狂気集団《四》
息をすることすらも忘れ、ただひたすら全力で駆けた。敵前逃亡がなんだ?つまらないプライドの為に容易くくれてやる命はない。
「…追ってくる……か?」
罠である可能性も考慮し、警戒こそしていたもののその間も背後はずっと静かだった。どうやら本当に追ってくる気がないようだった。
(おかしな奴らだ………)
体力の続く限り走り抜いた後、ようやく安全を確認した所でアーガイルは足を止めた。クリスティーナもそれに倣い、走るのを止める。急に止まると途端に息苦しさが込み上げくる。不足した酸素を補おうと、肩で息をした。そうだ俺は体育会系ではない、むしろ非戦闘員を自称するクリスティーナの方が息ひとつ乱れていない。鼻唄を歌いながら化粧直しを始めるこの様だ。
「これからどうするの、アーちゃん。隊長はどこに行ったかわからないし、ターゲットを仕留め損なった挙げ句に逃げてきただなんて。何て言い訳するの?」
「言い訳は無しだ。単なる手駒でしかない俺たちに失敗は許されない。このまま帰ってたとしても処罰は免れんだろうな。最悪命もないかもしれん」
「えーっ、私嫌よ」
そんなのこっちだって嫌に決まっている。
「嫌なら逃げるなり好きにすればいい」
冷たく突き放すと、クリスティーナは頬を膨らませてそれに抗議した。
「酷ーい、そういう言い方はないじゃない?」
「だったら…―」
「そうねぇ、まずは隊長を探しましょ?」
「なんだ、わかってるじゃないか」
文句を言う割には案外冷静な女である。そう、まだ終わりではない。生きてさえいる限り、チャンスは何度でも巡ってくるのだから。
「でもさ、アーちゃん。隊長がいたら、私たちってあいつらに勝てたのかなぁ…」
「……さぁな」
言って眼鏡のブリッジ部分を中指でくいと押さえ上げる。最近国軍では女王による部隊編成の大きな改変があったという。そんな折で、国軍はこの采配をよしとしない反乱分子が湧いて、まだ内部がごたごたしているようだ。フェイクの情報も、名前程度の簡易な情報にすぎないものの、金で雇った反乱分子から得た情報でもある。
だがそれでも、女王が直々に選任しただけあってやはり敵は強い。しかもまだ全員その全ての力、能力を見せたわけでもない。確かにあの男グレイは破格の強さを持つが、1人加わったところで、戦況が変わるものだろうか。
「だが、負けるつもりで挑む馬鹿はいない」
「それはそうね…。愚問だったわ」
仮に勝てなかったにしても、自分たちが安全に逃げる為の盾くらいにはなってもらうつもりだ。それに、クリスティーナには伝えていないが、そもそも任務は正規軍第一部隊の壊滅という具体的な指令までは出ていない。女王陛下率いる王国軍への損害を与える事であり、しかもその為の手段は問わない。つまり正攻法で敵わなかったとしても何も問題はない。第一部隊とやりあうのが厳しいなら他を落とす手だってある。
「そうとなったら意地でも奴を探し出すぞ」
「うんっ。それで、そう言うからには勿論行きそうな場所に心当たりはあるのよね?」
「………………」
「ないのね」
ないわけないわよね、の笑顔から一転クリスティーナの冷めた声に、返す言葉を失うが、暫し考えてからあることを思い出す。
「そう言えば……………!奴はこの任務を利用して国軍に所属する自分の姉を奪取しようと企んでいるらしい
。ということはだ、そいつの居場所に必ず奴は現れる。まぁ所属すら知らんが」
「うーん、どうかしらねぇ……。隊長、少し方向音痴の疑惑があるから。それにしても、隊長のお姉さんって一体どんな人なのかしらぁ。あれだけ執着してるのだから少し気になるわ」
「ふむ、少しだけ話を聞いたことがある。なんでも、昔片目を失う怪我を負ったものの、今もなお前線で活躍する軍人だという話だ……………あっ…!」
