかし。
「無理なら言ってくれてもいいのですよ。アリアさんだけでも……」
「てやんでぇ、できらぁ!」
「口調が乱れていますよ」
「はい」
マリアベルは早々にエリザベスの性質を見抜いてしまった。
負けず嫌いで他者と比べられると熱くなってしまう。
カッとなると口を滑らせる。
口にしたことは果たそうとする。
淑女としてはあまり褒められない性質だが、マリアベルはこれを容赦なく教育に利用した。
厳しい言葉をかけるでもなく。
ただ煽る。優しい口調で煽る。
エリザベス学第一人者のアリアから見ても見事なものであった。
さらにアリアに、時折エリザベスを見て意味ありげに笑うように指示をしている。
暴発スイッチが完全に見切られていた。
エリザベスと行動を共にすることが多いアリアと、ついでに次姉まで巻き込まれ、地味できつい訓練を毎日繰り返す。
もちろんこれでおわりではない。時間は少なく学ぶべきことは多いのだ。
体の芯を鍛えるのは最低限、礼儀作法から夜の作法、自害の作法に捕虜の作法、優雅さを維持して早足で移動する作法、国内派閥や過去の軋轢などを含む一般――王族視点での――教養が基礎。さらに嗜みとして様々なものにあたる。詩歌、音楽、舞踏、裁縫、料理、絵画、書芸、工芸、装飾品などなど。鑑賞、実践、あるいは両方。もっとも、鑑賞については本物を見なければ目を養えないので王都に行ってからみっちりやるということになっている。
王族たるもの一通り知っておらねばならず、知っているからにはそれなりに習熟しておかなければならない。良し悪しを理解し、そつなくこなしてすました顔をできなければならない。
その点エリザベスは大変不利である。
根っこにある負けず嫌いがそうさせる。
うふふすごいですわねと相手を褒めて収めるところでカッとなって対抗してしまったらどうなるか。
王を、臣下を立てることは大事だし、それ以上に突っかかった挙句しょうもなかったら信用を失うだろう。
何でもかんでも一流にというのは大変難しい。性格を矯正する方が手っ取り早く根本的に解決できる。
だが簡単に性格を直せれば苦労はしない。実際煽られて抑えられていないのだ。難しいのだ。
逆に考えれば誰もが一目置く程度に熟達しているならまあそこそこ認められる。
ちょっと自信過剰かもだけど言うだけのことはあるなと。
そのために必要な水面下の苦労は想像を絶するが。
そして今その水面下の苦労をしているのだ。忙しいしつらいのは当然だった。
マリアベルの煽りを受け流せるならそれはそれでいいのだが。
受け流せないなら実力を身に着けるしかない。
巻き込まれている二人は大変だ。
アリアはエリザベスを煽るのにぴったりの人材であるし、今後もエリザベスについていくのであれば、同程度の作法や教養を身に着けておかなければ主に当たるエリザベスが恥をかく。
ついて行かないなら話は別だが、現段階ではこのままエリザベスとともにあることへ天秤が傾いていた。
そうなると、ハーンまたはエードッコの関係者、もしくは王子の側近あたりに嫁ぎ、夫婦でエリザベスもしくはエリザベスと王子に仕える形になるだろう。
ついて行かない場合は当然王城に入れないし、適当な釣り合いの取れる貴族に嫁ぐかハーンかエードッコの家人となるかである。
ハーン伯爵家は兄弟姉妹が多いこともあり、客観的に見てもエリザベスについていくのが正着だろう。
次姉の方はとばっちりである。
エリザベスに勉強を教えていたらマリアベルの目についてせっかくだからと巻き込まれた。
侯爵令嬢としてなら十分な教育を受けてきた次姉も、マリアベルの前ではエリザベスと同じくらい苦労している。初めの頃は二人して筋肉痛でのたうち回っていた。
エリザベスの全てに付き合っているわけではないが、最もつらい体づくりは外れさせてもらえないので涙目だ。
だが、はじめが同じくらいだったためか、何かの拍子にエリザベスに勝る部分を見せて。
「さすがはお姉さんね」
チラリ。
とマリアベルが比べるような視線をエリザベスに送ると、エリザベスが反応するようになった。
煽りへの弱さが悪化している。
ただそれはエリザベスを奮起させることにつながり、役に立っていたという見方もある。
この次姉も末妹がかわいくないわけではない。王子様と婚約などちょっと嫉妬するところもあるが、話を聞くところ結構な難物のようだし、しかしそれでもそんな王子のために一生懸命なエリザベスを応援したいとも考えている。
なのでエリザベスの教育の役に立つなら当て馬となるのも本望だった。
体の芯をしっかり鍛えれば太りにくくなるという甘言に乗せられたわけではない。だけではないのだ。
さて、次姉の苦労はともかく、マリアベルの指導はエリザベスの負けず嫌い力をもってしても厳しいものだった。
