第一部隊《上》
輝く金色の髪の間から、深い緑色の瞳が強い光を放つ。時折それは憂いを帯び、また苛立ちを浮かべた。男は人を待っていた。ずっと…―。
「遅い…。これはなんでも遅すぎる!」
ギロ、と時計を睨む。何度見ようとも彼の機嫌が直ることはないのだが、先刻から何度もこれを繰り返している。
所定の時間はとうに過ぎているというのに、まだ誰1人として彼の前に姿を現さずにいた。
この男の名をフェイク・パーカーという。直に王国正規軍において、女王直属である第一部隊のリーダーに着任することになる男である。
苛立ちは着実に増していく。フェイクはもう一度怒鳴った。
「遅ぇっ!!」
勿論今度もそれを詫びる声はない。が、返事の代わりに鋭い衝撃音が轟いた。
来たか、と振り返る。しかしフェイクは目にした光景に口を噤んだ。今、彼の瞳には待っていたモノ以上のものが映っている。それは、若い女と大穴が開いて歪んだ扉。女はまさに滑り込みの態勢で壊れた扉の前にいた。
―…ばっ莫迦か、こいつ。扉ぶち抜いてきやがった…
「セーフ…?」
破損させた扉にはお構い無し、長い銀の髪をかきあげ、溢れんばかりの笑みにピースサインをきめた。対しフェイクは眉ひとつ動かさず、殆ど冷静に言った。
「アウトだ」
短い言葉には十分すぎる程の怒りがこもっている。
「あはは、そっか。ごめーん」
「完全にアウトなんだからスライディングしてくる必要はなかったよな」
崩壊した扉を呆れたように見つめ、言えば、ただ笑い声が返ってきた。
「おやおや実に騒がしいことで」
笑い声に割って入る別の声。今度は男の声だ。
一度耳にすれば、瞬間的にその声を記憶する。それはフェイクの能力の一つでもあるが、顔を確認するでもなく、フェイクはそれが誰であるか察すると、同時に露骨な不快感を示した。
視線は図らずもその男の姿を辿っていく。漆黒のスーツに身を包んだ男は長身で、背中に長く髪を垂らす。嫌味なほどにサラサラなその髪の色は血のように赤く、それが黒いスーツにはよく映えていた。ほっそりした顔に細長い目は実に満面の笑みを浮かべていた。
一瞥した後も、フェイクの表情は変わらなかった。やはり見知ったその顔を睨みつけ、それと対峙した日を俄かに思い出す。
(レスター=ブライト…)
憎々しげに瞳に映した男、それはかつて敵地において自分の意に反して取り逃がした唯一の敵。過去にフェイクがおかした数少ないの失態の一つである。
「は~い、フェイク。暫くですね。あの日、以来でしょうかね。また会えて嬉しいですよ。さて、驚いているようですが、私がここにいる理由、何だと思います?」
先程の女に負けず劣らずの笑顔。しかしこちらは、何故だか見ているだけで不愉快な気分になる、それだった。此方は再会を喜んでいる様子だ。
「招かれざる客が何の用だ、と言いたいところだが、殺し損ねた獲物が再び舞い戻ってきたんだ、俺も喜ばないといけないな。今ここで存分に殺してやるぜ」
一転、フェイクが口角を吊り上げて笑うと、呆れたようにレスターが首を振った。
「やれやれ、貴方にはがっかりですよ、フェイク」
「あ?」
「貴方程の人間がそんな下らないことを未だに引きずっていると知ったら、さぞ陛下も残念がるでしょうね」
―…陛下……?
