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肉食女子とバケの皮  作者: 茶布ノ鴨太郎
2/2

第1夜 〜違和感・上〜


 僕は今、人生最大の岐路に立たされている。


 長いまつ毛、黒く大きな瞳は、伏し目がちながらも時折こちらの様子を伺うようにチラチラと小さく動いた。


 こんなシチュエーションが大人の階段を登るための第一歩だなんて。少しばかり、いやコレ僕もしかしたらアレかな?2段くらい飛ばそうとしてない?だって、僕のすぐ隣、まさに互いの呼吸が触れそうな距離まで深く接近している、この子。


 僕の学校の同級生、三科紗枝みしな さえさん。同じ委員会で、廊下ですれ違った時に声をかけてもらったり、帰り道が一緒というだけで少しばかり仲良くさせてもらってるだけの関係。そう、それだけの関係。すなわち彼女ではない。


 そりゃそうだよ!だって、僕だよ!?こんな僕なんかに彼女なんかできるわけがない!今まで生きてきた17年間、女子なんかと、ましてやこんな美少女との絡みなんかあったことなんて一度たりともないんだ。


 なのに、なぁに…?この状況。ただ勉強を教えてくれるってだけじゃなかったか?三科さんはそう言ったはずなのに。今のこの状況、三行で説明すると…


 僕の部屋

 僕&美少女

 on the僕のベッド


 もう一度言おう。この僕、永松大良ながまつ だいらは、人生最大のきr「永松君…」「ひっ!?」思わず出てしまったか細く女の子の様な悲鳴に、三科さんはクスリと小さく笑みをこぼした。


「ふふ…永松君、もしかして緊張してる?大丈夫、私もその…同じ、だから。」

 同じ?三科さんも、僕と同じ…こんな、ドキドキしてるってこと?


「同じなの。こんなの初めてで…もう、心臓が爆発して溢れ出しそうなの。本当はこんなこと、女の子からするなんてはしたないって思われちゃうよね…すごく恥ずかしいことだよね。」

 ぽつりぽつりと囁く声は、僕の耳から入っては脳みそをジュルジュルと溶かさんばかりに刺激してくる。ああなんて、なんて可愛らしいんだ。三科さんの唇は。恥じらうように小さく下唇を噛む仕草は、こんな童貞野郎を殺すのには十分すぎるほどのウェポンだ。


「はっ、あ…の、みっ、三科…さ「でもね」

 僕の言葉を遮るように、三科さんの大きな瞳が完全に僕をとらえた。

「永松君…てね、なんだか、私がその…。全部してあげたいって、そんな気持ちにさせられちゃうっていうか…」

 そう言うと、僕の手に三科さんの暖かくて柔らかな手が重なった。その時、僕の身体に異変が起きた。



 心臓がドクンと大きく跳ねた。背筋にぞわぞわと良くない悪寒がまとわりついてきた。


 “逃げられない…”



「初めてで、こんなこと言うの変かもしれない…けどね」三科さんとの距離がジリジリと縮まる。


「永松君のこと、全部知りたいから…だから、永松君の、全部私に見せて?私に、永松君の…」

 額や背中に妙な汗がつーっと流れ落ちる。頭に心臓があるんじゃないかと思うほどの、激しい動悸に襲われる。


 “ニゲラレナイ…”


 頬を紅潮させ熱い吐息をこぼしつつ、三科さんの潤んだ大きな瞳は…


 僕を、見つめ…


「永松君の、全部…ちょうだい。」


――――


『…次のニュースです。今朝5時20分頃、新宿区高田馬場の路上で女性が死亡しているのが発見されました。』


「…おはよ、ばあちゃん。」まだ、微かに眠たい目を擦りながら居間の襖を開けた。卓上にはすでに、朝食が用意されていた。だし巻き卵にカボチャの煮付け、焼鮭にぬか漬け。僕の家では大体の食事は和食である。それも全て、僕のばあちゃんが作ってくれている。僕のばあちゃんはというと…


