第一部隊《下》
「おい、まさかここでやるつもりか!?」
「そうだけど…ダメ?」
ニコニコと柔らかな雰囲気を纏いながらも、もともと好戦的な性格なのか、今にも殴りかかってきそうだ。今か今かとうずうずするエレノアにフェイクが慌てたように待ったをかける。それもそのはずで、今彼らがいる場所は元々議事などを執り行う場所であり、決して運動競技、ましてや戦闘することを想定して作られてはいない。特別に狭いわけではないのだが、かと言って十分な広さがあるわけでもない。高い戦闘能力を認められ、第一部隊に配属になった者同士が今ここで真剣に刃を交えるのだとしたら、少なくとも器物の損壊は疑いようがない。問題は果たしてそれだけですむか、だ。
「っくそ、仕方ねーな。どうせ止められたところで聞くつもりはないんだろう?」
「あら、話が早いじゃない」
エレノアではなく、笑わない少女の方が腕を組んだままこれまたにこりともせずに言う。
だったら、とフェイクは不敵に笑う。
「相手をKOさせるか降参させれば勝ちだ。だが、何かしらを破壊した時点でそいつは失格だからな」
「OK」
異議がないことを確認するとフェイクが前に出て指をたてる。クイクイと手招いた。
「まず俺が相手をしてやるよ。エレノア・ハーネス、前所属部隊第5部隊兵卒。2年前に17歳で左目を負傷した軍医にかかったのを機に入隊……今回の抜擢は昨年末の殲滅戦の功績を評価されてのもの」
「ふぇ、私のこと知ってるの?すごーい」
エレノアは驚くより、興味深そうに目を輝かせた。フェイクはそれだけじゃないと後に続ける。
「穏やかな見かけによらず、好戦的な一面も持つ。武器は高速で繰り出す手足で、骨も岩をも粉砕する破壊力とのことだが」
「試してみる?それじゃあ、遠慮なく行くね!」
「いいぜ、かかってこい」
先制攻撃はエレノアから。まずは小手調べのストレートを放つ。右から、そしてすぐ後に左からも拳を飛ばす。それを敢えてフェイクは腕で直接受ける。
「ぐ…っ」
細い手足からは想像もつかない、ずしりとした重い攻撃は骨にまで振動を与える。しかしそれでいて攻撃にはまるで隙がない。なるほど、この破壊力は危険だ。
「やるね、でもこれならどう?」
続いて繰り出されたのは足技。強い蹴りはさらに重そうだ。回転を加えることでさらに威力を増す。これは受けずに後ろへ飛んでかわすと、ごうっと風をきる音がした。
「こいつはさすがにまともに受けると危ねぇな」
「まだまだだよ」
エレノアはその戦いを純粋に楽しんでいた。攻撃の勢いは弱まる気配がなく、フェイクは防戦一方のように見えた。
「いいね、その動き。隻眼だがそれを感じさせない動きは確かに評価が高い。だが…」
―まだだ……。まだ甘い。
フェイクとエレノアでは年齢はさして変わらない。だが、二人は圧倒的に違うのだ。これまでにくぐり抜けた戦場の数が、築き上げた屍のその数が。
「もう、言うだけ?貴方はどんな戦い方をするのかな、フェイク。私にも教えて欲しいな」
「知りたいのなら教えてやるが、これでお前の攻撃は終わりになるぞ。それでもう気は済んだのか?」
ふん、と鼻で笑う。
「え?」
反撃する余地を与えられず、防戦一方のフェイクだったが、その顔は終始余裕めいた謎の笑みを浮かべていた。
このフェイクとエレノアの戦いを離れた所で黙って傍観していた二人も、直に戦況が変化することに感づいていた。
レスターが意味ありげな表情で言う。
「これは勝負ありましたね。攻撃が一つも決まらなかった時点で彼女の負けは確定しています」
「…貴方、知ったような口を聞くのね」
少女は、自分のことのように得意気なレスターを煩わしそうに一瞥する。
「私は過去に一度フェイクと刃を交えていますからね。彼女も悪くはないですが、何せ相手が悪い…」
「あらそう…それなら余計に大したことが無さそうだけど」
「ふふ、あなたも言いますね。でも真偽の程は見ていればわかりますよ」
断言するレスターに、少女はそれ以上何も言わず、ただ戦局を見届けることにする。が、直感的に次の攻撃で全てが決まる予感がした。
「こっちから行くぞ」
フェイクが動く、とエレノアはそう思った。しかしその刹那、彼女の視界からフェイクの姿は見えなくなっていた。
―!!??
