枕をもう一つ
王国の花の小話です。【枕が変わると眠れない】の続きになります。
夫:クラウス ノルド公爵で黒騎士団の長。密偵の技にも長ける。
妻:サーレス(サーラ=ルサリス) クラウスの妻。騎士としての技量なら、夫以上の元カセルア王女。
「だから言ったじゃないですか。見られたら、取り上げられますよって」
ユリアが、苦笑しながら、手に持った布を作業台に綺麗に広げる。
白い、柔らかな素材のその布は、サーレスがわざわざ、ノルドの近くにある商業都市のレガールに赴いて購入してきたものだ。
ユリアに、これで、自分に作ってくれたあれと同じものをと頼むと、当然のように理由を尋ねられ、そして苦笑されたのだ。
「まさか、帰ってくると思わなかったし……」
「あの方が、たとえ深夜だろうと普通に移動できる事は、もうわかってるじゃないですか。それに、外泊も、あまりお好きではないですし」
会話をしていても、ユリアの手は止まる事はない。
なめらかな手つきで、その布に型紙をあて、印をつけていくと、すぐにそこから、目的の形を切り出していく。
夫も、裁縫の腕前は玄人と言っても過言ではないが、ユリアも、サーラの母であるカセルア王妃が、娘の代わりに自分の趣味に付き合わせていただけあって、得意なのである。
サーレスが、その手元を見ても、何をどうしているのかよく分からないが、ユリアは手際よく布を切り出すと、すぐに縫い合わせ始めた。
少しずつ、形になっていくそれらを見ながら、サーレスはいつも、まるで魔法のようだと思う。
一枚の平面の布が、どうしてこんなに丸くなるのか。
三角の耳が、すぐにその形を成し、それらが頭と合わさり、あっと言う間に可愛らしい狼の頭部ができあがった。
「……いつ見ても上手いなぁ」
「ぬいぐるみは、真っ直ぐ縫えれば作れますよ。試しにおやりになればいいのに」
「真っ直ぐ縫うのも自信がない」
「もう……しょうがない人ですね」
縫うのは自信がないが、綿を詰めるくらいはできる。
慎重に、握り心地を確認しながら、サーレスは綿を詰めるのだけを手伝った。
できあがったのは、白い狼のぬいぐるみが一つ。
サーレスは、それを、慎重に自分の衣装部屋に仕舞い込み、機会をうかがった。
その機会は、できあがった翌日訪れた。
夫は、仕事が立て込めば立て込むほど、昼に自分の部屋に帰り、そこで仮眠を取る。
黒騎士の本部がある館では、ひっきりなしに誰かが駆け込んでくるため、落ち着いて仮眠も取れないためだ。
部屋に夫の気配を感じたサーレスは、さっそくぬいぐるみを取りだし、夫の部屋に滑り込んだ。
夫は、一人で部屋にいる間は、鍵をかける事がない。緊急事態の時に、外からの連絡が滞るのを防ぐためだ。
防犯の意味で言えば、黒騎士たちは、むしろ鍵がかかっていない方が安心するのだという。
夫は、意識が覚醒する前、うかつに近寄ると、条件反射で相手を攻撃するのである。
しかも、自分が攻撃した相手を、攻撃後に確認するため、味方だろうが危険度は極めて高い。
夫が寝ている間、よほどの緊急事態でない限り、黒騎士たちも部屋に踏み込みはしないのだ。
むしろ、襲うなら、寝ている間にどうぞとばかりに、囮にしているのである。
ただ、それはサーレスには発動しない。
それだけ信頼されているからなのだろうが、どこまで自分達は似ているんだろうと思うと、自然と笑みがこぼれた。
今日も、夫は、部屋のソファで横になり、健やかな寝息を立てていた。
目を閉じていると、ただでさえ童顔の顔が、なおさら幼く見える。
母親似だというその顔は、こうして見ると、本当に少女の顔にしか見えない。
その可愛らしい顔の傍に、サーレスは、そっと自分が持ってきたぬいぐるみを添えた。
サーレスは、自分がかわいいもので飾られるのはあまり好まないのだが、かわいいものをさらにかわいく飾るのは、とても好んだ。
当然、かわいい夫をさらにかわいく飾るのは、とてもとても楽しいのである。
本来の目的は別だったが、夫の横にぬいぐるみの図は、大変可愛らしく、サーレスは妙に納得して頷いていた。
顔の横に置かれたそれを、夫も気が付いたらしく、しばらく手がその感触を確かめた後、匂いを確認するかのように、顔を寄せた。
そのお腹には、自分の持ち物だった、黒い狼と同じく、匂い袋を忍ばせている。
