5話 英雄だから
ゼニスが高らかに声を上げた。その内容を理解すると、一転空気が冷ややかなものとなった。
アクダも先ほどまでの戦闘の興奮が冷め、どうしようもないいたたまれなさを感じる。
「ゼニス、それは………」
アクダはなにも言えなかった。こいつらがどういうものなのか、アクダはよく知っていた。
「ふざけんなよ………」
「え?」
一人の男がたまりかねたかのようにポツリとこぼす。そのざわめきは電波していきやがて大きな悪意の波になる。
「ふざけんな!お前のせいで魔族様が機嫌を損ねたらどうするだ!」
「魔族様だと!」
いやな予感がした。伝えていなかったアクダが間抜けだったのだ。
ここには腑抜けしかいない。牙などとうにもがれているのだ。
「もしかしてあんた………内地の人間か?」
「そうだ!人間の国からやってきた、せん―――」
「やれ!こいつを差し出せば安泰だ!」
欲に目が眩んだものたちが襲いかかってくる。
「ゼニス、逃げるぞ」
ゼニスの手を引っ付かんで走り出す。
呆然とするゼニスの手はただ弱弱しかった。
「私は………」
やがて容易く振り切った後少し休憩する。ゼニスは沈んでいた。
そんな顔を見ていなくて、アクダはぎゅっとゼニスの手を握る。まだ震えていた。この高潔な人ゆえの弱さをアクダは愛しく感じた。何とかして力になりたいなと思う。でもどうすればいいかわからない。それがひどくもどかしい。
「これが、ここの現状なのか?」
「ああ。そうさ」
「そうか………。どうして彼らは私を捕まえようとしたんだ?」
「報奨金が出るんだよ。人間の世界からきたやつを1人捕まえたらすげえ金をもらえる。レア物を捕まえたら血を分けられて兼属にするやつもいる。そこら辺はバラバラらしい。」
「そうか………」
「ごめん、知ってると思ってた」
「そうだな。私は傲慢だったのかな。応援してくれると思っていたよ」
努めて元気な声をだす。消沈した顔を見たくなかったのだ。
「俺がいるさ!あんな卑怯者たちなんて必要ない」
「ああ。そうだな。ありがとう」
それでもゼニスの顔は晴れなかった。
魔星ガ・ラウは飽きていた。オーク内の闘争で弟に後れを取ったことでガ・ラウはこの何の面白みもない人類領との境目に居座ることになってしまった。本当ならばかつての人間の国の王都、今では魔王城がある都市に住みたいのだ。あそこならば各魔族が趣向を凝らして練り上げた遊技場が数多くあるのだ。中にはガ・ラウの好む強い奴隷との闘技場や、人の王族に連なるもののみの妓楼といった実にオーク好みの施設だってあるのだ。
だがここにはそんなものはない。ただ弱くてみすぼらしい人間が虫のように転がっているだけだ。
「ツマラナイ」
そう言ってガ・ラウはそばに打ち捨てられていた人間をつかんで口に放り込む。
「不味イ」
もっとうまいものが食いたい。もっと強い奴と戦いなぶり殺したい。もっと肉付きのいい女を犯したかった。
生き残った配下の略奪部隊が彼のもとにたどり着いたのはそんな時だった。
報告を聞いてガ・ラウは大きく口を歪めた。
アクダとゼニスは逃げ込んだ森の中で休憩を取りながら、この後の方針を話し合っていた。
うまくかみ合わないまま上滑りのような会話が続く。
そんな居心地の悪い静けさは悲鳴によって吹き飛ばされた。
「イヤアアアアアアアアアアア!」
「やめろおお!」
人の叫びが響き渡る。
そのあとに続いてオークの笑い声。
その声にアクダとゼニスは互いに顔を見合わせる。
「何が起きている?」
「分かんねえ」
だが人々の叫びはまだ聞こえている。あちこちからだ。
「出テコイ、人間」
響き渡る今までとは違うオークの声。その圧迫感にアクダは思わず身を震わせる。ゼニスの顔も険しくなっていた。
「ジェネラルオーク、魔星、ガ・ラウ!」
「こうなったか………」
アクダは理解した。いかにも魔族が好みそうなことだ。
魔星ガ・ラウはつづけた。遠く離れていてもその声は響き渡る。
「夕刻ヨリ人間ヲ食ッテイク。救イタクバ、先ホドノ広場ニ来イ。」
ガ・ラウは何度も同じ内容を繰り返した。
