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「‥‥‥はぁ、失敗した」
私は一人でとぼとぼと通学路を歩いていた。
いつもは友人と一緒に行っているのだが、今日は彼女が日直で早く行くというメールを昨日もらっていたことを忘れていたのだ。
朝学がない日も必ず朝学に間に合う時間に行くのがポリシーの友人で、それに感心した私は早く起きる努力を続け、談笑しながら登校するという日常を続けていた。
その日常が染みついてしまったせいで、何の用事もないのに早く家を出て、一人で寂しく登校するという間抜けなことになっている。
どうりで目覚まし時計が鳴らなかったはずだ。
「佐奈さんには話しておいた気がするのに‥‥‥。どうして何も言ってくれなかったのかな」
母に言うより彼女に言った方が間違えた時に教えてくれるのに。
間違えて起きるだろうことを予想して佐奈さんに言ったのだが、彼女は指摘してくれなかった。
それどころか、急かすように私を送り出してきた。
今までこんな間違いをしたことがなかったし、とてもしっかりしたひとだとしか聞いたことがなかったのだが。
「‥‥‥変なの」
空を見上げながらそう呟いて角を曲がろうとすると、「わっ」と少年の声が聞こえてきて、本能的にぶつからないように慌てて身を捩る。
激突は免れたが、突然死角から現れた少年に驚いて弁当箱を落としてしまった。
少年の方も持っていた荷物を落としたらしく、私達の足元には彼の鞄と筆記用具などが散乱していた。
私は慌てて彼の荷物を拾う。
「ごめんなさい。大丈夫?」
勢いよく曲がったのは私だし、よそ見もしていた私の方が悪い。
自分も弁当箱を落としたが、こちらは中身が軽くシェイクされた程度だろう。
それより、彼の持ち物に壊れやすいものがなかったかの方が心配だ。
それにここは道路だし、車の通行に迷惑するだろう。
急いで拾っていると、今まで驚きに固まっていた少年が我に返ったようにかがみ、申し訳なさそうに自分の鞄を拾い上げた。
「大丈夫?壊れやすいものとかなかった?」
拾い終えた物を彼に手渡しながら問うと、彼はにっこりと微笑んで首を振った。
どうやら壊してしまったものはなかったらしい。
ほっとして自分の弁当箱を拾おうとすると、少年と目が合った。
「―――あ、れ?」
優しく微笑む彼の顔を見た瞬間、私の頬を涙が伝っていった。
「え?な、に‥‥‥どうして?」
拭っても拭っても涙は止まることを知らず、私は驚くことしかできなかった。
きっと目の前の彼も驚いているだろうと思って無理にでも涙を止めようとするのだが、涙は止まってくれない。
理由も分からないまま泣き続け、どうしたらいいかと顔を上げると、彼は驚くどころか優しい微笑みを浮かべたまま私を見ていた。
ああ、どうしてだろう。
初対面のはずなのに、どうしてこんなにも懐かしいと思うのだろう。
どうしてこんなにも彼を愛おしいと思うのだろう。
しばらく黙って見ていた少年がゆっくりと手を伸ばし、私の涙を少しずつ拭い始めた。
それを拒むことなくされるがままになっていると、
「久しぶり‥‥‥いや、はじめましてだね」
開かれた口から発せられたのは、聞き覚えのある声だった。
間違うはずのない、夢の中で何度も聞いてきた大好きな『彼』の声だ。
「しゅう‥‥‥へい‥‥‥?」
訳の分からないまま呟いていたその言葉に、少年はゆっくり首を横に振る。
「僕の名前は、修。水沼 修だ。修平は曾祖父にあたる」
「私は‥‥‥葛城 咲夜。『花の咲く夜』と書いて、咲夜」
「咲夜、か。いい名前だ‥‥‥」
少年―――修が言い終わる前に私は彼に抱きついた。
すると、修は始めて面食らったように一瞬身体を固くして、やがて力を抜いて優しく抱きしめ返してくれた。
「‥‥‥元気に、してたかい?」
「うん」
「ご両親は君を大事にしてくれているかな?」
