◆僕が好きだった君
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君は僕を嫌い
僕はそんな君を
愛していた
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僕が君に出会ったのは、二十二年前。
まだ、お互い高校生になったばかりだったね。
君は、ただの優秀な優待生。
僕は、ただの有名なIT業界の社長息子。
お互いの家の都合で入った高校での、偶然にしか過ぎなかった出会い。
何億何千以上分の一の確立で僕らは出会ったに過ぎない‥‥‥はずだった。
でも、僕は思ってしまったんだ。
これは、運命だったんだって。
一年前に新設されたばかりの、まだ新しい匂いのする校舎。
その端っこに位置する教室で。
そこで、出会うはずのないくらい低い確立で、僕らは出会ってしまったんだから。
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君はどうしようもない親達に頼らず、一生懸命取得した優待生枠で高校に入った優秀な生徒だった。
借金をしては返し、また新たな借金を作る。
そんな親達の生活を見て育ってきた君は、曲がるどころか並大抵の衝撃では歪むことすらない鉄骨。
それに引けをとらないまっすぐな人間だった。
なんでも努力で勝ち取ってきた強い少女。
誰にも頼らない、信じることもしない。
いい意味でも悪い意味でも平等なヒト。
最初、君に対する僕の認識はそんな程度だった。
君はそういう認識をする僕をどう思っていたのかな。
たまたま父親の仕事の都合で帰国し、適当なレベルだと思った高校に入った有名なIT業界の社長の息子。
苦労を知らない、親から与えられた楽で平坦な道をのんびり歩くお坊ちゃんだと思っていたのかな。
‥‥‥そうだね。
確かに僕は決められた平坦な道を進んでいたよ。
逆らったりせず、役目を演じてきたよ。
でも、君が当時僕をどう思っていたかは分からないけれど、僕は定められた運命が嫌で嫌で仕方がなかったんだ。
僕が有名なIT業界の社長息子だと知っている奴らは僕を見て媚びへつらい、期待した視線をする。
少しでも印象をよくして自分の会社を宣伝するのに必死に取り入ろうとする。
僕を知らなくても、表面上だけの身長と容姿に惹かれてヒトは集まってきた。
僕は期待を裏切らないように演じてきた。
どんなに嫌な相手にも、どんなにつまらない人間にも、『普通』に接してきた。
優しそうな笑みを顔に張りつけ、期待通りの『僕』を演じ続けた。
誰も『僕』を見て演じているなんて思わない、完璧な人間を『演じ』続けてきたはずだった。
槊弥。
君に見抜かれてしまうまでは。
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ずいぶん君には驚かされたものだよ。
だって、君は。
僕が今まで誰にも悟られないような完璧な『演技』を、最初から『演技』だと見抜いていたから。
誰にも、親にすら見せたことのない本当の僕の姿を。
僕のことを、生まれた日から今まで、まるでずっと神様のように見てきたかのごとく僕にこう言ったのだ。
『あなたはまるで、愚かな道化師が、欠場した人形士の代わりに見苦しく人形を操っているかのようなヒトね』、と。
自分があの時のあの場所に立っていて、君の口が淡々と呟く姿が目に浮かぶくらい、今でも鮮明に覚えている。
かなりショックを受けたからね。
忘れようにも、忘れられない。
あんなに驚いたのは、生まれて初めてだったから。
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きっとあれが、僕が君に惚れてしまった瞬間だったんだと思う。
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「―――はい。ええ、構いません。お願いします。では、後ほど‥‥‥」
携帯電話の電源ボタンを押し、葬儀社との電話を終わらせる。
ため息を呑みこみ、屋上から血の色に染まったかのような夕日をぼんやりと見つめていると、「‥‥‥父さん」と声をかけられた。
振り返って相手の顔を見て一瞬驚き、しかし、すぐに現実に引き戻されて自嘲した。
「ああ、樹。どうかしたか?」
「‥‥‥母さんだと思っただろ、父さん」
「‥‥‥しょうがないだろ。お前達は、本当にそっくりなんだから」
その言葉に息子が泣きそうな顔で睨んでくる。
そして、息子がそんな表情を浮かべたことに、何の心構えもなく振り返ったことを僕は酷く後悔する。
「分かっているよ。槊弥は、死んでしまったって。でも‥‥‥」
三年間昏睡状態でも暖かかった彼女の身体が、徐々に冷たくなっていくのを確認した。
脈も呼吸もないことを、確認した。
嫌そうな顔をしながらもそばにいてくれていた彼女が、もうそばにいてくれないことを自分に言い聞かせたのに。
それなのに、まだどうしても心が彼女が死んだことを受け入れてくれないのだ。
「‥‥‥なあ、樹。佐奈は母さんのそばにいるんだよな?」
「ああ。ここにいるのは、俺だけだよ」
「そうか‥‥‥」
手摺りにもたれかかり、僕は微笑を浮かべてから赤く染まった空を見上げた。
「‥‥‥道が混んでいるらしく、迎えが遅くなるんだそうだ。少し‥‥‥独り言に付き合ってくれないか?」
「いいよ。あなたの息子は妹と一緒に母さんの病室にいる。ここには、父さん―――いや、『修平』という人間しかいない」
「‥‥‥‥‥‥ありがとう」
僕は過去を振り返るかのように目を閉じ、数秒沈黙してからゆっくりと口を開いた。
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槊弥、僕はね。
僕の欠片も楽しくない、つまらない人生の中で、君みたいな人種に会ったことがなかったんだ。
