刀鍛冶
封印の起点を富士、伊香保、加賀、奈良この4地点に定めた。
最初にできるのは、槍だ。この時代なら、良質の鉄がたたらでできる。刀鍛冶も多い。しかし、刀を打ったこともない博利に、大切な工房をつかわせてくれるところはない。
技術はなくても知識はある。ただ、歴史を変えるほどの技術は教えられない。加州の地を歩くこと一ヶ月。当時は、みな親切で旅人に職や食べ物を与えてくれる。狐はネズミ退治をしてくれると特に大切に扱われた。
博利はとある鍛冶屋で見習いをしながら技術を学んでいた。普段は鍋、鎌などの雑貨の修理がおもな仕事だった。しかし、たまにであるが刀の打ち直しの仕事がくる。もともと加州の刀工、藤嶋友重の流れをくむ家であったため、仕事は確かであった。普通、刀は師匠と弟子の二人で打つ。通常なら親子での作業であるが、生まれながらに体の弱い息子は刀鍛冶には向かない。半ばあきらめていたところに、博利がやってきた。刀鍛冶は、火の温度が重要である。ふいごを何度も押したりひたりしながら、空気を調節する。博利は、それまで一箇所だった空気の取り入れ口を周囲に増やし、まんべんなく空気を取り込むように改良した。その結果、従来のものより早く高温になり、より丈夫な鉄が鍛えられるようになった。
師匠は、彼の才能を見込んで、おしみなく刀の打ち方を教えた。しかし、師匠も年を取り、刀を打つ体力もなくなった。
「ワシの最後の仕事じゃ。おまえに好きなものを打たせてやろう。」
こうして、長柄草刈刃が生まれた。
「この槍を抜けるものがいつか現れる。それまで預かっていてくれ。」
そういいのこして、博利は去った。その後、刀鍛冶は衰退したが、息子は鍛冶屋として代々言い伝えを守っていくことになった。