18.忙しいワン
甘いもの研究所所長のワンは今日も忙しい。
隊商からこのエードッコ侯爵領に取り残されて二年半がすぎ、もうすぐ三年が見えてくる。
生涯の課題であった作物、この地方でニガダイコンと呼ばれている砂糖の原料の栽培及び砂糖精製技術の確立はこの二年の間にひと段落着いた。
なのになぜ忙しいのかと言えば、まず砂糖を使ったレシピの開発を依頼されたことにある。
砂糖はそのまま舐めてもあまぁ~くておいしい。
しかし、それだけで終わるにはもったいないポテンシャルがあると、エードッコ侯爵家関係者の、主に女性陣に熱弁され、甘いもの研究所というエリザベスが思い付きでつけたであろうし説明も相まってこのような仕事をする羽目になったのだ。
専属で料理人も付けられた。
なかなかの熱意を持った壮年の男性で、侯爵家の料理長を争ったこともあるという。
なんだかすごい人を部下に漬けられワンは困惑したが、ニガダイコンの可能性を探るという意味ではもともとの目的に合致しないでもない。
責任者として協力することになった。
また、砂糖工場の顧問という役職も付けられた。給金はいい。使う時間はないが。
砂糖精製技術を実用に落とし込み、砂糖を効率よく生産するために技術の改良、手順の簡易化などが求められている。
エリー商会のショーン氏からの依頼であるが、事実上エリザベスそして侯爵家からの命令である。
一番詳しいのがワンであることは間違いないのでこれも避けられない役割であった。 この工場というものの体制がまたなかなか独特だ。
まず仕事の掛け持ち可。時間帯選択可。交代制。二十四時間操業。浴場の設置。そして作業の分割と専門化。
ショーン氏は住み分けだと言っていた。
仕事の掛け持ちというのは、別の仕事、例えば酒場の給仕をしている者が、酒場が開いていない時間帯や休みの日に砂糖工場で働くということだ。自身の体力と相談してそれまでよりも多くのお金を稼ぐことができる。自分の生活時間の住み分けだ。
時間帯選択可、交代制、二十四時間操業。
これは一日の操業をいくつかに分け、その中から好きな時間帯を選んで仕事ができるという制度だ。定員や工場側からの移動の相談などはあるが、別の用事のある者には都合がいい。また人気のない時間帯、具体的には夜は給金を多くすることでより稼ぎたい者が集まるようになっている。工場の作業時間の住み分けだ。
浴場の設置。
砂糖を煮詰める余熱で湯を沸かし、浴場が作られ、作業の前に入浴が義務付けられている。排泄物処理の仕事と両立しているものなどもいる。口にするものを作るのだからキレイにしてから働けということらしい。
街中の公衆浴場と違い、楽しむための様々なサービスはないが風呂のついでにちょっと働いて帰ろうなどと言っている者もいる。公衆浴場との目的の住み分けだ。
作業の分割と専門化。
作業工程を分割していくと、一つ一つの工程は単純で簡単なものになる。
すべての作業を満点でこなせなくとも、一つの工程だけなら覚えられるもので、各工程に担当者をあてがい、全体で一つの流れを作って砂糖を生産する。
すべてを把握している職人は少数でいいし、新しい人員を簡単な教育で働かせることができる。
作業内容の住み分けだ。
教育の程度が低いものを大量に動員してモノ作りを可能とする体制で、ワンも聞いた時は大丈夫かと疑ったが何とかなっているあたり成功しているといってよいだろう。
そして、農法の改良。
ワンはその生まれからさまざな農法の知識を持っている。改良されてきた歴史も知っている。
甘いものレシピ開発の過程でこの地方で手に入る食物を調べている際、農業的な助言をしたのがいけなかった。
ニガダイコン以外にも知識を持っていると知られ、例の専用農場で農法の試験を請け負う羽目になったのだ。
あの時の農夫たちが協力してくれているが、これも大変な仕事である。
幸いというべきか、この地の農法はだいぶ雑だったので手の入れようはある。実際試験農場ではいくらかの成果がでている。これが一過性のものかを確かめなければならない。
ただあまり作業が増えるとサボるやつが出ると農夫たちが言う。全員を常に見張って違反者は斬る、などという方法は取れない。そこまでの実績もないし人手もない。どこかで手を抜いても全体が破綻しないように考える必要があった。
