表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

皇国最後の海

作者: あーちゃん
掲載日:2026/06/07

もし、あの戦争に「別の終わり方」が存在したなら。

歴史は勝者によって記録される。

だが、その裏側には記録されなかった選択肢が無数に沈んでいる。

本作は、太平洋戦争末期を舞台にした架空戦記である。

実在の国家、軍隊、兵器を下敷きにしながらも、史実とは異なる道を辿る。

敗北が決まった国で、それでも人は何を守ろうとしたのか。

銃声と波音の狭間で、生きようとした者たちの物語を描きたい。

昭和十九年七月。


 呉軍港には、朝から重たい霧が垂れ込めていた。


 海は鉛色に沈み、波止場に並ぶ軍艦たちは、まるで既に沈没した亡霊のように静まり返っている。


 秋月真之介少佐は、軍帽を目深に被りながら、ゆっくりと桟橋を歩いていた。


 足音だけが響く。


 誰も笑っていない。


 誰も未来を語らない。


 それが今の帝国海軍だった。


「少佐」


 背後から声が飛ぶ。


 振り返ると、副官の若林が敬礼していた。まだ二十三の若い士官だ。頬は痩せ、軍服は骨ばった身体に不自然に張り付いている。


「会議の準備が整いました」


「ああ」


 秋月は短く答えた。


 彼は数年前まで、“海軍の天才参謀”と呼ばれていた。


 航空戦術に優れ、冷静沈着。


 戦局を読む目を持ち、上層部からも期待されていた。


 だが、南太平洋海戦で部下を大量に失ってから、彼は変わった。


 勝利の数字よりも、人間の死が目に入るようになった。


 それは軍人として致命的だった。


 戦争は感情で行うものではない。


 海軍上層部はそう考えていた。


 だから秋月は最前線から外され、軍令部の片隅へ追いやられた。


 ――そのはずだった。


 だが今日。


 彼は再び呼び戻された。


 国家機密、《蒼海計画》の責任者として。


 会議室の扉を開ける。


 中には既に十数名の将校が並んでいた。


 壁には巨大な海図。


 南洋諸島一帯が赤い印で埋め尽くされている。


 秋月が入室した瞬間、空気が変わった。


「秋月少佐」


 一人の男が口を開く。


 海軍中将・黒田。


 開戦当初から強硬派として知られる男だ。


「貴様に任せる任務は一つだ」


 黒田は海図を指した。


「ここだ」


 指先は、マリアナ沖南方の小島を示していた。


「この海域に、我々はまだ敵に知られていない海底油田を確認している」


 ざわめきが起きる。


 秋月は眉を動かさなかった。


「海底油田……?」


「そうだ。通常の補給線は既に崩壊した。だが、この海域の資源を確保できれば、日本はあと二年戦える」


 二年。


 その数字の重さを、誰もが理解していた。


 だが秋月は静かに言った。


「二年延びて、その先は?」


 室内が凍る。


 黒田中将の眉間が歪んだ。


「何が言いたい」


「勝利の見込みです」


 秋月はまっすぐ前を見た。


「二年戦えば、国民はさらに死にます。都市も焼かれる。子供も飢える。それでも“勝つ道”があるのですか」


「秋月少佐!」


 誰かが怒鳴った。


 だが黒田は手で制した。


「……ならば貴様は降伏しろと言うのか?」


「違います」


 秋月は答える。


「終わり方を選ぶべきだと言っています」


 沈黙。


 時計の針だけが響いていた。


 数秒後、黒田は低く笑った。


「だから貴様を選んだ」


「……?」


「蒼海計画は“勝つため”の作戦ではない」


 その瞬間。


 室内の空気が変わった。


「本土決戦を回避するための時間稼ぎだ」


 秋月は目を細めた。


「時間稼ぎ……」


「アメリカは圧倒的物量で来る。いずれ負ける。だが即時降伏すれば、皇国は解体される可能性が高い。ならば講和へ持ち込む時間を作る」


 海図に新たな赤線が引かれる。


「そのために必要なのが、《龍凰》だ」


 照明が落ちた。


 スクリーンに映像が映る。


 そこにいた全員が息を呑んだ。


 巨大な潜水艦。


 だが通常の潜水艦ではない。


 甲板には航空機発進設備。


 異様なほど長い艦体。


「潜水空母……」


 秋月が呟く。


「伊号計画の最終艦。《龍凰》」


 黒田は言った。


「完成したばかりだ」


 それは怪物だった。


 海中を進み、空から攻撃する。


 通常の艦隊戦思想から外れた異形。


「これを用いて南洋に潜伏し、海底油田を確保する」


「……成功率は?」


「二割だ」


 誰かが笑った。


 乾いた笑いだった。


 秋月も苦く息を吐く。


「随分高いですね」


「貴様なら三割にできる」


 黒田はそう言った。


 会議後。


 秋月は一人で軍港を歩いていた。


 夕暮れが海を赤く染めている。


 その時だった。


「あなたが秋月少佐?」


 後ろから女の声がした。


 振り返る。


 白衣姿の若い女性。


 軍属技術士官の腕章。


「綾瀬千鶴少尉です」


 彼女は軽く頭を下げた。


「蒼海計画の技術担当になります」


 秋月は意外そうに彼女を見た。


「女性士官とは珍しい」


「戦争は人手不足ですから」


 千鶴は淡々としていた。


 感情を隠す目だった。


「あなたが海底採掘システムを?」


「はい」


「なぜそんなものを作った」


 千鶴は少しだけ黙った。


 それから静かに言う。


