6話 ガ・ラウ
母は亜人種だった。
これが見目麗しいエルフや友好的なドワーフ、ビーストならよかった。だが母はシャドウ。かつては魔界から落ち延びたとされている種族の末裔だった。当然ヒューマンはおろかドワーフたちでさえも自分たちを忌み嫌っている。エルフにいたっては憎悪しているといってもいいほどだ。
それだけならまだよかった。ひっそりと影に潜んで生きていればよかったのだから。
だが母は美しかった。その名は国を超えていくほどに。
自分を生んだ後、母の美貌を聞きつけたルミネウス王国の国王は権力にものを言わせ、ゼニスの実父であるヒューマンと母の中を切り裂き、無理やり王宮へと連れ去った。
大好きだった母に会いたい一心で己を鍛え、ルミネウス王国の騎士となった時には母は二人の子を産み、自分へ遺言を残して他界していた。
以来実家にも戻らず、ずっと戦いの日々を送っていた。しかし数々の功績をあげ、純粋なルミネウス人を追い越していく自分が疎ましかったのだろう。
二人の弟妹の命を盾にゼニスはこの単独魔星討伐というかつてない偉業に挑戦させられることになった。
ゼニスの体は灰色となり、大きな角が額からでている。顔の傷とあいまってその姿はまさに鬼。
これこそ清廉潔白なゼニスが灰鬼と疎まれている由縁であった。
「面白イ!」
ガ・ラウは興味深そうにそれをみる。
「アシュレス」
呪文もなくただ真名のみで魔法を発動させる。
その手には灰の槍。貫く物を灰にかえる滅びの魔剣であった。
槍を軽くふる。それだけで線上にいたオークがあふれ出る魔力に耐えきれず体を瞬時に灰に変えられ空に散る。
「いくぞ」
呼応するように魔星ガ・ラウも己の力を解放すら。
「来イ」
ただでさえみなぎっていた魔力が溢れだし、側にいるだけで気絶するほどの圧迫感を放ち始めていた。
槍を繰り出す。
ガ・ラウの分厚い拳はそれを弾く。魔族はその肉体そのものが武器なのだ。
流水のように技を繰り出すゼニスに対し、ガ・ラウの技は豪。粗っぽく、それゆえに力強い拳であった。
争う両者の姿は死そのもの。とても余人の割り込める余地などはなかった。ゼニスは巧みな槍裁きでいなすが、それをガ・ラウの力強さが上回る。
じりじりと押されてしまう。
だが槍術はゼニスにとっては二番目出しかない。
「アシュローペ」
己の身体能力をあげる魔法。それを何度もかけ続ける。
やがてその速度は只人であれば目でおうことすら困難な速度となる。
しかし相手は頂上の怪物。であった。
傷つくたび、血を流すたび、より高揚していく。
「イイゾ!人間!!モットダ。モット血ヲヨコセ」
哄笑しなおも傷つく。だがひるまない。頼みの綱の灰の槍はガ・ラウのすさまじい魔力によって効果をなさない。
何度も何度も打ち合う。そのたびにガ・ラウは浅い傷を負っていく。だが少しもおじけづいてはいない。ゼニスのことを今だ、戦うに足る相手とは認めても脅威とは見なしていないのだ。
対してゼニスはすでに必死であった。一発直撃を食らえばそれで終わり。かすっただけでもえぐれそうな痛みが走る。その緊張感が精神力を何より疲弊させていた。
「くそ、化け物め!」
その上この灰鬼状態をゼニスはまだ使いこなせていない。ハーフであるため馴染みきらないのだ。魔力の操作を少しでも間違えれば、この力の代償が自身を襲うことになる。
体が悲鳴をあげる。だが解く訳には行かない。この化け物と渡り合うためにはこの状態でないといけないのだから。
しかし攻撃手段に槍術しか使用していないのは囮。
次の攻防がゼニスにとっての必殺である。
攻撃の速度に慣れてきたのかガ・ラウは確実に槍を防ぐようになる。
打ち合って距離をとる。
ガ・ラウが呼吸をするタイミングを読んだのだ。強大な相手と言えど、魔族であった。その戦闘スタイルはあくまで力任せに暴力をふるうものでしかなかった。ならゼニスにとって人よりずっと長いスパンであろうとその間を読むのはたやすかった。
ゼニスとガ・ラウの間に弛緩した空気が流れた瞬間ゼニスは己の魔槍を投擲した。
魔槍は一直線にガ・ラウの鳩尾に向かう。
ガ・ラウが驚愕に顔をゆがませる。あの攻防の間にゼニスは魔族の唯一の弱点であるコアの位置を割り出していたのだ。
やむを得ず両手で槍を防ぐ。だが甘い。この投擲は魔力を加え、さらにひねりで回転を加えたもの。ゼニスが学んだ武術を惜しみなくつぎ込んだ必殺の一投だ。
「フヌウウウウウ!」
だが突如ガ・ラウの魔力が膨れ上がる。
赤黒い邪悪な魔力がその身を包む。より一層強靭さを増す肉体。血管があまりにも早い魔力の奔流に悲鳴を上げるようにどくどくと脈打っていた。
そこからわずかに力を込めただけで腕に刺さって貫通しようとしていた魔槍は勢いをなくし、途中で止まる。
ガ・ラウは感心していた。矮小な人間が自分にこの技を使わせるとは思っていなかったのだ。
魔星の力をほぼ全て弟に奪われたとはいえ、偉大なる魔王より与えられた力。その欠片を使うことぐらいなら自分にもできたのだ。