「ずずっ……もごもご」この通り、小さい背中を更に小さく丸めるように居間の座布団にちょこんと座ってお茶を啜り、何か咀嚼するようにもごもごと口を動かしては、ただ物静かにジーッとしている。


 僕の母は、僕が赤ん坊の頃に病気で亡くなった。物心の付いていない頃だったから、母のことは何も覚えていない。幼かった頃の僕の顔は、良く母親に似てるなんて言われていたけど、その当時は全然ピンとこなくて、仏壇に置かれている母の写真を眺めては、幼い僕は首を傾げていたらしい。仏壇にはいつもカステラと牛乳が供えてあるところからして、母の大好物だったのかな?


 父は、都内でシステムエンジニアをしている。SEは激務だというのはどうやら事実らしい。そのため職場から近い距離にある社宅に住んでいるから、こっちの家に帰ってくるのは正月くらいだ。たまに電話で話をする時も、その後ろめたさがあるためか、「いつもごめんなぁ。」なんて、一度の電話で何度も謝ってくる。僕は大丈夫なんだから、まずは自分の身体の心配をして欲しいものだ。


 なので僕は、幼い頃から母方のばあちゃんに育てられてきた。御歳94歳となかなかのご高齢で、その起動力はどこから出ているのかは謎だけど、幼稚園のお遊戯会、小中高の授業参観や三者面談、その他イベント事にまで顔を出すほどのパワフルさを秘めている。

 いつも物静かすぎて、人の話を聞いてるか聞いていないかよく分からないけど、こちらが一通り話し終えると「…こくり」と、一度だけ頷くのだ。だが、そんなばあちゃんでも声を荒らげて発する言葉がある。それは…


「ぎゅうにゅう!!!!飲みんしゃい!!!!」


 出た。僕が朝昼晩、何かしら食べ物を口にする時には決まってこのようにけたたましい声を上げる。なんで牛乳?まあ、単純に栄養のあるものを孫に与えたいと思うものなんだろうけど。ある日気になって父に聞いてみたら「娘の婿は我が子同然、よって孫も我が子同然。我が子には牛乳を飲ますのが一番」という理屈らしい。ちょっと何言ってるかよく分かんないけど、毎日の様子を見る限りボケているわけではなさそうなので、良しとする。


『調べによりますと女性の遺体は、鈍器のようなもので何度も強く殴打され、全身や頭部などの骨に激しい損壊が見られることから、犯人には強い殺意があったと見て捜査を進める見通しです。』


 冷蔵庫から牛乳を取り出し、グラスに注ぎながらテレビから流れてくるニュースをただボーっと眺めていた。ただ、何も考えずに。


『ご近所の方にお話を伺ってみました。』


『ホント怖いですよねぇ。昨日なんかも朝は普通にお仕事行ってる様子だったんですよ?ちゃんと挨拶する子でね。おはようございますって。そんな事件に巻き込まれるようなことなんて…』


「………ぉわっ!?」ボーっとしすぎて、グラスから牛乳が溢れてこぼしてしまった。グラスの中身を少しだけ口に含みながら、慌てて洗面所から雑巾を持ってきて台所の床を拭く。



『もう、心臓が爆発して溢れ出しそうなの…』



 あ、そうだ……嫌なことを思い出してしまった。

「はぁああぁあああぁぁ〜……」僕は四つん這いの情けない姿勢のまま深く溜息をついた。そうだった、そうだったよ!昨日のことだよ!もう…本当にマズいって!あぁもう、立ち直れない…。

「…三科さん、絶対怒ってるよな。はぁああぁぁあぁ〜…ツライ。消えたい。いっそのこと、このままどこか遠くに旅に…」


「ぎゅうにゅう!!!!飲みんしゃあぁい!!!」


「ああもう!!分かってる!分かってるから静かにして!!頭割れちゃう!!!」

 窓ガラスを叩き割りそうな勢いのソニックブームが家中に轟いた。どんな横隔膜してんだよ。


 グラスになみなみ注がれた牛乳を一気に飲み干し、奇声によって生じた軽い頭痛を堪えるようにこめかみを軽く揉みながら朝食を済ませ、食器を片付ける。

「ばあちゃん、ごちそうさま!僕もう学校行くけど、何かある?」


「……ずずー…」

「何か、郵便物とか…あとはゴミ出しとかは?」

「………もごもご」


 はいはい、何もないのね。失礼ござんした。特に何もないってわかってるけど、毎日つい聞いちゃうんだよね。自分なりにばあちゃん孝行したいって思ってるんだけど、ちょっと構いすぎかな?

