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memoir  作者: 翠川 零
5.久しぶり そして はじめまして
9/10

 



ダイニングに駆けこむようにして入ると、母が鼻歌混じりにフライパンを振りながらのんびりと「おはよう咲夜ちゃん」と挨拶してくる。



「おはようお母さん」


「今日の朝ご飯はご飯ものがいい?パン系がいい?」


「時間ないから、パンで」


「あらあら、時間がないのはお寝坊さんなのがいけないのよ?」



そう言ってフライパンで焼いていたフレンチトーストを皿に乗せて出してくれる。



ミルクと卵がしっかりと染みこんだそれに、蜂蜜をたっぷりかけて急いでかぶりつく。



「もう、女の子なんだからもっとお上品に食べましょうよ。ナイフとフォーク用意したでしょ」


「むぐ‥‥‥時間がないの!」



文句をたれる母に私は急いで口の中に詰めたフレンチトーストを咀嚼し、素手で掴んだため手についた蜂蜜を舐めながら答える。



その行為に母が再び口を開きかけると、



「わあぁー!?寝坊したぁーー!!」



ドタバタと音をさせながら父が慌てて階段から下りてくる。



「あら、おはよう。あなた、またお寝坊さんですか?」


「さくらっ、毎日そのセリフを言うくらいなら起こしてくれよ!」


「えー。だって、あなたの寝顔って、とってもかわいいのよ?ほら、それにこんなこともあろうかと、おにぎり作っておいたし‥‥‥許して(みつる)さん?」


「―――許します!」



毎日のように繰り返されるそのやりとりに、私はいろんな意味でごちそうさまして洗面所に向かう。



母はわざと目覚まし時計を切って父をぎりぎりまで起こさない。


徹夜仕事をして帰ってきた時は特に。


自発的に起きてこない時は、遅刻寸前まで起こしに行こうとしない。



それで毎回慌てて起きてきた夫に、すぐ食べられる愛情たっぷりのおにぎりを手渡すのだ。



いつまでも新婚気分で、見ているこっちが恥ずかしくなるが、いつも幸せそうに笑っている両親を見るのが私のちょっとした幸せなのだ。



歯磨きを終えて、父のスーツやネクタイを調えている母を横目に、すでに用意してあった弁当箱と鞄をそれぞれの片手に居間へと向かう。



すると、そこには先客がいた。



「あら、咲ちゃん。おはよう」


「おはよう、佐奈(さな)さん」



上品な微笑を浮かべる老婦人に挨拶を返して軽く抱きしめる。



彼女は私の母方の祖父の妹さんで、今海外に行っている息子夫婦が帰国するまで一緒に住んでいるのだ。



「咲ちゃんも写真を見に来たの?」


「うん。おじいちゃん‥‥‥(いつき)さんの顔が見たくて」


「そう」



佐奈さんはたくさんの写真立ての並ぶ棚から二つの写真立てを取り出し、片方を渡してくれる。



渡された写真立てには、初老の男性が小さな私を抱えて微笑んでいる写真が入っている。


私の大好きだった、名づけの親である祖父。



「本当に咲ちゃんはお兄様に‥‥‥私達のお母様にそっくりになってきたわね‥‥‥」



佐奈さんが感慨深く私の頭を撫で、もう片方の写真立てを自分の膝の上に置いた。



その写真立てには佐奈さんそっくりの男性と、私と祖父にそっくりな女性が写っている。


若くしてこの世を去った私の曾祖母の槊弥(さくや)さんと、私が生まれる二年ほど前に亡くなった曽祖父の修平(しゅうへい)さんだ。



祖父は生まれたばかりの私を見て『さくや』という響きの名前をつけてほしいと父と母にお願いしたらしい。


父も母も大賛成したらしく、私の名前は『花の咲く夜』という意味をこめられた『咲夜』となった。



名前をもらったということと、亡くなってしまうまでは私の相手を笑顔でしてくれた祖父の大好きだったひとだったということもあり、私は槊弥さんの話をよく祖父にせがんだ。


祖父は子供には分かりにくい話だということもあって、掻い摘んだ話を自発的に子守歌の代わりに話してくれていたが、私があの夢のことを話すと、それ以来祖父は積極的に話してくれるようになった。



何故私は祖父にあの夢のことを話す気になったのだろう。


そして、何故祖父は自分の両親の話をする気になったのだろう。


今でも、いや、今だからこそ不思議に思うのだ。



普通は絵本を読んでくれるようにせがむような年だった幼い私の様子を母は不思議そうに語ったが、祖父は別段不思議そうにはしていなかったらしい。



忙しいのにも関わらず、文句一つ言わないで幼い私にも分かるように言葉を選んで語ってくれた。


槊弥さんと修平さんの出会い方は最悪だったとか、槊弥さんは結婚しても決して修平さんには笑ってあげなかったんだとか。


それでも、彼女は彼を愛していたんだとか。


彼らの生まれた環境から、性格や好みから、日常生活のことまで。


知りうることは全て、些細なことまで余さず、何でも彼らのことを教えてくれた。



幼い私は槊弥さんが亡くなるまでの話を聞き終わると、何故かそれからの修平さんの様子を事細かに聞いたらしい。


今ではほとんど覚えていないが、亡くなるまで幸せそうだったと祖父の口から聞くと、当時の私はほっとしたように笑ったのだそうだ。



「‥‥‥樹さんは、何か知っていたのかな」



私が夢に見る『彼』のことを。


私が槊弥さんと修平さんのことを聞きたがるわけを。



あるいは、その両方のことを知っていたのかもしれない。



考えこんでいると、肩を突かれた。



「咲ちゃん。時間はいいの?」


「あ、うそっ。もうこんな時間!?待ち合わせの時間に遅刻しちゃう!!」



ただでさえ時間がなかったのに、考えこんでいるヒマはない。



「ごめん、佐奈さん。写真立て戻しておいてくれる?」


「ええ。それより、髪が跳ねているわ」



写真立てを渡した拍子にかがんだ私の頭を数回撫で、髪を直してくれる。



「はい、行ってらっしゃい。咲ちゃん」


「行ってきまーす!」



私は急いで靴を履き、玄関を飛び出した。




―――――●―――――○―――――●―――――




飛び出していった元気な背中を見つめ、佐奈は少し悪いことをしたと思った。



咲夜はあの二つの写真を見せると深く考えこむ癖がある。それを知っていてあの写真を渡したのだ。


少しの時間、彼女を引き止めるために。



「イツキお兄様。これで、約束は果たせましたよ。『彼ら』が無事に出会えるように手を貸すという、約束を‥‥‥」



兄に指定されたこの時、この時間に送り出すことができた。


後は『彼ら』次第。



もう祈ることしかできない身だが、それでも願わずにはいられなかった。




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