第二十話 数多なる「すべきこと」
夜会が終わり、帰路に就く。帰りの馬車の中で、ステファンはずっと口を噤んでいた。
あのあと親子はぎこちなく会話を続けたが、ジェナの今の夫であるリングルス伯爵が来てしまったのだ。もちろん伯爵は、ジェナに子供がいることを承知している。ステファンの姉であるケイトは、連れ子としてリングルス伯爵の養女になったのだし。そのケイトだが、今は結婚し、家を出ているそうだ。
「……よかったよ」
ぽつりとステファンが呟く。
「よかった?」
「ああ、元気そうな顔が見られて、よかった」
気恥ずかしそうに笑うステファンは、言葉とは裏腹に少し辛そうでもあった。幼いころに出て行った母。今は別の家庭で暮らしている。姉は知らぬ間に嫁いでいた。ステファンは何も知らなかったのだろう。
「……ジェナさまと同じことをおっしゃるのですね」
「え?」
私は、慰めたかったわけではない。ただ、辛そうな顔をするステファンを、冷徹に生きざるを得なかった原因である母親からの愛情不足を、そうではないのだと言ってあげたかった。
「ジェナさまもお心苦しかったのだと思います。ステファン様の姿を見て、動揺なさっていましたので」
「……そうか」
そう言って俯くと、両手を組んで指を動かす。
「前に、オリヴィアに『夢はあるか』って聞いただろ?」
「あ、はい」
確かに、そんな会話をしたことがあった。私に、明確な夢などないけれど。
「俺はさ、漠然とだけど、夢を持ってるんだ」
あら素敵! 語れる夢があるなんて、とてもいいことだわ。
「お聞きしても?」
顔を覗き込めば、照れたようにはにかみ、
「笑わないか?」
と訊ねてくる。
「笑いません」
「絶対?」
「……多分」
「ぷっ、多分って」
吹き出したステファンは、私の目をじっと見つめた。
「俺はね、たった一人を、一生愛したい」
「……えっ?」
まっすぐな眼差し。吸い込まれそうに澄んだ、アンバーの瞳。
「子供じみた夢だと思われてしまいそうだが、本気でそう思っているんだ」
語る、その口調に偽りは感じられない。
私もかつて、そんな夢を見ていたことがあった。愛などと大それたことを考えていたわけではなかったけれど、たったひとりの人を思い、手を取り合い、その時間が永遠に続くことを願っていた時があった。
「……そうですか」
何と答えていいかわからず、そう口にして視線を逸らす。ステファンの願いを叶えるためには、隣にいるのが私ではいけない気がした。怖くて、申し訳なくて、心が痛む。
「オリヴィアは俺が嫌いか?」
「いいえそんなことっ!」
口にして、驚く。ステファンのことは嫌いではない。でも今のこの感情は、もっと何か、違うもののように思える。
「そうか、よかった」
ステファンが私の手を取る。
触れられた手が、温かくなるのを感じた。
◇
「名残り惜しゅうございます……」
もういいから帰れと言われながらも、帰ることなくマクミリア家に居座ったアンディだったが、いよいよ屋敷を去ることになった。
「おかげさまで夜会でもステファン様の足を引っ張らずに済みました。ありがとうございました」
私が礼を述べると、つまらなそうに口を尖らせ、
「ま、そんなの当り前ですけどねっ」
と相変わらず悪態をつく。
「ルナール公爵にくれぐれもよろしく伝えてほしい。近いうちにご挨拶に伺おうと思っている、と」
「えっ?」
「ええっ?」
私とアンディが一斉に声を荒げた。
「なっ、なんだ? おかしなことは言っていないだろう?」
驚くステファンに、思わず聞いてしまう。
「あの、ルナール家に行くのですかっ?」
「そりゃ、正式に結婚となれば、挨拶くらい当たり前だろう?」
ああ、そう……よね。娘をもらうのに義理の両親と顔を合わせないなんてこと、あるわけないもんね。……でも……さぁ。
アンディが私をチラッと見た。きっと同じことを考えている。
「でっ、ではルナール公爵にはそのようにお伝えいたします。ちなみにですけど……本当に彼女と結婚をなさるので?」
こらっ! ストレートすぎるでしょうその質問はっ!
アンディの問いに、ステファンの目が一気に吊り上がる。あ、なんか違う風に捉えちゃったんじゃ……?
「ずっと我慢してきたが……最後なので言わせてもらおう」
ズイ、とアンディに詰め寄るステファン。やばっ。
「アンディ・ベイル。君はオリヴィアの幼馴染だと言ったね?」
「え? あ、はい」
詰め寄られたアンディ、が、一歩後退る。
「俺よりも長く、オリヴィアを知っている。それはわかっている。だが」
ピッとアンディを指し、
「どんなにオリヴィアを好いていても、これだけは譲れない! オリヴィアは俺の婚約者だっ。いい加減、諦めてはくれないだろうかっ?」
……だろうかっ
…………ろうかっ
………………かっ……
なんとなく、脳内でエコーが掛かった気がした。
アンディは目が点になったまま固まっている。多分、頭の中で今言われたことを処理しているのだ。どういう意味なのか、分からなかったのだろう。私にはわかった。わかったので……両手で顔を覆った。まだ疑ってたんだ……。
「……もしかして、私がオリヴィア様のことを……その」
私とステファンを交互に見ながら、アンディが言葉を紡ぐ。
「君がオリヴィアに固執していることには気付いていた。だが、俺はオリヴィアを君に渡すつもりはない!」
バン! と言い切ったステファンに、アンディが呆れたように一言、
「……ええ、欲しくはありませんので」
と言い捨てた。
お~ま~え~~~~!
「なん……だと? いらない……?」
ステファンが眉を寄せ、驚いた顔をする。
「ええ、いりません」
「何故だ!」
「は? どうして私がオリヴィアを? まさか! 全然興味ありません」
「そんな馬鹿な!」
馬鹿はあんたよ、ステファン。何を言い出すのかと思ったら、もう。アンディが私を好きで付き纏ってる、なんて、どういう変換をしたのか。違うって言ったのに。
「オリヴィアだぞ? 素直で可愛くて慈愛に満ちている女神のような、このオリヴィアだぞっ?」
「ぶふぉっ」
ステファンのセリフを聞き、アンディが吹き出した。ほんっと失礼! ……まぁ、笑っちゃう気持ちもわかるけど。
「あははは、そんな、まさか! 本当にステファン様っ、ぷっ、ははは」
「何故笑うっ!」
本当に理解できないようで、ステファンだけがお冠だ。
「これは、申し訳ありません。おかしな誤解をされているようで、つい。私はオリヴィア様に一切興味はございませんので、ご安心ください。ぷっ、そうですか。ステファン様はそこまで……」
いつまで肩を震わせてるの。いい加減にしてよほんと。
「ルナール様にはきちんと伝えさせていただきます。正式な日取りが決まりましたら、是非私にもお祝いの言葉を述べさせてください。長い間、お屋敷においていただきありがとうございました」
深々と頭を下げる。
「オリヴィア様も、どうぞお幸せに」
私に向け、パチンと片目を瞑るアンディに、私は苦笑いを返す。
「それでは、私はお暇いたします。お二人の未来に、幸多からんことを!」
笑顔でそう言うと、馬車へと乗り込んでいった。
馬の蹄の音が少しずつ遠ざかる。小さな嵐は、こうして去っていったのだ。