「戦争を早く終わらせるためです」


 秋月は彼女を見た。


「でも軍は違う使い方をする」


「……はい」


 風が吹いた。


 遠くで警報が鳴る。


 空襲警戒。


 最近では珍しくもない音だった。


 その瞬間。


 空を見上げた千鶴が呟いた。


「あと何人死ねば終わるんでしょうね」


 秋月は答えられなかった。


 翌日。


 潜水空母《龍凰》への乗艦日。


 巨大な艦体が海面に浮かんでいた。


 黒鉄の怪物。


 全長百五十メートルを超える異形の艦。


 甲板には特殊攻撃機《烈風改》が並ぶ。


 兵士たちは静かだった。


 誰も興奮していない。


 この艦に乗るということが、片道切符に近いと理解しているからだ。


「秋月少佐」


 艦長・白石恒一が現れた。


 鋭い目。


 四十代半ば。


 傷だらけの顔。


「お待ちしていました」


 彼は深々と頭を下げた。


「艦長の白石です」


 秋月も敬礼する。


「よろしく頼みます」


「一つ確認したい」


 白石は言った。


「あなたは、この戦争に勝てると思っていますか」


 秋月は少し考えた。


「いいえ」


 白石の目が細くなる。


「ではなぜ戦う」


「守りたいものがあるからです」


「国家ですか」


「人間です」


 白石は鼻で笑った。


「甘い」


「でしょうね」


「だが嫌いではない」


 二人は並んで《龍凰》を見上げた。


 巨大な鋼鉄。


 それはまるで、沈みゆく帝国そのものだった。


 その時だった。


 甲板の端で、一人の若い兵が転びそうになる。


「危ない!」


 秋月が駆け寄る。


 少年だった。


 まだ十代。


「大丈夫か」


「も、申し訳ありません!」


 少年兵は慌てて立ち上がる。


 頬が幼い。


「名前は?」


「神崎竜馬二飛曹です!」


 秋月は息を呑んだ。


 二飛曹。


 つまり搭乗員。


「何歳だ」


「十九です!」


 嘘だ。


 もっと若く見える。


「配属は?」


「特攻機隊です!」


 笑顔だった。


 その笑顔が秋月には苦しかった。


「死ぬのが怖くないのか」


 神崎は少し黙る。


 それから小さく言った。


「怖いです」


 風が吹いた。


「でも、みんな死ぬので」


 その言葉に。


 秋月は何も返せなかった。


 夜。


 《龍凰》内部。


 赤灯の通路を秋月は歩いていた。


 潜水艦独特の油の匂い。


 鉄の軋み。


 閉塞感。


 兵士たちは狭い寝床で静かに眠っている。


 ある部屋の前で、足が止まった。


 中から音楽が聞こえる。


 蓄音機だった。


 古いレコード。


 静かなクラシック。


 扉を開けると、白石艦長が酒を飲んでいた。


「入れ」


 秋月は腰を下ろす。


「意外ですね。音楽を聴くとは」


「海の中では気が狂う」


 白石は笑った。


「静かすぎるからな」


 しばらく沈黙。


 やがて白石が口を開いた。


「秋月少佐」


「はい」


「私はな、この国が好きだ」


 白石はグラスを見つめた。


「貧しくても、小さくても、美しい国だと思っている」


「……」


「だから守りたい」


「ええ」


「だが最近、分からなくなる」


 白石は低く言った。


「この戦争は、本当に国を守っているのか」


 秋月は静かに答えた。


「みんな、もう分からないんですよ」


 翌朝。


 《龍凰》は出航した。


 汽笛が鳴る。


 灰色の海を滑るように進む巨大潜水空母。


 岸壁では整備兵たちが敬礼している。


 だが歓声はない。


 誰もが知っている。


 この船が帰らないかもしれないことを。


 秋月は艦橋から陸地を見ていた。


 遠ざかる日本。


 煙に霞む故郷。


 その時、艦内警報が鳴り響いた。


『敵機接近!』


 空気が一変する。


「急速潜航!」


 白石の怒号。


 兵たちが走る。


 艦が震える。


 外から爆音。


 米軍偵察機だった。


「深度五十!」


「急げ!」


 海面が閉じる。


 暗闇。


 水圧音。


 艦内に重苦しい沈黙が広がる。


 神崎竜馬は震えていた。


 まだ出航から数時間。


 なのに死がもう近くにいる。


 秋月はその肩に手を置いた。


「大丈夫だ」


「……はい」


 だが次の瞬間。


 遠くで爆雷音が響いた。


 艦体が激しく揺れる。


 照明が点滅する。


 誰かが叫ぶ。


 そして秋月は理解した。


 この航海は。


 本当に地獄になるのだと。


 暗い海の底で。


 《龍凰》は静かに進み続けた。


 まるで。


 滅びゆく国の最後の心臓のように。

IF戦記というジャンルには、不思議な魅力があります。

「もし、あの時こうしていたら」

「もし、別の指揮官がいたなら」

そんな想像が、歴史を単なる過去ではなく、“選択の連続”として見せてくれるからです。

けれど本作で描きたかったのは、単純な逆転劇ではありません。

戦争に本当の勝者はいない。

どれだけ兵器が進化しても、最後に傷つくのは人間です。

だからこそ秋月たちは、「勝利」ではなく「終わり方」を探しました。

海に沈んだ無数の声の中に、もし希望が残るなら。

それはきっと、誰かが最後まで“人間であろうとした”証なのだと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