だがこの力を使ったからにはこの人間は殺さなければならない。この人間を逃がすことは自身のプライドが許さなかった。
この大いなる力を目にし、さぞ驚いているだろうと人間の顔を見る。
だがそこにあったのは失望も絶望もない。ただただ予定通りだと言わんばかりの勇士の顔だった。
魔星持ちは追い込まれると魔王より与えられた力を開放することは事前に調べがついていた。
だから恐怖はない。むしろこの時点で使ったということは相手のそこがこの程度だということ。
これも織り込んでの必殺だ。既に詠唱は完了している。
今まで打ち合っていたのはすべて時間稼ぎ。
ゼニスには余人の真似できない一つの特技があった。
無音声詠唱。加えて緻密な魔力操作からなる、戦闘中に相手に気づかれることなく大魔術を行使できる。これを仕込んでいたせいで、精神は摩耗しきっていた。
もっとも使える魔術は慣れ親しんだ一つだけ。だがそれで十分。
「アシュ、ライ、エウテ!」
右手をガ・ラウに向ける。己の魔力が吸い上げられ指先の一点に集まる。あまりにも魔力の密度が濃いためか、近くの空間がゆがみ、光が錯乱して見える。
だがその瞬間ガ・ラウが叫んだ。
「ヤレ‼」
突如後ろからくる殺気。
ガ・ラウの叫びに応じ、配下のオークが横やりを入れてきたのだ。
だが振り返って対処することできない。かわしてから放ったのでは対処される。
だからゼニスは覚悟を決めた。
その背に斧をぶち込まれながらゼニスは決死の覚悟で死の光線をガ・ラウに放つ。
ゼニスの手から迸る灰の光線。己の魔力のほぼ全てを使って放つ死の奔流であった。
「ガアア!」
ガ・ラウはあまりにもすさまじい痛みにのたうち回る。
だが―――
「外したか」
背中に傷を受けたことで狙いはそれ、ただ左のこめかみをえぐっただけだった。魔族はあの程度では死なない。
「ヌウウウウウウウ」
だがガ・ラウは一時的に左目を失っている。
殺れる!そう判断した。
「コノ人間ヲ殺セ!」
あくまで一対一のままならば、だが。
とたん周りで様子をうかがっていたオークたちがこちらに群がっている。
ちらりとアクダを見ると何かを叫んでいるが、オークたちの叫び声がうるさいせいで何を言っているのか聞こえない。
「決闘だと、言っていたんだがな」
先ほど邪魔をしてきたオークを切り捨てながらぼやく。
どうやら自分は甘かったらしい。
四方八方から襲い掛かられ、嬲られる。
先ほどの魔法でもうすでに己の力は使い切っていた。
オーク程度ならどうとでもなるが、ガ・ラウには歯が立たない。
だが残る搾りかすのような魔力をかき集めて再び、魔槍を練成する。
いくつもの攻撃を受け、血をまき散らしぼろぼろになりながらも、何匹ものオークに囲われたガ・ラウのもとまでかける。
「だああああああ!」
普段は決して上げない叫び声をらしくもなくあげながら、乾坤一擲の一撃を叩き込もうとする。
力からの乗った素晴らしい一撃であった。
「ヌウウウウン!」
だがその繰り出した魔槍は目の見えていないはずのガ・ラウに阻まれる。
「なんだと!」
「愚カ!」
「………」
魔族は人間よりはるかに魔力に敏感だ。必然、ゼニスの魔槍など手に取るように分かる。ゼニスはそんな基本的なことすらも忘れるほど追い込まれていたのだ。
「くそ!」
魔槍を手放すかほんの刹那迷った。もう替えがきかないのだから。
その一瞬が勝負を分けた。
襲いかかる死の拳。
まともに食らえばどうあがいても死ぬ。
死んだか―――諦めにも似た思いが駆け巡る。それと幼少期や家族との思い出。
「ゼニス!」
だが、直前に割り込む小さな影。それに拳がめり込む。
血をまき散らしながら転がる。
一回転、二回転と転がってからようやく止まる。
地に伏した小さな影はピクリともしなかった。
「何で?」
ゼニスをかばって攻撃を受けたアクダが、地に倒れていた。
一撃でアクダの腹部がえぐれていた。血がとめどなくあふれている。
「フハハハハハハ!無駄ダ!コイツハ諦タ!」
体がかっと熱くなる。図星だったからだ。心のどこかで、自分はよくやったと思ってしまったのだ。
だが槍を手放すこともできず対峙したまま何も言い返せず睨みつけるのみだった。何とか引き抜こうとするがびくともしない。
「負けんな!」
だが背からそんな叫び声が上がる。
アクダは叫んでいた。
ガ・ラウからもらった一発で腹がえぐれて、何かでっかい縄みたいなのがはみ出てる。目がかすんでほとんど何も見えない。血は馬鹿みたいに流れて大きな水たまりを作っていた。
それでもわけもわからないまま叫んだ。
「俺たちは!勝たなきゃいけないんだ!負けたらなんも残らねえだろうが!」
思い出すのは出会ったあの日。あれから十日とたっていないけど、それでもあの時に食べた肉と体温の温かさが今のアクダのすべてだった。
その全てを与えてくれた人がひ弱な姿を見せるのは嫌だった。
どうにかしてその背を守りたくて、でもどうにものならない。そのもどかしさが痛みを忘れてアクダを叫ばせていた。