「うん、とてもいいひと達よ。いつも幸せそうに笑っているし、それを見るのが私の幸せなの」
「‥‥‥そっか。僕の両親もすごく仲がいいんだ。時々見てて恥ずかしくなる」
「ふふ、私もそう思うことあるわ」
二人して笑い始めると、いつしか涙は止まり、私達はお互いの顔が見えるように身体を放す。
「不思議だね。君に会えたことは奇跡に近いはずなのに、こうして実際会ってみると、会えて当然だという気もするんだ」
「当たり前よ。だって、私は‥‥‥」
そうだ、やっと思い出した。
私は言えなかったあの言葉を言うために、ここに生まれてきた。
生まれる前に『彼女』と約束した。
今度こそ伝えることができるように。
そして過去に区切りをつけ、授かったこの命を、新しい人生を幸せに生きられるように。
「ねえ、『修平』。『私』ね、あなたに伝えなくちゃいけないことがあるの」
「奇遇だね。実は、『僕』も『槊弥』に言いたいことがあるんだ」
真っ正面で向き合うように立ち、『私達』はお互いの目を見つめる。
『彼』が手を差し出すと、『私』は『彼』の手に自分のそれを重ね、強く握る。
まるで、何かを誓い合うかのように。
まるで、確かめ合うかのように。
そして『私達』は何の合図もなく同時に口を開いた。
「『私』は『あなた』を愛していました」
「『僕』は『君』を愛していました」
これは、『私達』が言えなかった気持ち。
言いたくても、言えなかった本当の気持ち。
そして、過去との決別。
―――ねえ、槊弥さん。これでよかったんだよね?
そう心の中で問うと、一陣の風が優しく私を包むようにまとわりつく。
そして、私の一部の心を抜き取って、遥か彼方の空へと帰っていった。
「‥‥‥さようなら。ありがとう‥‥‥」
あなたの記憶をはっきり覚えてはいないけれど、あなたがずっと私の中にいて、彼に出会えるように見守ってくれていたんだよね。
思えば、私が彼らの話を聞きたがったのは、当然のことだったのかもしれない。
無意識に私の心の一部が求めていたのだろう。
きっと心にぽっかりと開いた穴は、すでに私の一部になっていた槊弥さんの心。
なくなってしまったのは悲しいけれど、これで私は、私達はやっと前に進むことができる。
再び流れてきた一筋の涙を拭うと、同じように修が自分の涙を拭っているのが見えた。
彼も修平さんとお別れをしたらしい。
「さよなら、過去の僕。そして、はじめまして咲夜」
「はじめまして、修」
今、私達は本当の意味で始めて出会った。
この出会いが、どうか永遠にいいものでありますように。
私達はそう願って、再び誓いを口にした。
「僕、水沼 修は―――」
「私、葛城 咲夜は―――」
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『あなたを永遠に愛しています』
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まずは無事に書き終えたことに喜んでいます、作者です。
なんとなく悲しいお話を書きたいなあと思い、去年1章を書き、「うん、いいんじゃね?」と納得して終わる気満々でした。
実のところ、続きを書く気はほとんどありませんでした。
しかし、読み返すうちに修平さんがあまりにも気の毒だということで、急遽書き足すことにしました。
大学の部誌にあまり協力できてなかったんで、じゃあそっちで連載しようと5回に分けて書き、こんな感じに落ち着き、少々ほっとしています。
樹君がかなりエスパー的な不思議キャラになっていますが、まあ、そこはいろいろ槊弥さんに聞いていたからということにしておいてください。
このお話はここで終わりです。あとは咲夜ちゃんと修君次第。
きっと今度こそ幸せになってくれるでしょう。
それでは、皆様。ごきげんよう。
機会があればまた私の作品を読んでくださいね。
2012.11.16