それが頭上だと理解した時、フェイクはもう後ろに回り込んでいた。そのスピードは明らかにエレノアをも凌駕していた。
「嘘……」
―反応がついていかない…!?
「紹介が遅くなったな。俺の武器はナイフだ」
たんっ、とナイフが突き出されたのはエレノアの後ろから。それは彼女の真横を突き抜ける。
直後、するりと彼女の左目を覆っていた眼帯が下に落ちる。
「うんっ、見事だよフェイク。私の負けね」
振り返った顔は笑っていた。
眼帯の下から現れた左目は、光のない人形の目が埋め込まれていた。皮肉にもそれが入隊のきっかけになった傷は、塞がってこそいたが、眼球を抉り取られた跡が痛々しく残っていた。
「その傷をつけた奴に興味があるな…。さて、こっちの勝負はついたぜ。次はてめーらだ。………おい、聞いてんのか?レスター」
下を向き、反応のないレスターに半ばキレ加減で言えば、うっとりとした表情を上に向ける。
「あぁ、すみません。うっかり見惚れてました」
途端にフェイクを言いようのない寒気が襲う。思えば、エレノアに応戦している間も異常な熱視線をその身に感じていたが、敢えて気にしないようにはしていた。改めて言及するまでもないが、それもレスターだ。
「あぁそう…。どうでもいいが、早く始めてくれ」
「っと、そうでしたね。それでは宜しくお願いします『隻眼の魔女』さん」
「……………行くわよ」
レスターは少女の反応を見るように言うが、特に彼女の表情に変化は見られなかった。
「おや、否定しないんですね。当たりですか」
「…………人が自分をどう呼ぼうと私には興味がないの。そういった名が、必ずしも的確な表現とは限らないし。それに肝心なのは名ではなく、本質だから」
「ふふ、仰有る通りです。ではとくと拝見させて頂きましょう、その貴女の力とやらを」
レスターが右手を振ると、鞭がしなり、スパンと音を立てて床を走った。レスターはニコリと笑う。
「私の武器はこの鞭です。さて、あなたは何で私を魅せてくれるのですか」
ズガン。
返事の代わりに、銃声が轟く。銃弾は僅かに開いていた窓の隙間を抜い、外へと飛んでいく。
「へぇ…銃ですか。ではこの戦い、貴女の負けかもしれませんね」
「……」
これにはフェイクも同意見だった。
「………この戦い、明らかにレスターが有利だな。銃弾を外したらあの女の負けだ」
「へっ…そうなの?」
場内の器物を損壊させたら失格…―。この規定は少女を圧倒的に不利にする。
だが、一つ気掛かりだったのは、レスターやエレノアと違って、少女の戦闘力がまるで未知数だったことだ。
(「隻眼の魔女」ねぇ……―。さぁ…、どう戦うのか見せて貰おうじゃねぇか…)
「ここで貴女は私を撃てません…わかりますよね」
「あら、確実に当てれば問題はないんじゃない?」
「えぇ、ですがそんなことはさせませんよ」
レスターは鞭を巧みに操り、少女に攻撃の隙を与えない。
「いい動きですよ。ですが、それでは狙いを定められません。仮に貴女が攻撃の構えをとれたとしても、その時貴女には隙ができる…つまり、それが貴女の最後です」
「なるほどね」
少女は笑った。そしていきなり銃を構えた。
パシィッ。
レスターの操る鞭は、少女に引き金を引かせる前にその銃を弾く。
それは、カランと音を立てて床に転がった。
「さっき言ったはずですが、聞いていなかったのですか。貴女には私を撃てないと」