その香りは、サーレスの嫁入りが決まり、もう兄と同じ匂いでは駄目だからと、母が独自に調香したものだ。嫁に来て半年が過ぎ、ようやく自分に馴染んだそれを、白い狼に使ったのだ。
どうやら、匂い袋はちゃんと効果を発揮したらしい。
夫が、その匂いに顔を寄せた事で、サーレスは、これが自分の匂いなのだと、ようやく納得できた気がした。
夫が、そのぬいぐるみを気にいったようだと見て、サーレスは部屋を見渡し、紙を探した。
夫に、一言書き置きをしようとしたのだが、書き物机の上にあるペンと紙を目にし、そちらに移動しようとしたところで、突然左手首を掴まれ、背後に引っ張られた。
とっさに体のバランスを取り、背後に倒れる事は防げたが、慌てて振り返って驚いた。
夫が、白い狼を抱いたまま、寝起きでぼんやりした青い眼をサーレスに向けていた。
「……もう、行くんですか?」
「ええと……その、起こしちゃ、悪いかなと思って」
手首を掴んだまま、ゆらりと起き上がったクラウスは、サーレスを見上げたまま、にこっと微笑んだ。
「どうせなら、もうしばらくいてください」
言ったが早いか、その手をひかれ、今度こそ背後によろめいた体は、そのままソファに倒れ込んだ。
そのサーレスの太ももに、クラウスは素早く頭を乗せ、サーレスが了承するよりも早く、膝枕でその場にサーレスを足止めした。
白い狼を抱いたまま、再び夢うつつの表情になった夫に、サーレスは慌てて本来の目的を思い出した。
「あの、クラウス。その白い狼をあなたにあげるから、前に持っていった黒いのは、返してくれないか?」
「……」
「昼寝用に、ずっと愛用してたから、もうくたびれてるんだけど、その、愛着があるし」
サーレスのお願いを、聞いているのかいないのか、ぼんやりした視線のまま、クラウスは白い狼を撫で、たまに思い出したように、鼻をお腹の付近に持っていく。
「……あれの香料は、どうやって手に入れました? 私の香水は、どこにあるかご存じないですよね」
「あれは、ユリアが調香したんだ。ユリアは、母上を手伝って調香もしていたから、実際の匂いを嗅げば、同じ香水が作れる」
「……すごいですね。まったく同じでした。あれは、母の調香師が作っているものなので、他ではないはずだと思っていたんです。次から、ユリアさんに私の香油もお願いします」
「う、うん。あの、それで……」
「……私がいる間は、使うの禁止です」
「あなたが城にいる間は、私が寝る場所は主寝室だから、使う事はないよ。あれはサーレスの部屋の寝台に置いておくから」
「昼寝の時も、駄目ですよ」
「うん、わかったから」
クラウスは、少しずつ、白い狼のお腹に顔を埋めていき、最後には、穏やかな寝息だけが耳に届いた。
自分の願いが聞き届けられたのかどうかわからないが、ひとまず白い狼は気に入られたらしい。
まったく動かなくなった夫の頭をそっと撫でながら、サーレスは、黒騎士達が、寝起きが危険な団長を起こす係を決めて迎えに来るまでの間、静かにその眠りを見守っていた。
そして、黒い狼が返還されないまま、数日が経過した。
仕事の用件で、黒騎士の本部にある夫の執務室に入ったサーレスは、我が目を疑った。
夫に渡したあの白い狼が、自分と同じ真っ白の騎士服を身につけ、小さめのソファに、大量の、小さな可愛らしいクッションに埋もれるようにして、鎮座していたのだ。
まだ渡してから、数日しか経っていないはずなのに、この状態である。
呆然と見つめていたら、夫から、そう言えばと手渡されたのは、小さな騎士服を身につけた、元昼寝用抱き枕の、黒狼のぬいぐるみだった。
その騎士服は、どう見ても夫と同じもので、背中に背負う黒狼の紋章までそのままである。
―――これを枕にしろって言うのか……。
愕然としたサーレスに、クラウスはにこやかに告げた。
「せっかくなので、それを着せたついでに、あちこち直してみました」
あっさり言われて、改めてよく見ると、その狼の瞳が、青い布ボタンに変わっていた。クラウスの瞳ほどの鮮やかさではないがその青い瞳は、黒の布によく映えていた。
「そのうち、青いガラスかなにかでできた、ちょうど良さそうなボタンがあれば、また付け替えましょうね」
にっこり微笑んだ夫に、サーレスは曖昧に頷いて返事を返した。
夫の隣にいた秘書のアンジュと、そのまた隣にいたホーフェンの、何とも言えない微妙な笑みを見て居たたまれなくなったサーレスは、耳まで赤くして、夫の執務室から逃げ出したのだった。