第十六話 数多なる「昔の記憶」
「ねぇ、聞いてよトモ~!」
携帯の向こうでぼやいているのは、親友の香菜子。北関東に残って就職した私とは違って、香菜子は東京の専門学校へ通っている。
そしていわゆる“東京デビュー”を果たし、髪型も洋服もどんどん派手になっていった。挙句、ここ最近はホストに入れ込んでいるというのだ。
「なに? また彼に店に来いって言われた?」
「そうなの~! もう今月は無理って言ったんだけど、香菜だけが頼り、とか言われてさぁ。あー、バイト増やさなきゃなぁ」
「もうやめなって。そういう人たちはさ、誰にでも言うんだよ、頼りにしてる、とか、お前だけが、とかさぁ」
どうして騙されてるって気付かないのか、そっちの方が驚くんだけど? だけどこういう話をしても香菜子には響かない。それどころか、反論されるのだ。
「トモにはわかんないよ。東京にいるとさ、ステータスとか意外と重要なんだよ? トモには港君がいるからわかんないと思うけど」
港君は私の彼氏で、高校のころから付き合っていた。社会人の私とは違って港君は大学生だけど、地元の大学に通っているから遠距離恋愛になることもなかった。
「あんたたちはさ、あと数年もしたらきっと結婚とかしちゃうんでしょ~?」
からかうようにそう言われ、私は照れながら答える。
「どうかなぁ?」
本当は、そうだったらいいなって思ってた。
だけど、実際はそうならなかったんだ。
数か月後、港君は急に別れ話を持ち出してきた。うまくいってると思ってた私はただ驚いて、理由を聞いた。
「他に好きな子ができた」
ありがちな話。どこにでも転がってる話。
私たちは遠距離恋愛にこそならなかったけど、学生と社会人っていう違いは大きかったみたいね。港君が好きになったのは、大学のサークルで知り合った子。別れたくないとは、言えなかった。気持ちがなくなった相手になにを言っても仕方がないし、こういう時、私は自分の気持ちを押し殺してしまう癖がある。
私は親友である香菜子に泣きながら電話したけど、香菜子は香菜子で、例のホストにお金をせびられて大変だったみたい。それでも好きだから、って強がっていた香菜子も、心身ともに疲れているのは火を見るより明らかだった。
「結局さ、好きになった方が負けってことなのかなぁ?」
私はそう言って自嘲気味に笑う。
「そんなこと言ったら、今後一切、恋愛できなくなっちゃうじゃん」
「男女間に永遠の愛なんかないのかもしれない。みんな“その時”だけでさ」
私はそれ以降、恋愛に対してなんだかひどく冷めてしまったんだ。
香菜子はその後も愛を貫こうと頑張っていたけど、最後は立ち直れないほど心がボロボロになり、専門学校をやめて地元で就職することになった。
港君と別れてからも彼氏はできたけど、どこか冷めた目で見ている私がいる。もう、昔みたいに、全身全霊をかけて誰かを好きになることはないのだろう。
そして、私は事故でこの世を去った。
残せたものもないけれど、やり残したことも、やりたかったことも特にない。
……ないんだ。
◇
ふと目を開ける。まだ外は暗い。
「ああ、懐かしい夢だったな……」
ふかふかのベッドの中で寝返りを打ち、呟く。
初めて自分の前世を思い出したのは、確か父が亡くなった翌日だった。その時はまだ、それが前世の記憶だなんて思わなかったけどね。
だけどその日を境に、私は色んなことを思い出すようになって……ああ、トモって呼ばれてたのは私だ、って腑に落ちた。おかげで幼いながらも計算が得意という特技が身についたし、読み書きにも積極的に取り組み始めたんだ。
「はぁ~」
昨日のステファンの告白を思い出す。
ステファンの初恋相手は私、ってことになるのかな? 小さい頃に一度くらい、誰かを好きになったりしてないのかしら、あの人。いくらなんでも恋愛に免疫なさすぎでしょ?
