11.屋台
エリザベスは一旦ハーン伯爵家へと護送された。
アリアに刺繍のハンカチを渡して泣かれ、誘拐されていた間のことを話して拳骨を落とされた後また泣かれた。
「エリー様。いえ、エリー。あまり無茶はしないでください。離れていても、エリーがわたくしの大事な人であることには変わりありません。なにかあったら、心配で、心配で。心がどうにかなりそうでしたわ」
「わたくしも、わたくしもアリアが大事ですわ! すごく寂しかったのですからね!」
「だからってこんな無茶をして!」
アリアのお説教が始まり、その後夜更かしをしてたくさん話して、一緒に寝た。
その次の日には各所に謝って回り、ハーン伯爵の手勢に守られてエードッコへ送り返された。
別れ際、
「ふふ。実はわたくし、エリーは妹のように思っているんです。遠くにいてもエリーのことを思っていますからね」
「は?」
「ん?」
「てやんでぇ、誰が妹だ! 同い年でしょう!」
「同い年でも妹みたいなものですー。あと口調」
「はい。って誤魔化されませんわ! お誕生日もひと月も変わらないでしょう!」
「ひと月でも先ですー」
伯爵が声をかけるまで二人で騒いだ、前回とは大違いのにぎやかな別れだった。
エードッコでもたくさん叱られ、謝って回った。
お尻ぺんぺんされたのは久方ぶりだった。痛くて座れない。
そして誘拐犯――ではなくエリザベスを誘拐した極悪な犯人からエリザベスを救った四人はというと。
「王都とエードッコを繋ぐ伝令を増員したかったところで。と言ってもはじめは研修からですが」
「け、研修?」
「研修ってなんだ」
「勉強ってことだろう」
「勉強なんかわからん……」
エリー商会に就職した。
エリザベスは恐ろしい思いをしたし、強い怒りも覚えた。
だがそれはアリアと再会したことで塗り替えられ過去のことになった。些細なことなど置いておけばいい。エリザベスにとってはアリアのことの方が重要だった。
そして残ったのは雇用の誘いである。
生き延びるため思い付きで口にしたこととはいえ、一度口から出たことだ。
自分の言ったことに反するのは女が廃る。
ただ、突然エードッコ侯爵家で雇うというのは難しかった。父侯爵に止められた。
ワンの時とは状況が違うと。
そんなわけでエリー商会にお鉢が回ってきたのである。
髭はさっぱり、服もきれいに洗濯し、お風呂で肌は磨かれ、匂いはだいぶ抑えられ。
遊牧系騎馬民族の血が入っているのはエードッコ周辺では珍しくないので顔つきで浮くことはさほどなく。
まずは信用を積み重ねるところからということで下働きから始めることになった。
エリザベスを救ったからといってすぐに立場を得られるというわけではない。
実際のところ半信半疑の者もいる、エリザベスが強硬に擁護するので一応信じているていで扱われているという状況だ。
伝令というのは重要な仕事なので、懸命に働いて信用されれば相応の給金をもらえるようになるだろう。
侯爵が念のため見張りをつけているが、エリザベスには知らされていない。
この先どうなるかは彼ら次第である。
「ところで本題なのだけれど」
「はい、なんでもおっしゃってください」
救出の英雄たちは退席させ、エリー商会のショーン・ニンとエリザベス、そして老執事のメェームが残り、話を再開する。
「実はね、アリアを驚かせようと思って」
エリザベスは実に楽しそうに話す。
秘密のサプライズの相談だ。楽しくないわけがない。
「何をしようかなって思って考えていたのだけど、昨日の夜名案を思い付いたのよ」
「名案ですか」
夜中思いついた名案というのは往々にしてよく考えたらダメなものである。
経験上そう認識していたショーンは、これはまた大変なことになりそうだと思いつつチラリと執事メェームに視線を送る。しかし同じエリザベス係の同志は重々しく首を振るばかり。どうやらエリザベスの“名案”は今初めて開陳されるものらしい。
ショーンは反射で否定的な態度を取らないように気合いを入れて笑顔を作った。
「屋台で買い食いをできるようにしてほしいの」
「買い食いでございますか」
エリザベスはエードッコの街に出ることを許されても、買い食いは許されていなかった。
「だから残念だねってアリアと話したことがあるのですわ」
「なるほど、それで」
「そういうことよ。王都へ向かう前にアリアが城に来るから、その時に一緒に屋台で買い物をして食べるのよ。素敵でしょう?」
厄介事だった。
エリザベスが屋台のの買い食いを許されないのは侯爵令嬢ゆえである。
故意、事故を問わず、毒物や不良食材が使われている可能性。
前日の残りを使ったり、飲み物を適当な水で薄めて販売したり、何の肉かわからない肉を売っていたりがありうる。
屋台で商売をしている人物、あるいはその周辺に胡乱な者が紛れている可能性。
屋台の出店許可は割と緩い。屋台を出すような層の背後関係をいちいち洗っていては仕事にならないからだ。だから他領のスパイやあるいは暗殺者などが紛れていてもおかしくはない。同じ場所で動かずに長時間情報を収集できるので逆目線から見れば有効な手である。しかし問題を起こしてから取り締まるか、怪しいという通報があって見張るくらいの対策しかしていない。