発せられた意外な言葉に、フェイクは嫌でも気付いてしまう。挑発しているのは明らかだった。黙って話を聞くのは気が進まなかったが、感情を押し殺して次の言葉が出るのを待つ。
「ふふ、意地を張るのも嫌いじゃないですよ。では申し上げましょう。私、レスター・ブライトは本日付けで、はれて王国正規軍第一部隊に着任しましてねぇ」
「は…?」
「ですから今や私と貴方は志を共にする仲間なんですよ。害することは陛下が許しません」
「ちょっと待て。さっきから聞いてりゃあ陛下、陛下って、どの口が言ってんだよ。てめーはそもそも反国軍派の教会の雇われ者だろうが。そんなてめーみたいな奴をまず陛下が許すわけねぇだろ」
そんなフェイクの言葉を待っていたかのように、レスターはニヤリと笑む。
「そう、そんなこともありましたねぇ。しかしそれはかつての話。いやいや、実に話の分かる方ですよ、女王陛下は」
勝ち誇った顔には殺意さえ覚えたが、嘘を言っているのではなさそうだった。あの大胆にも不敵な女王のことだ、普通は有り得ないことも、普通に有り得てしまう。
―くっそ、最悪だ…。
この世界においての敗北が死を意味するなら、フェイクはその敗北を知らない。だが、この時感じたのは間違いなく敗北感にも似た感情だった。
「そう気を落とさないで頂きたい。今はわからなくともいずれ貴方も私の存在を大きさを思い知ることでしょう。住めば都、住むほどに都。そう、愛の力は偉大にして至高。向かうところに敵なしです」
「いや、それは永久にわからん。それからあと一つ言っておく…」
「何です?」
「ごちゃごちゃうるせぇ」
言い終わる前にそれは高く蹴り上げられていた。ブンッと空を切る音がしたかと思うと、次の瞬間には加減を知らない見事な蹴りがレスターを打ち据えた。
「なっ、フェイク、何を!先程の話を聞いてましたか?陛下はこんなこと!!」
「まぁ待てよレスター、お前こそ誤解は良くねぇな。これはあれだ、ツッコミというやつだ。そうそう、これは仲間通しのコミュニケーション」
とりあえず弁解はするも、そこにまるで必死さはない。どう考えても無茶苦茶な理由を、無表情で後からとってつけたように言う。本当はただ蹴りたかっただけだ。
だが、それもレスターには関係ないらしかった。自分に都合の良い解釈をしたのか、むしろ目を輝かせて頷く。
「なるほど、この容赦の無さも愛!えぇ、わかりますよ!何ならもっと蹴りますか」
「……」
ポジティブなのか、それとも執念なのか。レスターの激しい思い込みはフェイクをたちまちに震撼させた。本能が危険を告げている。
(殺そう…!!)
危険分子は確実に仕留めなければならない。さもなくば平穏は勝ち得ない。フェイクはいつの日かの己の失態を激しく後悔するとともに自らに固く誓った。あの日殺し損ねた敵はうっかり殺してしまおう、近いうちに、そして出来ればバレないように、と。
「えー…っと、レスターと…その、恋人さん?」
そんなフェイクの心中など知るはずもなく、女は屈託のない笑顔で言った。その言葉には悪意などまるでないのだが、それがまた罪深くもある。女は二人の関係を完全に誤解していた。
「えぇ、彼はフェイクって言います」
代弁するのは勿論、レスター。フェイクの蹴りを食らい、暫し床に手をついていた彼だったが、今や速やかに復活を遂げていた。不死身のレスターここにあり。
「勝手なこと言ってんじゃねぇ!殺すぞ」
面倒な相手に気力も費えようとしている中で、フェイクは残りの力を振り絞り声を出す。
「うふ、2人は凄く仲が良いんですね。羨ましいなぁ…。私、エレノアって言います。宜しくお願いします」
ぺこりと頭を下げるエレノアの顔はにこやかで、やはりフェイクの憂鬱など知るはずもなかった。
「聞いてねぇし……」
フェイクは諦めて脱力した。
「おや、これで全部ですか」
レスターがフェイク、そしてエレノアの顔を確認する。いや、とフェイクが口を開きかけたところで女の声がそれを遮った。
「そうみたいね」
『!!』
答えたのはフェイクでもエレノアでもなかった。それは「4人目」の人物ーいつから部屋にいたのか、その人物は何食わぬ顔で窓際に立っていたーは、肩につくかつかないかの長さのピンク色の髪が目に鮮やかな少女だった。右目には眼帯を付け、左目から冷めた視線を三人に送る。ふてくされた様子で腕を組んで、壁にもたれかかるようにしている。
「てめぇが4人目か」
「『4人目』…?…えぇ。ただ、気付くのが遅すぎるようだけど。本当に貴方たちに精鋭部隊である第一部隊が務まるのかしら」
「ほー、遅れてきたのに、偉そうな態度だな。務まるかどうか、何なら俺が試してやろうか」
「結構よ。それにしても大した自信なのね」
フェイクの挑発に、少女は顔に似合わない大人びた冷笑で返す。
「私は一足先に任務をこなしてきたのよ。貴方に責められる言われはないわ」
少女は詫びもせず、つんとすました顔でにこりともしない。
「ふん……………まぁいい。全員揃ったんだ…早いとこ話を済ませようぜ」
「待って。勝手にリーダーを気取るのはやめてくれないかしら。まだ誰も貴方を認めていないのに、不快だわ」
「だーっ、いちいちうるせー女だな、てめぇは!だからそれをこれから決めるんだろ。ならそれまでてめーが仕切るか?」
「そんなことを言ってるんじゃないわ。やることは決まってるんだから無駄な話はやめて、と言ってるの」
「くっそ、可愛くねー。わかったよ、それじゃあお望み通り、さっさと自己紹介を始めようぜ」
そこでようやくフェイクはにぃっと笑った。
「手合わせ、ですね」
レスターが言うと、エレノアの顔がパアッと明るくなる。
「わ~楽しそう!それじゃあまずは私からね!いい?」
「どうぞ」
少女が頷くと、待ちきれずにエレノアが勢い良く前に飛び出す。部屋の真ん中に立つと構えた。それを目にしたフェイクは思わずその目を見開いた。