61話 どうして庇うのか
「ああ、これはやばいな」
その魔力の奔流に周りの者たちが恐れ出す。
天高くつき上がった黒い炎は結界を突き破るとはじけて死の森の外縁部に隙間無く黒炎の柱を作る。その炎の柱が徐々にせり上がってくる。熱波が頬を焦がす。
「あああああああ!」
逃げ遅れたのか何人もの生徒がそれに焼かれて燃えていく。
久々に魔族領での暮らしを思い出していた。
「これは一体何だ」
「魔星だ。詳しいことは俺には分からないが、あいつらは超高位の魔族の召喚に成功したらしい。確か、ゴルゼスって名前だったはずだ」
「馬鹿な。結界があるんだぞ」
「この目の前にある景色が証拠だ」
背中にもたれかかるアイリスを下ろす。
「大丈夫か?」
「はは、ちょっとまずいかな」
弱々しく上げられた手を掴む。
「勇者殿、危険だそいつから離れろ!」
炎の柱から逃れてきた連中がこちらに集まってくる。
当然その目は冷たい。俺を恐れているのかむやみに近づいてこようとはしないが、それでも隙があれば間違いなく殺されるだろう。
「まあ、こうなるよな」
自業自得だ。
握った手を放す。
「アクダ……」
立ち上がって首でも差しだそうかとした俺をカルロスが遮る。
黙ってみていろと視線だけで語りかけてくる。
「聞け!たった今魔族の召喚が確認された」
カルロスが叫ぶと皆が絶望に打ちひしがれた顔をする。当然だ。ただでさえ疲弊しているのに追い打ちのようにそんな話をされれば心が折れるのも無理はない。
「敵はゴルゼス。名を聞いた事がある者も多いはずだ」
その名を聞いた途端皆の顔がさらにこわばる。
「案ずるな!ここは人類領!結界が奴らの力を制限している。力は本来の千分の一だ」
当然ながらそんな保証はない。召喚されているのだ。何らかの抜け穴があってほぼ全力である可能性だってある。
それでも不思議なものでどうどうと言われると疑う気がわいてこないものだ。腹芸ができる奴だとは思わなかった。
「俺たちで魔星を討伐する!」
その言葉にわずかに逡巡した後、レゾル教官が勇者の隣に並び立つ。
「勇者殿の言うとおりだ!気合いを入れろ!俺たちこそが―――」
悪寒。魔族の手に落ちてからというものより鋭敏になった俺の直感のようなものが警報を鳴らす。
傍にいたカルロスとアイリスを引き倒す。
炎が降ってきた。
「なーー!」
「があああああ」「やああ、」「熱い!」
まるで雨のように拳大の炎が降ってくる。静かに勇者の言葉を聞いていた生徒たちがクモの子を散らす様に去っていく。
「これは、まさか」
空を見上げたレゾル教官。その姿に影がかぶさった。
「ははははは!ここにいたか!死ねえ、勇者!」
哄笑しながら空から落ちてきたのはかつて出会った何よりも強靱な魔力を持つ魔族。人類とは全く違う獣毛に覆われた体躯。その獰猛な犬の顔がようやく玩具を見つけたかのように笑った。
名乗ってはいないがこれが魔星ゴルゼスなのだと本能で理解できた。
「ぬおおおおおお!」
抜刀したレゾル教官がそれに向かって剣を振り上げる。
だがそれは事も無げに剣を叩き折る。
「ぬるい」
そして振り上げた岩のような拳を叩き込んだ。
教官がべちゃりとつぶれる。
「え?」
生徒たちは突然のあまりにもあっけない死にざまに誰も声が出せない。
潰されたレゾル教官だったものから火の手が上がる。
「馬鹿な」
「ぬるい!やはりぬるいな!今の我でも十分に蹂躙できる!まさか勇者がこの程度だとはな!」
俺が呆然とする二人を引き連れて必死に逃げようとする。
どうやらゴルゼスは勇者の顔が分からなかったらしい。
だがこれはチャンスだ。このまま逃げれば奴はただの間抜けだ。
「我が魔王様第一の僕ゴルゼスだ!さあ、逃げ惑え!そして国に帰って伝えるがいい!暗黒時代の幕開けだとな!ああそうそう、勇者は役に立たない雑魚でしたというのも忘れるなよ」
「貴様!」
カルロスは俺の手を振り払ってゴルゼスに挑みかかる。
「馬鹿野郎が!」
「なんだ貴様は?」
「俺が今代の勇者、カルロス・アルド―だ!勇者の名を貶めるのは何者だろうと許さん!」
「なんだ、ならばこのつぶれているのはただのごみか。全く人間は区別がつきにくくていかんな。なるほど。どおりで雑魚だったはずだ」
「貴様が、貴様が!今殺したのは!アルド―帝国で最高の教官だ!」
「はははは!雑魚を雑魚と言って何が悪い!」
「その減らず口叩ききってやる!」
そのままカルロスはゴルゼスと激しい打ち合う。
膂力では圧倒的に劣ってはいるはずだが、聖剣の力なのか何とか戦いにはなっている。
それでも両者の差は圧倒的だった。はたから見ても明らかに劣勢なのが分かる。
「ふん!」
ゴルゼスの拳によって聖剣が大きく弾かれた。
聖剣が鳥のようにくるくる舞いながら宙に打ち上げられる。腕は振り上げられ、胴ががら空きだ。
「勇者様!」
絶望的な叫び声が上がる。
圧倒的な隙。
連続で繰り出される死の拳。カルロスの耐久力なら一撃で死ぬだろう。あれではまともに防ぐこともできない。
ゴルゼスの拳は、砕いた。
アイリスが展開した氷の壁をだ。
「はあ、はあ、やらせはしないよ」
だがアイリスはすでに限界のはずだ。実際に顔は青くほとんど死人のようになっている。傍にまとわりつく精霊が心配げな表情でアイリスに体を寄せる。
だが危機はまだ去っていない。
寿命がわずかばかり伸びただけだ。
再びカルロスの命を狩ろうと襲い来る拳。
「くそ!」
気づけば駆けだしていた。
正直、ゴルゼスの姿を見た瞬間俺はアイリスを連れて何とか逃げ出す気でいた。
勝てない。
情けないことにそんな臆病な感情に支配されていた。足が自然に後ろに下がっていたのだ。
俺は本当に負け犬根性だな。
自嘲しながら、俺はカルロスの目の前に姿をさらした。
壁になるように。俺がかばうにはこうするしかないのだから。
衝撃が襲う。
頭の先からつま先までぎちぎちにミンチにされるような感覚と共に吹っ飛ばされる。
吹っ飛ばされて、あたかもボールのように何度もはねた後にようやく止まった。
血が流れ出る。
俺の体に穴が空いていた。
意識があったのはそこまでだ。