狂気集団《三》
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その女は物陰でこの一部始終を見守っていた。自分がここに身を潜めているのはもう気付かれているようだったが、幸い特別気にかけられているわけでもなく、自分の出る幕がなければそれにこしたことはない。とにかく面倒ごとは御免だった。何故なら自分は非戦闘員なのだから。
(アーちゃん頑張れっ)
不安そうに見つめる。生憎、事態は面倒なルートに真っ直ぐ突き進んでいる。もう後戻りはできそうもなかった。ならばこのまま1人で逃げてしまおうかとさえ思ったが、どうやらそれすらも遅かった。
「ねぇ、あなたも倒していいの?」
「え?」
女は既に「獲物」として認識されていたのだ。声と共に突然殺気を感じ取り、驚いた女は慌ててそこから飛び退いた。狩人は狙いを定め、矢の如く襲撃する。
ドゴッ。
標的から外れた鋭い蹴りが、たった今まで女がいたその場所を大きく削り取り、土が大きく飛び散る。寸前で難を回避したものの、その結果茂みから大きく飛び出す羽目になった。
「来たか、エレノア」
戦闘員たちの前に飛び出してしまったこと、そんなことより女は気掛かりなことがあった。思わず絶叫する。
「きゃっ、何すんのよ。いきなり危ないじゃない!私はか弱い非戦闘員なのよ!?」
甲高い声が耳に障る。おそらく、耳に障ったのは音の高さそれだけではない。彼女から発せられる、その違和感だった。
「え、そうなの?ごめんね。あっちの眼鏡の人はフェイクが1人で相手するみたいだったから」
「あぁぁぁぁ!!ちょっとやだぁ、服に泥がついちゃったじゃなぁい、どうしてくれんのよ!この服卸したてなのよ!?ねぇー、アーちゃん、これとれないんだけどー!?」
女の気掛かりは見事に現実のものとなっており、エレノアの弁解を遮るように、二度目の絶叫が響く。サイレンか、はたまたスピーカーか。エレノアは勿論、他の3人に加え、アーガイルまでもがその眉間に皺をよせた。
「だからあれほど教団服を着ろと」
「嫌よ、あんなださいもの」
見れば女は胸元の大きく空いた黒のミニドレスに、腕はレースの黒いオペラグローブ、高いヒールを履いた姿で、確かにそこに戦闘に参加する意思は見てとれなかった。暫くは新品の衣装に付着した汚れを落とそうと躍起になっていたが、やがてその手を止めた。わなわなと震えながらエレノアに向き直れば、怒りの眼差しが射貫いた。
「元はと言えば貴女が非戦闘員であるこの私に攻撃を仕掛けてきたことが原因なのよね。絶対許さないんだからぁ!」
「戦ってくれるの?」
女に殺気を向けられているにも関わらず、エレノアは嬉々としている。その左の拳を突き出した。今度は女は避けずに拳を右手で受け止めた。
「!」
「クスッ、捕まえたぁ」
女は空いている左手でエレノアの首を鷲掴みにする。それを右手で振り払おうとするも、喉に沈んだ細い指は頑として動かなかった。ならば…―――
「ぎゃ、だからやめなさいって言ってるでしょ」
―自分の最大の武器である足を使うまでだ。足技はさすがに直接受けたくないのか、女はエレノアの首から手を離して突き飛ばす。距離を取った。
「けほっけほっ……………びっくりしたぁ」
(やっぱり強いじゃない?何で戦っちゃ駄目なの?)