最後に、エリザベスたちの愚痴を聞く仕事……もとい雇い主への報告だ。
「というわけでニガダイコンをはじめ、ソバ、北麦など試験栽培は概ね増収。試作農具の費用はエリー商会へまわしましタ」
「よくってよ。これからもよしなに」
「ハハッ」
料理人が自ら合格を出した試作甘味を食べながら報告を聞いていたエリザベスがいつものセリフを言う。
よしなに。うまいことやれという意味だ。
余計な口を出さないのはありがたいが、丸投げされるのも不安がある。
うまくやれってなんだよ。常に成果を出し続けろってことかよ。厳しいんだよ。俺は他国の人間だぞ。丸投げで大丈夫なのかおい。
なんてことは口に出さない。今の環境はなかなか充実している。休みが取れずカネもたまっているばかりで使う時間がないが。もう十年くらいしてひと段落したら報告のためにも帰らせてもらいたいが、それまではこの状況を甘んじて受け入れていてもいい。
それにしても。
「最近お疲れみたいネ」
「あら、わかる? 気づかれるようじゃまた叱られちまうなぁ」
「口調」
「はい」
王都に行って帰ってきてからというもの、ワンの主エリザベスはいつも疲れているように思われる。
なんでもこの国の第一王子と婚約したそうで、つまり将来の王妃様になるというわけだ。
貴族令嬢と王妃では勝手が違うというわけで、新しく覚えなくてはならないことが増え、教師もふやして鋭意勉強中なのだという。
大変だな。俺も大変だからせいぜい頑張ってくれガハハ。
などと口にするわけにはいかないので心配しているふりをしよう。エリザベスがいなくなれば自分もどうなるかわからないのだ。そういえば王子と結婚したらどうなるのかもわからない。まあマズい時は東に逃げよう。
「お疲れに効く薬草茶を煎じますカ。あとは甘いものは疲れに聞くいいますネ。といっても食べ過ぎはよくなけどネ。いろんなものを食べるのがいいネ。医食同源ヨ」
「イショクドーゲン?」
「人間の体を作るのは食べ物だから、健康な体を作るためには食べ物が大事という教えヨ」
「詳しく」
「あレ?」
エリザベスが紙を束ねた帳面とペンを取り出す。
最近のエリザベスはこの書き物セットを持ち歩いている。
勉強疲れの気分転換に劇場とやらに行きたいのだがそれは王都にあるようで。エードッコ侯爵領にも作っているがまだ形になっていないらしい。
そんなわけで趣味に逃げられないエリザベスは本に興味を移した。
しかし、エリザベスの好むような内容の本はすぐに読みつくしてしまったらしい。
だいたい本は実用書か記録、あるいは貴族の自慢話のどれかで面白さ重視の物語は限られている。
そしてついにエリザベスは自分で作ると言い出したのだ。さらには自らも執筆するという。
いつもの、人に作らせて「よしなに」するだけではなく。
おそらく人にやらせて例えば一年後に成果が見込めるとしても、今日のエリザベスの気分転換には使えないということだろう。
厳しい勉強の合間にすこしずつ試行錯誤しているようだが、その一環として変わった知識を求めていた。
話のネタにするらしい。
そしていつでもネタや思い付きを記録できるように携帯するようになったのだ。
甘味を食べながらアリアと楽しそうに話していたから間違いない。
そしてこれからワンが医食同源について根掘り葉掘り聞かれるであろうことも間違いない。おそらく今日のエリザベスの休憩時間ではなく甘いもの研究所の視察時間では足りないだろうから、報告書にしろと言われるか何日もかけて聞き取りをされるか。
ワンはまた仕事が増えたと心の中で嘆いた。
数日後、甘いもの研究所は美味しいもの研究所に名前を変えた。
「ところで紙は麻をつかっているのネ」
「亜麻が原料だ聞いていますわ。昔は羊皮紙だったけれど、かさばるので今の紙に切り替えたのですって。何か気になるのかしら?」
「いえネ。うちの地元では麻紙よりモ、木から作った紙が主流だったのデ」
「詳しく」
数日後、美味しいもの研究所は美味しいものとか研究所に名前を変えた。
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