武器を失った少女は、同時に攻撃の手段を失う。避けるだけならできるが、それでは勝利することはできない。かと言って、銃を拾いに行けば、先刻以上の隙を作ることは間違いない。少女は動けなかった。
「やれやれ、どうやら私は貴女を買い被りすぎていたようです。隻眼の魔女は貴女だとおもったのですが、これは私の思い違いのようですね。いくら何でも魔女として名が通るにはまだ若すぎましたか。さぁ………これで、終わりです」
レスターが右手を上げる。しかしその刹那、笑っていたはずの顔が強張った。鞭は少女の元に届かず、力なく床に落ちる。
「あら、どうしたのかしら。終わりにするんじゃなかったの?」
「貴女、何を…」
それを見て今度は少女が可笑しそうに笑う。
「誰も銃だけだなんて言ってないわ。貴方こそ人の話を聞いていたのかしらね」
2人の異変は傍観者にも伝わった。
「え、何々、レスターどうしたの?」
「あの女………呪術使いだ。恐らく、動きを封じられたんだろう。油断しすぎたな」
―…これが、『隻眼の魔女』か…面白ぇ……とんだ隠し玉がいたもんだ…
「フェイク、何だか嬉しそうだね」
動くことのできないレスターに背さえ向け、少女は悠悠と床に落ちた銃を拾いにいく。
「私の負け、というわけですか」
背にレスターの声を聞くと、少女は振り返る。
「いいえ。私はここでギブアップするわ。だから貴方の勝ちよ」
少女の思い掛けない行動にしんとなる。
傍らでレスターが釈然としない様子で立ち尽くす。既に呪いは解除されているようだ。
「勝てるのにギブアップだと?あの女、どういうつもりだ…」
少女が武器を収めて戻ってくる。
「え、これでいいの?」
「……本人がそう言うんだ、仕方ないんじゃないか」
「そっか…、何か不完全燃焼な感じだけど…でも2人とも強かったね。私も手合わせしたかったなー」
「ほー、それはまた元気なことで」
先程フェイクと刃を交えたエレノアは、まだ物足りない様子だ。フェイクは半ば呆れ気味に彼女を見た。
「さぁ、最後はあなたたちよ」
フェイクの前で足を止めた少女は、敗者とは思えない威圧感でフェイクを促す。
「待ちなさい。私はこんな無様な勝ち方は認めません」
寸刻前までは悠然と構えていたはずが今や険相な顔になっている。制止するレスターを少女は無言で見る。
「それに、私はフェイクを認めていますので、敢えてここで戦う必要はないのです」
「それで?」
「私はこの第一部隊隊長にフェイクを推します」
少女はこの言葉に一瞬嫌な顔を見せるが、エレノアが賛同したことで自分も承諾した。最後に、フェイクに意向を問う。
「そう………。貴方もそれでいいかしら?」
「あ、あぁ……俺は構わないが…他に不満そうな奴がいるぞ」
「…誰のことかしら」
フェイクの眉がピクリと上がる。
「はっ、てめぇのことだよ。そこまで露骨に嫌な顔しておいて、誰とは白々しいにも程があるな」
「あらそれはごめんなさい。貴方、強いのかもしれないけど、頭の方はちょっとわからないから、つい心配が顔に出ちゃったみたいね」
少女は怯むことがなく、自分の思ったことを隠しもしない。加えてはっきりと言い切る。
「私、自信家の男って嫌いなのよ」
事実上の宣戦布告だった。
早々にして、隊の先行きに暗雲が立ち込める中、王国正規軍第一部隊隊長に、フェイク・パーカー就任。