そうでなくとも屋台を利用する層には荒っぽいものもいる。そういう者たちに令嬢を近づけるのもよろしくない。
そもそもはしたない。
屋台というのは庶民の腹を満たすためのものであり、そのようなものを侯爵令嬢が口にするなど、というわけだ。
他、様々な問題がある。
これらを解決してエリザベスの望みをかなえるには、時間が不足しているように思えた。いつもなら何とかしますと返答するところだが、時間制限がやはり厳しい、
であるので、ショーンはそのようにエリザベスに伝えることにした。エリザベス係であるショーンにはエリザベスに対し意見することを侯爵により許されている。
意見した結果については自己責任であるが。
「素敵なお考えでございます。ただ、いくつかある問題を解決するにはいささか時間が。王都進出のため人でも不足しておりまして」
「そうなの。そうでしたわね」
エリザベスは王都がくさいの嫌だと言ってエリー商会を動かしたことを思い出した。
なるほど、エードッコの街がくさくなくなるのに二年かかったのだから、王都もそれくらいかかかるかもしれない。
それなら忙しい只中であるはずだ。
下々のものにあまり無理を言うなと父侯爵に教えられている。
しかし今回の名案はショーンも素敵だと言っているし。
やりたいからやろう。
エリザベスは決めた。
「それなら今回はわたくしも協力するわ。何が問題なの? わたくしができることがあるかもしれないから言ってごらんなさい」
「えっ」
「なにかしら?」
「いいえ、なんでもございません」
ショーンはさらに厄介なことになったと内心頭を抱えた。
金と方針だけ出してあとは口を出さない上司が口を出すようになった瞬間だった。
どうしたものか。どうにもならん。
エリー商会の価値はエリザベスのためにあるのだ。エリザベスがいなければエードッコ侯爵家の御用商会に吸収されるだけである。
「では、思いつく問題点を順に挙げていきますので、何か思いついたらお願いします」
「まかせて!」
エリザベスは張り切った。
「食べ物が怪しいなら怪しくないものを選別すればいいじゃない」
「人も怪しいなら怪しくないものを選別すればいいじゃない」
「荒っぽい人が危ないなら兵を立たせればいいじゃない」
「はしたなくないことにすればいいじゃない」
ノータイムで怒涛の解決案が示される。
なにかが悪いなら悪くないようにすればいい。
簡単なことである。言うだけなら。
ショーンもどうしてもやれと言われたならそうするだろうとは思う。手間と費用と時間をかければが大いにかかるが、つまり手間と費用と時間があれば解決できるのだ。
「ずっとやれって言っているのではないのよ」
「といいますと」
「とりあえず一日、それもわたくしたちが楽しむ時間維持できれば良いのだわ。そうねえ、お祭りにしましょう。よかった屋台を表彰するのもいいわね。お母さまやお姉さまにも選んでもらいましょう。品評役であればはしたないということもないでしょう。わたくしたちが引き上げたら街のものに開放してもいいわね。褒めた屋台はきっとたくさん売れるのではないかしら」
「なるほど、場所も限定できますな。城前の広場を使えば警備もしやすい」
城前の広場は年始などの侯爵の演説や、処刑などに使われるため、結構な人数を収容できる。
それでいて塞いでも街中の交通を止めることもない。城の出入りの邪魔にはなるかもしれないが、出入口は他にもあるし別の機会で人が集まった時も問題になったことはない。
エリザベスの思い付き、思いのほか役に立ったことでいくらか目鼻もついてきた。
警備等の人手を城から借りることができれば。なんなら、屋台に起たせるのも城の使用人の方々にお任せする手も、いやそれはやりすぎか、どうだろう。
「どうかしら。うまくいきそう?」
「なんとかやりましょう。メェーム様をお借りしてもよいですか? 細部について相談したいのですが」
「いいわ。メェーム、よしなに」
「かしこまりました」
こうしてエリザベスにこれ以上の口を挟まれないよう追い出して、アリアを驚かせよう屋台計画は動き出したのだった。
当日、エードッコ侯爵家およびハーン伯爵家をはじめいくつかの身内扱いの貴族の家族が、エードッコ城前広場で買い食いをした。
特別に公衆浴場で身ぎれいにした庶民の子どもたちも参加し、エリザベスたちに彼らから花かざりが贈られた。
出店屋台は代々エードッコの街に住む領民複数からの推薦や家族がエードッコに住んでいることなど厳しい基準で選別され、販売する料理もあらかじめ確認されたうえで持ち込む食材もすべて厳しく検品された。
この日城前広場に屋台を持ちこめただけでも一目置かれるようになる。
さらにエードッコ大賞、エリザベス賞、アイデア賞など表彰された屋台には表彰のしるしを屋台に掲げることを許され、大いに話題となった。
成功裏に終わったこの催しの向後は未定であったが、領民からの要望により定期的名開催が決定、エードッコの街の名物の一つとなった。
そしてこのような催しが開かれたのが自分のためだと知ったアリアは大いに驚き、エリザベスも大変満足したのである。