婚約したのだから、よっぽどの問題がなければこのまま結婚するのだろう。今、ステファンの抱いている嫉妬や心配は、ハッキリ言ってまったくいらないものだと思う。それどころか、きっと三年もすればもうそんな気持ちすら、どこかへ消えてしまっているに違いないと予想する。
「ナルシストは恋をしないと思ってたわ」
あんなにもストレートに熱い思いを告げられたのは久しぶりだった。いや、それも前世の話であって、生まれ変わってからは初めてだ。嬉しさやくすぐったさがないと言えば噓になるけど、絆されるほどではない。
「冷めてんな、私」
なんだか眠気が吹っ飛んでしまった。私はベッドから抜け出すと、ガウンを羽織り部屋を出た。
さすがにこの時間だと、人の気配はない。足音を立てないように廊下を歩き、中庭のテラスへと足を運ぶ。
夜明け前の空を見るのは好き。なにもない日常の始まり。明けていく空は、誰に対しても平等で凛としている。新しい一日をどう過ごすかを決めるのは、誰でもない、自分自身だと言わんばかりにゆっくりと明るさを増していく。
「……っ?」
そこで私は、人影を見つける。こんな時間にここで会うとは思ってもいなかった人物。
「珍しい客が来たな」
テラスに置かれた長椅子に座り、遠くの空を眺めていたのは、マクミリア公爵だった。
「マクミリア公爵様! こんな時間にどうなさったのです?」
私は完全に侍女モードで、公爵に近付き声を掛ける。
「寒くはございませんか? なにかお飲み物をお持ちしますか?」
「いやいや、大丈夫だよオリヴィア嬢。そのままそっくり返したいセリフだな」
そう言ってハハハと笑う。隣に座るよう促され、私は小さく頭を下げ、長椅子に腰を下ろす。まだ、夜が明けきるまでには時間がある。
「どうかね、うちの愚息は?」
不意にそんな質問を投げかけられ、慌てて答える。
「愚息だなど……ステファン様はとても真面目で誠実な方です」
嘘ではない。初めはひねくれていると思っていたが、よく知ればそんなことはない。まっすぐで誠実な人だとわかる。
「そう言ってもらえると有難いな」
父親の顔で、公爵は笑う。
「オリヴィア嬢には色々と苦労を掛けるかもしれないが、息子をよろしく頼む」
「そんな、私などに勿体ないお言葉です」
そう言って俯く私に、公爵は懐かしむように昔話を始めた。
「ステファンは昔から素直でまっすぐな子供だったよ」
ああ、なんかわかる気がする。
「私がいい加減だったばかりに、少しひねくれた大人になってしまったがね」
「いい加減……ですか」
「ああ。承知の通り、ステファンの母親はこの家を出て行った。理由は私の不貞だ。そんなもの、貴族たちの中では珍しいことではないんだが、元妻は気位の高い女でね。上の娘だけを連れて出て行ってしまったよ」
「娘……? では、ステファン様にはお姉さまが?」
それは知らなかった。離縁したことで、ステファンは母親だけでなく姉も失ってしまったということだ。
「私は、これまでの人生のつけを払わなければならん。因果応報だな」
そう言って乾いた笑いを上げる。
つけを払うって……払わされるのはステファンなのでは? なんだか腑に落ちないな。
「愚息は女に全く興味を持たない男に育ってしまってね、どうしたものかと思っていたが……オリヴィア嬢のおかげで、何とかなりそうだな」
「いえ、私は……」
「好きでもない男と結婚させられるのは本意ではないだろうが、どうか、ステファンのことをよろしく頼む」
そう言って頭を下げるマクミリア公爵を前に、私は慌ててしまう。
「そんなっ、私の方こそステファン様の伴侶として至らないことばかりでっ。本当はもっときちんとしたご令嬢の方がよいのではないかと、気を揉んでおります」
素性を隠して、嘘をついたままここにいるのだもの。こんなの結婚詐欺と何ら変わらないじゃない。
「……オリヴィア嬢、貴族社会というのはおかしなものでね、家がどうとか地位がどうとか、そんなことばかりに注視しがちだ。だが、本当に大切なのは、人として、何が大切かを知り、その大切なものと共にあることなんだと、今の私は思うのだよ」
あら、意外……。ザ・貴族ってタイプの人なのかと思っていたら、意外にロマンチストなんだわ。
「ステファンには、幸せな人生を歩んでほしいと思っている。……これは親のエゴだがね」
そう言って静かに目を閉じた。




