10話 囚われの身と
気づくと誰もいない小さな穴の中だった。
周りには誰もいなくて暗闇のみ。
手足には枷。さらに首にも枷。魔法の知識が乏しいアクダにはわからないが、おそらく何らかの呪縛がかけられている。
「俺はまた負けたのか」
状況はだいたい分かる。負けて、ここにぶち込まれたのだろう。
悔しくて涙が浮かんでくる。歯噛みする。また負けた。そのことがどうしようもなく心をさいなむ。
「くそ!」
嗚咽を押し殺しつつもずっと泣いていた。
こつこつと足音がする。誰かが階段を下りてきているらしい。
やがて燭台と食事を乗せたお盆を持った少女がアクダの前に現れる。だがアクダは顔を見る気にもなれず、ただ悔しさから涙を流す。
「みんじゃねえよ」
泣いているところを見られている恥ずかしさから悪態をついてしまう。
それでも少女はこちらを見下ろしている。
どうにか涙をとめようとするのだが止められなかった。
自分を助けてくれた。そのゼニスが戦っていた。それなのに自分は何の手助けもできなかった。それがたまらなく悔しい。
なぜこんなにも自分は弱いのかとずっとその思いばかりが頭の中をぐるぐると回っていた。
少女は何を考えているのかわからない。
ただ手にした食事をその場に置くこともなく、そのまま何も言わず去ってしまった。
次の日も少女は地下牢に降りてきた。
アクダはずっとここに閉じ込められたままだ。
「なあ、あんた名前は?」
「………」
「悪い、もしかして話せないのか」
「どうしてそうなるのですか」
少女は思わず口を開いた。すぐに後悔したようだが、投げやりに続けた。
「私はあなたと話すことがない、そういう意思表示だっただけです」
「俺はてっきり喉を焼かれてるかなんかだと思ったんだよ」
「そんなのは奴隷だけでしょう」
「まあ、それもそうか………」
考えてみればここは人類領。魔族領とは違う。アクダが想像もつかないほど治安はいいはずだった。
思わずアクダは目を伏せた。
そのアクダの様子をみる少女の顔をアクダは見ることができなかった。その顔に浮かんだ後ろ暗い愉悦に満ちた顔を。
見れば少女の手には食事。
思えばもう何日も食事をとっていない。
「なあ、その飯もしかして俺のか?」
「ええ、そうですが」
「本当か!腹が減ってたんだよ。助かったぜ」
そういって喜ぶアクダの前で少女は何か考えたあとお盆をひっくり返した。
当然乗せられていた食事は地面にぶちまけられる。牢にいるアクダからでは拾って食べることもできない。
「はあああ!ふざけんなお前!どういうつもりだよ」
何がおかしいのか少女はクスクス笑っている。
「私の仕事は終わりました。さようなら」
そう言って踵を返し少女は階段を上がっていこうとする。
「あ、おい待てこら!」
アクダが叫ぶと少女は振り向き、その鉄面皮を少し崩した。
「ルルエです。よろしく、泣き虫さん」
「て、てめえ!待ちやがれ、おい!」
結局その日もアクダは食事にありつけられなかった。
三日目は食事すら運ばれなくなった。
どうやらこのルルエという少女はアクダを餓死させたがっているようだった。
正直ここまで単調な日々が続いたおかげで逆に落ち着いてきた。
俺が死んだかどうかの確認をするためだろう。少女は毎回似たような時間に降りてくる。日がわからないアクダにとって、それが時計代わりになっていた。
「今日もお出ましか。」
「……」
返事はない。だがそれでもアクダは勝手に話す。
「殺したいんだったらさっさと連れ出して首をくっとやっちまえばいいものを。どうしてこんな回りくどい真似をするんだよ」
そう言って笑う。こんな暗闇にぶち込まれていれば体を鍛えることと笑うことぐらいしかやることがないのだ。
「なあ、ゼニスがどうなったか知らねえか?あの人無茶したからぼろぼろだったはずなんだが」
今まで怖くて聞けなかったことを尋ねる。
「彼女なら無事です。今はあなたのために色々動いているそうですよ」
「そっか、よかった」
安心した。これでアクダには懸念事項はなくなっていた。ルルエはそんなアクダの表情を忌々しいものを見るような目つきで見ていた。
「なら俺をぶち込めている奴に伝えといてくれ。お前はいつかぶっ飛ばすってな」
「それよりあなたは自分の心配をした方がいいのでは?このままでは餓死ですよ」
「そういうんだったら食事はよこせよ………」
「嫌です」
この野郎。
思わずぶん殴りたくなったがこらえる。だがそもそも牢屋なので手は出せなかった。
「まあ、俺はそう簡単には死なねえよ。」
そう言って口からぺっと骨を吐き出す。そして笑ってやった。魔の烙印がゆがむ。
ゼニスが無事なんだ。だったら会いに行ってやる。そうアクダは決めた。
アクダが吐き出したものを見てルルエは嫌悪感から眉を寄せる。こんな場所に入り込むなどネズミやクモぐらいだ。それをこの少年は食っているのだ。それなのにアクダからは邪気のようなものが感じられなかった。
「どうしてそこまでして生きようとするのですか。―――どうしてそんなみじめな目にあってそう笑っていられるのですか」
あたりに散らばる小さな汚い畜生の残骸。それがアクダがこの閉じ込められた牢屋で食事もなしに生きてこられた理由なのだ。こんなの常人なら一日と耐えられない。
それでも目の前の少年は笑う。
「俺は生き意地きたねえんだよ。こんなとこで死ぬなんてごめんだね。」
もちろん好んで食いたいとは思わないが、死のうなどとは思わない。
「人間なんてな、死ぬときは、ぽっくり死ぬ―――なあ、人が死ぬところって見たことあるか?」
「……あります」
「その時、思わなかったか。こんなもんかって。今まで一緒にばかやってた連中がさ、こうぴくりとも動かなくなんだ。あまりにもあっけなさ過ぎてさ、俺はこんな死にざまだけはぜってえ嫌だって思ったね。勇ましく派手に燃え尽きるように死にたいもんだ」
「随分と安っぽい考えですね」
「おうよ。安っぽくたって、つまんねえよりはずっといい」
どうせいつかは死ぬ。ならせいぜいあがいてやろうじゃないか。
アクダは自分のそばに寄ってきた小さな物体をつかむ。野鼠だ。
それに頭からかじりつき、骨をかみ砕く。泥の味の後に血が胃に入ってきて体が熱くなる。控えめに言ってくそまずい。だがアクダにはある程度慣れた味であった。
「俺は死なない。状況はよくわからねえけど、地獄で生きてたんだ。俺はそう簡単に他人の思い通りにならねえぞ」
「……その威勢がどこまで続くか見ものですね」
ルルエはどこか面白くなさそうにそうつぶやくと踵を返して階段を上がっていく。どうやら今日はここまでらしい。
「おい、ルルエ」
「なんですか」
「またな」
「え、ええ。また」