皆が僕に優しくて、優しさの見返りを求めてくる奴らばかりだった。
必要なのは『修平』という人間じゃなく、あくまで僕の立場。
皆が欲しいのは、僕の『家』の権力から生み出される何か。
『修平』という人間が必要ないなら、『僕』は感情を捨て、考えることを止め、誰にでも平等に理想像を演じる他ないじゃないか。
誰にも気取られないように。
ずっとそうやって生きてきた。
そうしていたのにも関わらず、君は出会って数日で、簡単なパズルを解くかのようにあっさりと僕の演技を見抜いてしまったんだよ。
僕が君に興味を持つのは必然だったとは思わないかな。
まあ、今にして思えば、あれは一目惚れ以外の何物でもなかったわけだけれど。
そう、あの時の僕は、経験したことのない感情に、狂っていたから。
愚かな罪を犯した。
そう、僕の最初の罪。
君が僕を憎んだ理由。
君が僕に一度も好きとも、愛しているとも言ってくれなかった原因。
僕は君の両親に多額の金を渡して、君の人生を買った。
僕は欲のために、君の人生を滅茶苦茶にしてしまったんだ。
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君に嫌われることも、憎まれることも重々承知の上だった。
十分すぎるほど覚悟をしていた。
人身売買のようなことをしてまで、君が欲しかったから。
そばにいてほしかったから。
そうして始まった、僕にとって望んだ、君にとっては望ない生活。
君には悪いと思ったけれど、君がそばにいてくれるようになって、退屈で嫌だった生活を忘れてしまうくらいとても楽しかったよ。
‥‥‥でも、君と過ごすうちに、僕は君への恋心に気づいてしまった。
一生気づかなければ、これ以上誰も苦しまなかったのに。
僕はどうしようもないくらいに、君が好になってしまっていたんだ。
君を愛しているんだ。
そう言うと、君は怖い顔をして、『ありえない』と呟いたね。
少し、悲しかったな。
結局君はいつもより数段嫌そうな顔はしていたけど、抵抗せず僕と結婚してくれた。
君にそっくりの息子と、僕にそっくりの娘を生んでくれた。
唯一僕に言ってくれた夢を、幸せな家庭を持つという夢を叶えることができたと、君は二つの宝物を抱えて幸せそうに微笑んでくれた。
その幸せそうな微笑みがうれしくて、幸せで。
僕にとって子供達は本当にいとおしくて、何にも代えられない大切な存在となった。
僕は君に感謝した。
あれきり相変わらず僕には微笑んではくれなかったけど、愛しているんだと言っても嫌そうな顔をされたけど、僕はとても幸せだった。
君がいて、樹が、佐奈がいて。
充実した毎日を君達と過ごしていった。
君達がそばにいてくれれば、他に望むことは何もなかった。
‥‥‥それなのに、嘘だろう?
こんなの、あんまりじゃないか。
君は二度の出産で酷く心臓に負担をかけていたことを僕に黙っていて、それが原因で倒れてしまった。
僕が知った時にはすでに手遅れで、君は一年の入院治療の甲斐なく、三年間眠り続け、そして今日。
どんなに望んでも、この手が届かない場所に。
君は別れの言葉すらなく、行ってしまった。
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「気づかなければ、愛しているなんて言わなければ‥‥‥いや。僕と出会ってさえいなければ‥‥‥‥‥‥」
少なくとも槊弥は自力で手に入れた幸せの中にいられたのではないだろうか。
結局、僕は彼女にありもしない愛を求めて、彼女を縛り付けていただけだ。
好いてくれるはずも、愛してくれるはずもないのに。
ただ、一言愛しているという言葉を聞きたいがために、彼女を苦しめ続けた。
愛するひとを苦しめ続けたのに、聞きたかった一言すら聞けなかったことに今でも苦しんでいるなんて。
本当に、自分がどうしようもない人間なんだと痛感する。
空から視線を戻すと、息子がものすごい勢いで睨み付けていることにようやく気づく。
「‥‥‥やっぱり、話すんじゃなかったな。樹にまでそんな顔をされるなら」
自嘲ぎみに笑うと、さらに樹は唇を強く噛んで震えだした。
「―――やっぱり、父さんは気づいてなかったんだな。何一つ」
「‥‥‥‥‥‥樹?」
「母さんは絶対黙ってろって言ったけど。何があっても父さんにだけは言うなって言われたけど‥‥‥。やっぱり言わなくちゃ伝わらないよ母さん」
樹は顔を上げ、僕の胸倉に掴みかかってくる。
「父さんは愛してくれていないなんて言うけどな。母さんは、ちゃんと父さんを愛していたんだよ。だから言えなかったんだ、愛しているって」
「‥‥‥え?」
僕は目を見開いた。
そんなはずはない、あるわけがない。
「何、で?どうして、愛してくれていたなら、愛しているって言ってくれても‥‥‥」
「俺だって訊いたさ。そしたら、『修平はね、媚びたりしない、むしろ彼を嫌う私が好きなの。それなのに、愛しているなんて言えるわけないじゃない』って」
「そんな、こと‥‥‥」
何てことだろう。
どうして、気づけなかったんだろう。
もし本当に彼女が僕を愛してくれていたなら、いったいどんな気持ちでいただろう。
愛しているって態度にも現すことも許さず、彼女はずっと僕を嫌いなフリをして。
‥‥‥ああ、そうか。
そうだったんだ。
気がつくには、あまりにも遅すぎたんだ。
「‥‥‥そうか。僕達は、この関係が崩れてしまうことが、怖かったんだ」
僕は彼女に愛していると気持ちを押しつけておいて、彼女の気持ちを訊くのが怖かったんだ。
彼女も、僕を嫌う自分が好きなのだと疑わず、愛していると伝えて愛されなくなるのが怖かったんだ。
もし、そうだったのだとしたら。
「僕達は何て愚かだったんだろうね」
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僕達はすれ違ってばかりだったね。
ごめんね、槊弥。
何一つ分かってあげられなくて、ごめんね。