筋肉痛の日は座学をみっちり。
頭を使い過ぎた次の日は身体をしっかり。
両方しんどい日は無心で芸術を。
元気な日は全部。
もちろん学園の教科も勉強する。
マリアベルの指導とかぶる部分、例えば礼儀作法などはマリアベルに任せ、歴史や地理、他国との外交関係、裁判の判例や国内外の貴族の紋章、贈答品や返礼の優雅な歩き方など貴族なら身に着けておくべき基礎的な内容を学ぶ。
知識に関しては従者が知っているなら十分なものもあるが、自身で把握している方が望ましいことは確かで、王族では無知をさらすのは望ましくない。王族業界は舐められたら負けなのだ。
つまり手を抜けない。
難易度としては王妃教育よりも下だが、並行して進められるのだから比較に意味はない。加算なのだから。
繰り返すが三年分を二年で修めるうえに王妃教育まで進めるのだから忙しくならないわけがない。
そんな詰込み生活の中で、さすがのエリザベスも鬱憤が溜まってくる。
てやんでぇと負けず嫌い力を燃やし続けるのも疲れるのだ。
それでも体が反応してしまうのはいっそ才能ですらあった。
息抜きがしたい。
だが、趣味として目覚めた劇場通いはエードッコでは未だ十分ではなく王都ははるか遠い。
年に二度ほど王都へ行くので、その時には、堪能するとして。
その間溜まりっぱなしは心が持たない。
王子や王妃殿下との手紙のやり取りも行っている。
だが、こちらは息抜きとするには関係性がまだまだ熟されていない。
王子とは王族が学習すべきことの多さに驚き、これらに加えて剣や軍学も学んでいる王子はすごいと褒め、王子に相応しくなるよう努める、といった趣旨のやり取りを。
王妃殿下には王妃殿下の失敗談や成功した話を教えてもらったり、愚痴めいたことを書いて励まされたりした。
王都に行く際にはで王子、王妃殿下と観劇に行ったりもしたので関係は良好と思われる。
だがやはり相手が相手である。
かつては自分より上の人について理解できていなかったエリザベスだが、王族の苦労をその身で味わったことでようやく実感を得られてきたのだ。
そして、そんな相手を鬱憤晴らしに使うというのはエリザベスと言えども抵抗を感じるようになったのである。
勉強が休みの日もある。
エードッコ侯爵領では侯爵家としての仕事がある場合。
それは例えば、コンテストの評価であったりする。
コンテストはエードッコでは定番のイベントとなっており、息抜きにはなる。ただエリザベスの趣味にすべて合致しているわけではない。
王都に行った際は先にも述べたように劇場へ行く。王族との付き合いを勉強を理由に断るわけにはいかない。
皇子や王妃殿下に気を遣う必要はあるが一番の趣味を楽しめる貴重な時間だった。だが王都に行く機会は少ない。
どちらも日々の鬱憤を晴らすには少しばかり不足していたのだった。
そうして辿り着いたのが本であった。書物。
これならばちょっとした時間のスキマに楽しめる。移動中の馬車の中など。はじめ気持ち悪くなったが何度も繰り返していると慣れた。
エリザベスが劇場を気に入った要因の一つは物語である。雰囲気や音の圧力というものもあるが、これは簡単には再現できない。
物語だけであれば手に入る。
気を紛らわせることはできた。
そのうち実家にある本を読みつくした。
徴税記録や判例の記録なども読んだが、やはり面白いのは娯楽目的で書かれた物語である。現実の記録や貴族の自慢話の自伝などには物語性はあっても生々し買ったり読んでてうんざりしたりするものもあり、中には掘り出し物もあるにしても、ジャンルとしてみると楽しむには向いていない。
物語として楽しめるよう構成されているものには及ばなかった。
しかし、純粋な娯楽物語というものはあまり数がない。
本という形に問題があるのかもしれない。高額だし読めるものは限られる。
吟遊詩人にでも語らせる方が手軽で多くの耳目を集めるだろう。
劇場で歌劇にでもすればさらによい。
ただ、それでも娯楽物語の本はあったのだ。
需要がないわけではない。現にエリザベスは欲しいと思う。
ただ時代に即していないのか、他の媒体が利用されているだけなのだ。
であるならば話は早い。
少ないなら広く集めればいい。
ないものは作らせればいい。
作るのに時間がかかる?
それならば、エリザベス自身の手で生み出そう。
実際に考えてみた。
そして紙に書いてみた。
実に稚拙なものが生まれた。
考えている時は面白かったはずなのに。
だが、面白いものについて考えることは気晴らしになったし楽しかった。
こうしてエリザベスは物語の創作を新たな趣味としたのだった。
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