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memoir  作者: 翠川 零
3章.確かにあなたを愛していた
3/10

◆確かにあなたを愛していた


―――――●―――――○―――――●―――――



    言えない思い


    言わねばならない虚実



―――――●―――――○―――――●―――――




「ねえ、お母さんはお父さんのことがきらいなの?」



ある日、幼い息子がこう私に訊いてきました。


「どうして?」と訊き返すと、息子は困ったように考えこんでから、「だって、へんなんだもん」と答えました。



どうやら息子も、私達の歪な関係をおかしいと認識し始めたみたいです。



「そうね、あなたには教えてあげる。少しお話を聞いてくれる?」



幼い息子にどこまで理解できるかは分かりませんが、私は少し昔話を語ることにしました。




―――――●―――――○―――――●―――――




私が彼に、修平(しゅうへい)という人間に出会ったのは、九年前。


そう、高校に進学してすぐのことだったの。



学費免除の優待生枠を必死で取った貧しい私と違って、彼はIT業界で有名な会社の社長息子で、いつも彼の周囲にはたくさんのひとがいた。



奇しくも正反対とも言える私達は、同じ学舎の同級生として出会ったの。



これはね、偶然にしか過ぎなかった出会い。


そう、何億何千以上分の一の確立で渡したに出会ったに過ぎないはずだったわ。




でも、今思えば偶然ではなかったのかもしれないね。


運命という言葉はあまり好きじゃないけれど、この出会いは運命だったと思うこともあるわ。



ええ、そうよ。


お父さんにも聞いたことがあるでしょう?



一年前に新設されたばかりの、まだ新しい匂いのする校舎。


その端っこに位置する教室で。



そこで、出会うはずのないくらい低い確立で、私達は出会ってしまったの‥‥‥。




―――――●―――――○―――――●―――――




彼は跡取りとして生まれ、ずっと決められた平坦な道を歩いてきたひとだった。


上に立つ者に相応しい教養、人柄、発言力。



ああ、難しかったわね。


ごめんなさい。



お父さんが仕事をしている時と、あなたと佐奈と遊んでいる時とじゃ、全然違うでしょう?


そういうことよ、(いつき)



それと、前に私のことを話したでしょう?


お父さんは私と違って、望めば全てを手に入れることができる、恵まれた世界のひとだった。



でもね、彼はそのことをよく思っていなかったみたい。



ええ、そう。


誰にでも平等で、どんなことにも完璧な自分を演じていた。



彼は自身を人形に見立て、必要なこと全てを『演技』し、定めた正しい者であろうとして。


本当は、心を殺すのが嫌で、それでも『演技』をして生きるしかなかったの。



私は決してそれをかわいそうだとか、哀れに思ったことはなかった。


私もそういう目で見られた時、嫌だったからね。



だから、私は彼の『演技』を黙って受け入れていた。



最初は私に他のクラスメイト達と同じように、平等に接してくることを面倒だと思っていたんだけどね。


それ以上にも、それ以下にも思ったことはなかったわ。



私の彼に対する認識は、最初はその程度のことだった。


全然特別に感じたことは、なかったの。



私が育った家のことも話したわよね?


‥‥‥そうよ、とっても貧しかったわ。



でも、裕福な家庭に生まれた彼を羨んだことは一度もなかったの。


常に貧しく、時には食べるものすらない生活を送っていたけれど、私の両親を恨んだこともなかったわ。



でもね、いつかは温かな家庭を持つことを夢に見ていた。


あくまで『普通』の幸せを得るために。



私は『普通』を目指して努力を続けながら、あの時まで生きてきた。


間違っても『普通』とかけ離れた彼―――あなたのお父さんと関わり合いを持たないように。



でも、私は一つミスをしてしまったの。



違うようで、同じ苦しみを持つ者同士、通じ合う何かがあったのかしらね。



特別な感情は何もない普通のクラスメイトとして接していれば、きっとあんなことにはならなかったのに。


あの時、私の前に道は二つあったの。



偶然二人きりになった時、彼の話を聞かずに帰っていれば。


一生彼と関わり合うことはなかったんでしょうね。




―――――●―――――○―――――●―――――




私はいつも放課後に一人教室に残り、成績を落とさないため授業の予習復讐をしていたの。


家ではとても落ち着いて勉強なんてできなかったし、あの日も先生達が帰るまではずっと机にかじりついて勉強をするつもりだった。



でも、あの日だけは一人じゃなかったの。


そう、彼も、修平も教室に残っていたの。



いつも車で送り迎えされている彼は、まだ迎えがこないんだって。


訊いてもいないことを答えたわ。



ひどいでしょう?


私は勉強したかったのに、自分がヒマだからって話し相手になれって言ってきたの。



『そんなに勉強をして、君は何をしたいの?』



そんなことを言いながら私の机を覗きこんで、邪魔ばっかりしてね。


最初のうちは頑張って勉強してたんだけど、ずっと話しかけてきて、勉強にならなかったわ。



適当に相槌を打ってあげてたんだけど、飽きたのか頬杖を突いてこう言ってきた。



『君は誰にでも平等に冷たいね。君の心は氷でできているのかな?』



ムッとしたわ。


どうしてそんなことを言われなくてはならないのかってね。



だから、私も言ってやったわ。


『あなたはまるで、愚かな道化師が、欠場した人形士の代わりに見苦しく人形を操っているかのようなひとね』、って。



そしたら、目を真ん丸にして私を見てきた。


そうね、少し間抜けな顔をしていたわ。



え、想像できない?


ふふ、鏡を見てごらんなさい。



あなたは顔や性格は私似だけど、驚いた時の顔はお父さんにそっくりだから。



そう、今のあなたとおんなじ顔をしていたのよ。



あの時の彼の驚いた顔は、今でも鮮明に覚えているわ。


かなりショックを受けたみたいで、しばらく口を半開きにして固まっていたから。



親にも見抜かれたことがなかったのに、誰にも見抜かれない自信があったのに。


どうして君には分かってしまったのかなって。



あとから一方的に教えてくれたんだけどね。


バレバレだったって言ったら、またあの顔をされたわ。



それが不思議で、おもしろくてね‥‥‥。



忘れようにも、忘れられないの。


あんなに驚いた顔をしたひと、生まれて初めて見たから。




―――――●―――――○―――――●―――――











きっとあれが、私が道を踏み外した瞬間だったんだと思う。











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