そこまで言うとアーガイルは黙り込み、クリスティーナも同じように沈黙した。今二人の脳裏には同じ人物がいた。それもたった数十分前の記憶の中にいる人物という事実に文字通り凍り付いていた。眼帯の女軍人なら今日二人も会っているではないか。しかもそのうちの一人は隊長グレイ・ハーネスと同じ銀色の髪色を持っていたのではなかったか。
―――――最悪だ…。
「ちょっと待ってよ、それって……あれよね、もしかしなくても…―あの泥女のことよね!あんの小娘、次に会ったら絶対に許さないんだから!きぃいいいいっ!」
驚きよりも、何よりも衣装の恨みが先に勝つクリスティーナを、アーガイルが制止する。
「大声を出すな、クリス。頭が痛い」
隊長を見失い、敵軍には敗れ、果ては遭遇した重要人物にも気付けなかったなど、考えれば考えるほどに具合が悪くなってくる。頭痛が酷く、さらには耳鳴りもする。そういえば胃もキリキリと痛む。深く息を吐き、胸元のポケットに手をやる。隠し持っていた小瓶を取り出せば、中から2粒の錠剤を掌にのせてそれを押し込むように飲み込んだ。すこぶる調子は悪いが、それは何らいつも通り。事が思うようにいかないのもまぁまぁいつも通りだ。
その頃、他人の憂鬱など知りもせぬ、この男グレイ・ハーネスは城下から少し離れた木々の中に1人佇んでいた。紫と水色の二色の瞳が城の構える方角を睨む。
「姉さんは……そこにいるの?」
本当なら今すぐ向かいたい所だったが、果たさなければならない義理が寸前でそれを押しとどめていた。しかしその為には連れと合流する必要がある。グレイは連れであるアーガイルとクリスティーナを任務開始早々に見失って離れ離れになっていた。と言うのも、自分たちの後をつけ、探っているらしき人物がいたからだった。
「どうにも邪魔ばかりはいる」
もう近くまで来ているはずなのに、未だ届かないことに苛立ちは募る。もうすぐだ、もうすぐだから、邪魔するやつは全員殺す。
気がはやれば自然と殺気立った。
「あー、いたいた隊長ーっ、もーっ今までどこで何やってたのよぉ!?こっちは大変だったんだからぁ!?」
思いの外早く見慣れた姿を確認し、嬉々とした様子で高くあげた手を左右に大きくをふる。それもこれもこの男がただならぬ殺気を放ってくれたおかげだ。
クリスティーナの甲高い絶叫にも、『隊長』と呼びかけられた男は動じない。まだ若いその男は興味なさそうに、何が?とこちらを一瞥するだけだった。
「隊長のあんたがそんなんじゃ任務なんかうまくいくはずもないな」
先刻の出来事の腹いせにアーガイルが皮肉たっぷりに睨んでも、やはりこたえる様子はない。
「任務?あぁ国軍をぶっ潰せばいいんだろ?爺に言われた通りにやってるよ」
「?」
見れば男が身に纏っている衣服はあちこちが血で汚れていた。だが、本人は全く怪我をしている素振りを見せない。だとすれば、これは全て他人の血ということだ。ここに来るまでに他の何者かを切り捨ててきたということだろう。
「途中、此方の様子を伺っている怪しい奴がいたから、気付かない振りをして誘い出してから始末してやった」
「一人か?」
「最初は一人だったな。後から仲間みたいのが来たからそいつらもまとめて殺った」
「!!それは国軍の人間だったのか?」
「…………知らん」
「えっ、知らんって、誰かわからない奴を殺したのか」
「俺をつけくる奴だから多分そうだろう」
悪びれもせずに言ってのける男に深いため息しか出ない。
「はあぁぁぁぁぁ、そうかもしれんが。これで向こうには警戒されて仕事がしにくくなるな」
「別にいいだろ。全員殺せば」
その男グレイ・ハーネスは瞳孔を開いた状態の瞳で口の端を吊り上げて笑った。