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にわかごしらえの婚約者は冷徹公爵子息の溺愛を求めていない  作者: にわ冬莉


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第十一話 数多なる「知らない出費」

「……ここが」

 領主庁に入ったのは生まれて初めてだった。そりゃそうよね、平民生まれの私は、学校にだって通ったことがないんだもの。十二の歳からルナール邸で侍女見習いを始め、オリヴィア様付き侍女になったのが十四歳。あれから五年が経つ。


「俺の働いている執務室はここだ」

 大きな扉を開け、中に通される。

「デートに連れてくるような場所ではないんだが、どうしても聞いてほしいことがあった」

 思い詰めたように頭を抱えるステファンを前に、私は背筋を伸ばす。


「どうぞ、お話しください」

「実は……父が借金を作っていたようなんだ」

 はぁ、と大きな溜息をつくステファン。私はマクミリア公爵を思い浮かべ、なんとなく、納得してしまった。

「使い込み……ですか?」

 あの手のタイプは、女に貢ぐ。奥方とは離縁したと聞いていたけど、それって奥様が旦那様の不貞に嫌気がさして、ってパターンじゃないかって想像してた。だとすればここでの使い込みは、女への貢ぎ物だろう。


「想像以上に、額が大きいんだ」

「……そうですか」

 机の上に開いてある帳簿をチラ見する。こう見えて、前世は経理担当。しかも小さな会社で働いていたから、細かいところまで全部私がやらなきゃいけなくて、数字にはそこそこ強いのよね。


 ……なるほど、確かに使途不明金がちょこちょこあるみたいに見えるけど……。いつからちょろまかしていたかわからないけど、今のステファンの様子を見るに、結構大変な額になっているのかもしれないわね。


「下手すると爵位剥奪の事態だ。……情けないよな。政略結婚など受ける気もなかったというのに、そこに頼らなければ立ち行かないとわかった途端、こうして君の同情を買うような真似をしてしまうのだから」

 落ち込んでいるステファンに、私はどう声を掛けていいのやら……。


「縁談を進め、俺は夜会に出ようと思う。マクミリア家は長いこと夜会に顔を出していないからな」

 あ、そっか。公爵様は離縁していて奥様がいない。ステファンも結婚してないし、特定の相手もいなかった……。

「夜会……ですか」


 高貴な者たちの集まり。

 私たち庶民の間では、そう呼ばれている。政治や経済の話が飛び交い、貴族たちが交流を深め合う場。ある一定の地位の者しか参加できないという、特別な場所。ルナール公爵は時々、奥様と出かけていたっけ。奥様は「あの場所はつまらないから嫌い」ってぼやいていたけどね。


「オリヴィア、君にこんなことをお願いするのは筋違いかもしれないが……どうか俺と婚約して、マクミリア家の再建に力を貸してはくれないだろうか?」

「ステファン様……」

 ああ、今とんでもない流れの中に、私はいるんだ。今まで経験したこともないような、大きなうねりが見える。さっき言われた言葉が、私の脳裏を掠めた。


『たった今から、あなたがオリヴィア・ルナールになるのよ。楽しんで!』


 楽しめ?

 そんなこと、できるの?


 不安で体が震えそうだった。でも、ここまで来て全てから背を向けることもできそうにない。だって、それができないから、私は流されてきたんだもの。流された先にあるものは、なんだろう? 平坦でなにもない道ではないから、きっと大変なんだろう。


 目の前に佇む青年に目を向ける。ナルシストで傍若無人のように見えていたステファン。今は、真面目で誠実な公爵家の令息に見えている。たった数日一緒にいただけでこうも印象が変わるものなのだろうか。


「私は……」

 考えるだけ、無駄かも。そんな風に思えてきた。私が流されるときの思考はいつだってこれだ。人生、なるようにしかならないじゃない?


「私は本来、ステファン様に釣り合うような人物ではないんです」

「オリヴィア!」

「ですがっ」

 すぅ、と大きく息を吸う。

「ですが、成り行き上、今ここにいます。それはステファン様も同じことなのだろうと思います」

 決して望んだわけではない。けれど、望むままの未来など、きっとどこにもない。そのことを、私はちゃんと知ってる。だから、

「だから……今の私にできることを、私はする。それだけです」


 はい、ここが人生の分岐点! 私が流され始める瞬間となりま~す!

 ……って、言ってる場合かっ。


「ああ、オリヴィア!」

「ぴっ!」

 ステファンが私を抱きしめてきたことに驚き、鳴いた。


「俺は一生君に忠誠を誓う!」

「いえ、それは別にいいですっ」

 私はステファンの体を押しのけようと力を籠める。結婚に夢なんか抱いてないし、恋愛も同じ。これはお互いの利害の一致からくるものであって、好きとかそういうのじゃない!


「……まだあの男のことを好きだから、か」

 私を抱きしめる腕の力が、少しだけ弱まる。

「それは関係ありませんっ」

「いいんだ、オリヴィア。君はそのままの君でいてくれ。俺が……いつかオリヴィアを振り向かせるから!」


 きらーん。

 みたいな瞳で私を見つめてくるステファン。


 ……ああ、なんだか前途多難だなぁ、これは。



 それからの数日は、あっという間だった。


 私の話を聞いたプレストは、目が飛び出そうなくらい驚いていたけど、同時にホッとした様子でもある。そりゃそうだ、元はといえばプレストのせいなんだから! でも、それも重々承知してるからか、私に

「どんな協力も惜しみません」

 って頭を下げてくれたのは、正直、心強い。


 そしてルナール公爵から私宛に届いた書簡……。簡単に言うと、娘であるオリヴィアの行為を詫び、私を称賛。このまま私を正式に“オリヴィア・ルナール”として扱うというものだったから驚いた。オリヴィア(本物)が本当にあの後すぐ手紙を書いてくれたんだろうな。でもさ、親としては、「連れ戻してマクミリア邸に!」って思わなかったんだろうか? それとも親だからこそ、娘であるオリヴィアの望むようにさせたかったのかな?


 いつもより念入りに着飾って、私は広間の真ん中に立っていた。中央には祭壇が用意され、婚約の儀を取り仕切る司祭が厳かな雰囲気を醸し出しながら立っていた。


「それではオリヴィア嬢、こちらの同意書にサインを」


 促され、書類の前に立つ。

 傍らには嬉々とした顔で書類を眺めている公爵令息……ステファン・マクミリア公爵令息がいる。


 目が合うと、ステファンが小さく頷いた。

 私は言われるがまま、書類にサインをする。


 本当にこれでいいんだろうか。私、オリヴィアじゃないのに。


 そんな思いがないわけではないけど、人間の適応力ってすごいもので、私はオリヴィア・ルナール令嬢として扱われることにも慣れ始め、この屋敷の人たちのことも好きになり始めていた。


 ステファンがマクミリア公爵家の立て直しを成功させなければ、爵位は剥奪される。ここで働くすべての人が、路頭に迷うことになるのだろう。にぎわう町の喧騒も、人々の笑顔も、全部壊れてしまうかもしれない。それは嫌だな、って思う。

 だから……。


「これを持って、ステファン・マクミリア並びにオリヴィア・ルナールの婚約証書記名の儀を終了いたします」


 司祭様が高らかに宣言し、私はにわかごしらえの婚約者となったのである。



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