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私は確かに彼のことが嫌いでした。
私の世界を、夢を、平穏を壊した張本人ですから。
自分の興味のためにお金で私の未来を買うような、どうしようもない人間でしたから。
彼はただ単に私が珍しかっただけなのです。
誰からも愛されることが当たり前だった彼の前に突然現れた『例外』が、たまたま私だっただけ。
ただそれだけのことです。
だから私は、いつか彼の興味がなくなって、解放してくれるのを待っていました。
好きになったフリをしてさっさと興味をなくしてくれるのを待てばよかったのでしょうが、嫌いな相手にそんなことをできるほど私は器用ではありません。
だから、ただ待つことにしました。
もっともそれは、彼に恋心を気づかせてしまう時間を与えただけに終わりましたが。
泣きそうな顔をして愛しているんだと言われた時は、正直しまったと思いました。
私も薄々分かっていたのです。
彼の『興味』が、他の何かに変化していることを。
逆らえるわけがないじゃないですか。
私の未来は、彼に買い取られてしまったのですから。
たとえ君が僕のことを嫌いだとしても、構わない。
僕は君を愛しているんだ。
そんなことを言われたって、私は愛されたことがありませんでしたから、彼の愛が本物なのかは分かりません。
そんな私にいったいどうしろと言うのでしょう。
どうしていいか分からないまま、私は彼と結婚しました。
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それから数年して、私のお腹に新しい生命が宿りました。
彼はひどく喜びました。
涙を流して、まだ生まれてもいないのに、私にありがとうと感謝して。
私はその時、彼が本当に私を愛してくれているのだとようやく気づいたのです。
そしてそれが、私が彼を愛してしまった瞬間でもあったのです。
ですが、私は彼に愛していることを話してもいいのか分かりませんでした。
彼は、本当に『私』という人間が好きなのか。
それとも、『彼を嫌う私』が好きなのか。
もし後者だとすればと思ったら‥‥‥言えませんでした。
この先も、きっと言えないのでしょうね。
何よりもこの幸せが、関係が壊れてしまうことが怖かったから。
だから、私は生まれてきた私そっくりの息子に『樹』と名付けました。
どうか大樹のようにまっすぐに、そして、どうか私達の柱となってくれるようにと。
‥‥‥でも、人生とはうまくいかないものですね。
私の心臓は出産に耐えられるほど、強くはなかったのです。
出産の負担は、確実に私の寿命を縮めていました。
もう一度出産をすれば、命の保証はないと医者にも言われていました。
でも、私はそのことを彼に言いませんでした。
どうしても私が彼を愛していたという証が欲しかったのです。
やがて望んだ通り、彼にそっくりの娘が生まれました。
娘には、佐奈には悪いと思いましたが、命を縮めてでも私達を繋ぎとめる絆が欲しかったのです。
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私は床に散乱するおもちゃを眺めながら、自嘲するように笑みを浮かべました。
「今でも言えないでいる私は、臆病ね‥‥‥」
でも、どうしたらいいか分からないのです。
愛され続ける確証はありません。
だから、私は言わねばならないのです。
この関係を壊さないために、彼を嫌っているかのような態度で、彼を嫌っているように聞こえるような言葉を。
子供達には悪いと思っています。
息子が勘違いしたのも、無理はありません。
ですから、これから少しずつ息子には話していこうと思っています。
私が子供達を望んで生んだのだということを。
彼を、修平を愛していること。
愛しているから、言えないことを。
時間は限られていますが、できるだけ伝えるつもりです。
少なくとも佐奈が十五歳になるまでは。
私達が出会った年齢になるまでは、何としてでも生きるつもりです。
私にしがみついて震える身体は、まだあまりにも頼りなく、すぐに壊れてしまいそうでしたから。
私がいなくても生きていけるまでは、護ると決めたのです。
「ごめんね。ずっと一緒にはいられないけど、一緒にいられる間はずっとそばにいるからね」
窓を開けると、私の呟きは風に攫われて、消えてしまいました。
私が死ぬ日には、いったいどんな風が吹くのでしょうか。
もし吹かなかったら、きっと私の魂は風になって、彼らのもとを訪れましょう。
「だから、その時は泣かないで。耳を傾けていて」
きっと、私の思いが聞こえてくるから。
だから、嘘をついた私を許してください。
これからも嘘をつき続ける私を許してください。
私が修平に愛していると伝えることは、一生ありません。
「―――それでも私は‥‥‥あなたを愛しています」
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誰よりも、何よりもあなたを思う。
これは、偽りのない本当の気持ち。