横目でゼニスを見る。
「行く必要はねえよ。あいつらが人間を解放するはずがないんだ。」
「確かにな。だが、逃げる訳には行かない」
「なんでだよ。あいつら見ず知らずの、ひどい奴らじゃんか」
「それでも、私は英雄だから。それにわざわざ向こうから姿を表してくれたんだ。これほどのチャンスはないさ」
広場に向かうとそこにはまるで罪人かのように大きな丸太に人々が打ち付けられていた。
その前に立ちふさがるようにオークたちがたむろしている。そして一際強い威容を放つのはオークの群れの中心に鎮座する巨体。明らかに格の違う魔物。見ただけで悟った。
ジェネラルオークのガ・ラウ。魔星の内の一つだった。
「来タカ。人間。ソノ闘気、名ノアル士ダロウ。名乗レ」
「称号は剥奪された。ただのゼニス・バラクだ。」
にっと大きく笑う。
「面白イ」
「ガ・ラウ。貴様に決闘を申し込む」
ゼニスは一歩踏むだし堂々と声を張り上げる。
「ホウ、オレヲ殺スト人間風情ガ」
ざわめく人々。ガ・ラウの全身からみなぎるような力が満ち始める。
人々は圧倒な気配を前に息を潜めた。
「ギャアアアアッリリッリリリリリッリ!!!!」
空を割らんばかりの大咆哮。それだけで弱きものは失神する。
それなりに心得のある者はすがるようにゼニスを見ていた。
「愉快愉快!ヤハリ人ハ悲シクナルホド弱イナア」
「てめえ!」
「ヤレ!」
そう言って人々に襲い来るオークたち。助けるつもりなど微塵もなかったのだ。
「アクダ、使え」
ゼニスから腰に差した美麗な白銀の剣を渡される。
「いいのか?」
「私の本命は別なんだ」
今の自分の力ではどうあってもこの怪物には及ばないだろう。ただの足手まといでしかないはずだ。だがこの剣があれば、取り巻きを倒すことくらいは出来る。
「分かったよ!死ぬな!ゼニス!」
「ああ。お前な」
そうして死闘の幕が上がった。
「だらあああ」
駆けて、襲う。アクダは人々を襲う魔物たちに躍りかかった。
ガ・ラウはゼニスと戦うと決めているのだろう。アクダを素通りさせた。
助けられた人は驚きの表情でこちらを見てくる。あのゼニスに石を投げた人たちだ。
「ど、どうして、助けるんだ?」
「うっせー!そんなの俺が聞きてえよ!でもしかたねえだろ!ゼニスが決めたんだからさ!」
ムカついていた。納得はまったくしてない。でもゼニスの期待には答えたかった。
「感謝しろ!お前らを助けたのはあのカッコいい人の気高さだ!次にあの人に石投げたら俺がてめらを殺すからな!」
叫びながら暴れまわる。敵は硬い。アクダでは攻撃がとおらない。しかし、注意を引くことはできる。挑発するが襲ってくるのは一部だけ。アクダに興味のないオークは人々を襲っていた。
アクダではすべてを救うのは不可能だった。それでも少しでも多く救うために大声を出して暴れまわった。
戦え、戦うんだ。
「くそ魔族ども!そんな、しょうもねえ奴ら相手してないでこっちにかかってこいや!」
「威勢ガイイナ、小僧ダ」
「確かにうるさいやつだな」
「アイツ、弱イ」
ぎろりとゼニスをにらむ。
「オ前ハ強イ」
ゼニスの頬を冷たい汗が伝う。
狙い目があると思っていたのは敵の慢心。だが魔族の中では敗北者であるガ・ラウはゼニスの強さを見抜いていた。
ゼニスがためらっているのを察したのかガ・ラウは身近にあった棒をつかみそれを己の力を誇示するように振るう。
「初メカラ全力デ来イ。人間。一撃デ死ヌゾ」
「………いいだろう。なら見せてやる。呪われた姿を」
ゼニスは己の顔にてをかざす。心の中にある冷たいものを浮き上がらせる。
いびつな音をたて、額から一本の角が生える。
魔力は乱れ、邪悪な力を帯びる。肌は灰色になり幽鬼のよう。片目だけ赤黒く変色し、それが一層不気味さを醸し出す。何より額の左よりから突き出た黒い角が見る者に恐怖を与える。
今までの清廉さは失われ、暗く沈んだものとなる。その禍々しい姿は英雄というよりも化け物、もしくは魔族に近かった。
「ホウ」
「行くぞ、魔星ガ・ラウ。お前を仕留めて、私は全てを取り戻す!」