「それじゃ、行ってきます。」


 学校までの道のり、また三科さんのことを考えていた。いや、考えざるを得ない。そのくらい大変なことをしてしまった。別のクラスとはいえ、廊下ですれ違うかもしれない。また帰り道で会ってしまうかもしれない。そんな時、僕は一体どんな顔をすればいい?まず、その前に彼女は僕にどんな顔を向けてくるんだ?いくら考えても悪いイメージしか思い浮かばない。今年一番に具合が悪い気がする。…ここはやっぱり、ほとぼりが冷めるまで姿を消すしか…


「ちぇいっ」

「いてっ!」


不意に脇腹を何かに突かれた。突然のことに驚き目を白黒させる僕の傍には、よく見知った顔の人物がいた。

「ちぇいっ」

「いって!ちょっと!え、何…いって!」

 このあどけない笑みを浮かべながら手に持ったビニール傘で僕の右脇腹を執拗に突き続ける彼の名は、日高駿介ひだか しゅんすけ。僕のクラスメイトで、一応僕の親友…と呼べるかは分からないけど、結構仲良し。そして、高校生男子でソレはどうなの?て思うほどの、なかなかの不思議ちゃんである。


「もうっ!駿介落ち着け!もういいって!なんだよ、どうしたんだよって!」

「センエツながら、ダイちゃんのお腹をちぇいさせていただきやした!ちぇいちぇい!ねねね、ダイちゃん死んだかもしんない!?」


 こんな程度の低いちちくり合いで死んでたまるか。というか、こいつ僭越せんえつの意味解ってないだろ絶対。またいつもの突拍子のない言葉から始まった。とりあえず、この17歳児を静かにさせなくては。さすがに周りの目が痛い。


「しーっ!駿介しーっ!!おーちーつーけって!…今日のコレなんの遊び?」

 はしゃぎ回る駿介の肩を押さえ、ゆっくりと隣を歩かせるようになだめる。ビニール傘も没収する。不服そうに一瞬顔をしかめるも、またいつものヘラヘラした様子に戻った。


「えーっ!ん〜、今朝母ちゃんが言ってたんだけどさ、この近所で女の人が殺されたんだろー?」

 「女の人が…ああ、今朝のニュースでやってたアレか。」

「ニュースかは分かんない。俺ニュースとか見ないし〜。でもボコボコにされて死んだんだろ?人って殴られても死ぬんだな!?」

 こいつは…撲殺という言葉を知らないのか?前々からコイツはなかなかイっちゃってるとは思ってたけど、ここまでとは。僕は何度目かも分からない、呆れた溜息を溢した。

 …あ、さてはコイツ…


「駿介さぁ、もしかしてなんだけど」

「うんうん」

「さっきから僕のこと突いてたのって…ソレ?」

 すると駿介の表情がぱあっと明るくなり、子供のように目を輝かせた。


「すっっげぇえよダイちゃん!なんで俺の考えてたこと分かっちゃったの!?うわっ、ビックリし過ぎて俺鳥肌立っちゃったよ!すっげー!!エスパーダイちゃん!!」

 お前は不謹慎の鬼だよ!!実際に起きた殺人事件をネタにして遊ぶなんて、そんなことが許されるのはせいぜい小学生までだ!…いやいや、小学生でも危ないラインだぞ!親御さんが聞いたら泣くぞ!