戦い甲斐はありそうなのに、それはだめだと言う。エレノアにはそれが解せなかった。無論、それはエレノアに限ったことではない。
「………アイツ、本当に非戦闘員か…?エレノアとやりあえる奴は普通じゃないぞ」
「………自称だ、自称。見ればわかるだろ」
フェイクからの指摘に仲間をフォローするでもなく、アーガイルも呆れたように呟く。
すると、フェイクが自分を凝視していることに気付いたクリスティーナはハッとする。途端に乱れた髪を整え、鬼の形相から一転好意的な笑みを繰り出す。そして、あの高音の甘ったるい声。
「初めまして、フェイク・パーカー。私がクリスティーナ・ロードよ。クリスって呼んで頂戴。あの、勘違いしないで欲しいんだけど、私は非戦闘員のか弱き乙女よ?事前に変な誤情報持ってるかもわからないけど、間違っても外に流さないようにねっ!」
己の何らかの情報を持っていそうなフェイクに釘をさす。顔は笑ってはいたが、そこには物を言わせない圧があった。目の前でさらけ出してしまった己の戦闘力すらもなかったことにして、飽くまでも非戦闘員で押し通すつもりらしい。
「おい、自己紹介なんかしてる場合じゃないだろ。それよりクリス、アレはどうした」
アーガイルが横入りし、催促するように目配せをする。それに対しクリスティーナは巻き上げた明るい茶色の髪をいじりながらやや気まずそうに視線を逸らした。
「えっとその、あのね。ごめんなさい、アーちゃん。言いそびれてたんだけど、実はさっきからその…隊長の姿が見えないのよね………」
「なに………………またか…………」
アーガイルはギクリとして、一瞬押し黙る。気配を感じないとはずっと思っていたが、それは気配を消しているだけだと思っていた。迂闊だった。このようなことは今回が初めてではないのだが、今この重要な局面でまるで役に立たない自分の『隊長』に怒りすら感じる。だが、怒りたくとも今はその相手がいない。何か案を考える時間を稼ぎたくてじりと後退って、僅かにフェイクとの間合いを広げた。
「何だ?」
逃げの姿勢を感じとったのか、フェイクの眉がピクリと上がる。
「悪いが今日は退散させて頂こう」
「はぁ?はい、そうですかって帰してやるとでも思ってんのか?」
無論アーガイルも予期していた答えだ。目の前にいるのは腹を空かせた獣。獲物を目前にしてみすみす見逃すはずがない。だとすればそれは活路を見いだす為の時間稼ぎにすぎないのだった。だがここで、フェイクの思いもよらぬ一言に困惑する。
「いいぜ」
「なに」
これは予期しない答えだった。当然聞き返すが、やはり同じ言葉が返ってくる。
「いいぜ、行きな。俺の気の変わらんうちに頼むぜ?」
それはあまりにあっさりした言いようだった。かえって懐疑を抱くくらいで、真意を探ろうとその目を見返すと瞳には強い光が宿っていた。そう、この獣の目は狩りを諦めてなどいない。
「だが、次は必ず『隊長』を連れてくることだな」
強めの語気で、ただ逃がすわけでないことを強調する。狙いは飽くまでも『隊長』ということか。
「言われずとも…………。く…っ、覚えていることだ。この借りは必ず返させてもらう!!」
苦々しく呟く。例え捨て駒であろうと、最初から捨てる命はない。生き延びる為ならば何だってするだろう。そこに恥などない。
さらば、と2人の姿が同時に視界から消える。それをエレノアが追おうとすると、フェイクが制止した。
「放っておけ」
「あら、私はエレノアの判断が正しいと思うわ。こんなの知れたら軍法会議ものよ、わかってるの?」
「あぁそうだな」
アシュリーの指摘にフェイクは気のない返事をする。
そう、わかっている。今の第一部隊を快く思っていない者は多い。だから、現第一部隊の失墜を狙う者からすれば、この失態は恰好の的となるだろう。だが、それすら彼らの地位を脅かす障害になるとは考えてはいない。結局実力でしか何も手にし得ない。失態を挽回するにはそれ以上の功績をあげるだけのこと。
「大丈夫だ、多分な」
「呑気なものね」
そういうアシュリーも心配してる風ではなかった。
「奴らはただの駒だ。俺たちの掃討に失敗した時点で、帰ることも出来ないはずだ」
だったら何の問題もないではないか。奴らの狙いは自分たちなのだから、此方から慌てて追う必要はない。また来るのを待てばいい。
だが…―
(隊長ねぇ………。確か、最年少で隊長就任したっていうグレイ・ハーネス……。ハーネス、か)
なるほど、と思う。
因縁を感じると共に、奴等の切札であったはずの実力者のまだ見ぬ戦闘力に期待で胸が躍るのだった。