「はぁ、あのな駿介…そういうことでふざけたりするの、正直良くないと思うよ。亡くなった人の遺族とかが悲しい気持ちに…」

「あははっ!ダイちゃんっていっつもマジレスばっかり!そんなんばっかだとみんなにめんどくさいって思われっぞ!俺はキライじゃないけどね!」

 これである。コイツはいつも無邪気に人の傷付くことをグサグサと言ってくるのだ。そして更にタチの悪いことに、二言目には天然のフォローをいれてくる。これで全て許されてしまうのだ。

 おかげでコイツはウチの学校では有名な、憎めないキャラで定着している。で、俺はその御守り役。


「ぐっ…マジレスばっかりで悪かったな。とにかく!そんなバカな理由で人を殴ったりしない!当たりどころが悪くて本当に死んだらどうするんだよ?わかったな?」

「えーっ!ダイちゃんは死なないでしょ〜。」

「人間だぞ!死ぬ時は死ぬんだよ!」

「人間だけどさぁ、ダイちゃんは死なないよたぶん。そんな感じ全然しない!俺が言うんだから間違いない!!」

 根拠のない妄言を自信満々に豪語するその表情からは、僕たちの年頃になると自然と失っていってしまうであろう、物事を信じ抜く志や子供心といった、うまく言い表せられないけど、濁りのないキラキラとした宝石のような。そんなものを感じた気がした。これだから憎めないキャラは…。


「ったく…もういいから、いい加減落ち着けって!っ!あ、ごめんなさい!ホラ駿介、お前も謝れ…て……」

 相変わらずじゃれついてくる駿介を再びなだめながら、ろくに前も見ずに歩いていると誰かにぶつかった。僕の視線がその相手の顔を認識するのにはそれほど時間はいらなかった。いい加減だったのは僕の方だと気づかされた。


「…み、三科…さん」


「………」


 忘れていたわけではない。しかし、油断していたと言っても過言ではないこの状況!三科さんへの言葉を準備してはいなかったけど、このタイミングでは決して会いたくなかった!とにもかくにも、こうなってしまえば1発勝負…昨日のことを謝ってしまおう。


「あ…え、っと…み…」


「………」


僕が謝罪の言葉を捻り出す前に、三科さんは無言のまま行ってしまった。

 無言のまま…。


「………」

「???」去って行く三科さんをしばらく見送ったあと、僕へと視線を戻した駿介は状況を一切把握できていないといった様子で、ぽかんとした表情をしている。


 もう何もかも終わった。僕がここにいる理由はなくなった。三科さんには謝れなかった、それどころかもう僕の言葉に耳を傾けてもくれないのだ。次回からはきっと目も合わせてくれない。ようやく決心がついた。


「…駿介よ、今まで世話になったな。というか、よく世話してやったよお前のこと。短い間だったけど、お前との学園生活も満更じゃなかったよ。なかなか楽しかった、せいぜい達者で暮らせ。」

 僕が打ち拉がれながら、学校への道から外れ歩き出そうとした瞬間、駿介に首根っこを掴まれ阻まれた。


「まぁまぁそう急ぎなさんな旅のお方!俺でよければ遺言のひとつやふたつ、聞いてあげますぞよ?」

 遺言…まぁあながち間違いではないというか、ある意味今の僕には的確ではある。…コイツには理解できる話かどうか怪しくもあるけど、半ばヤケクソ気味に打ち明けてしまうのだった。


「…なんていうか、その。さっきの子、三科さんていう女子。あの子と僕が、昨日…」

「うんうん」

「ぼ…僕の部屋で、えっと…」

「うんうん」

「そ、その。だ、男女の…秘め事?ていうの?」

「…?うんうん」

「こう、ベッドの上で…ち、ちゅーって、しようとした時にな」

「!!う、うんうん!」


 思い出しただけで、死にたくなってきた。


「僕…ゲロ、吐いちゃった。」


 そこからの駿介は大興奮で、ゲロゲロげぼげぼ大はしゃぎしたのちに、憔悴しきった僕をコイツなりに気遣ってくれたようで、一緒に学校をサボってくれた。




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