タイトル未定2025/08/15 03:32
私の影は、落ち着きがない。
太陽の位置が変わらないのに、影だけがフラフラと揺れ、ソワソワしている。
横断歩道で片足を上げた瞬間、押さえが外れたようにスルリと先へ走っていく。
私は慣れたもので、素早く歩を進め影の足先を踏みつける。
影は床に縫いとめられたようにおとなしくなり、しぶしぶ私の形をなぞる。
こんなこと、他人には聞けやしない。
もし「影が落ち着きなく動く」なんて知られたら――見た目は落ち着いて頼りがいありそうなのに、と笑われるのが目に見えている。
それでも、もし影が逃げ出したら、ビルの大きな影に身を隠してやり過ごすしかない。
幸い私の影は、五分か十分も散歩すれば戻ってくる。
だが今日は待っている時間がない。
足をしっかり地面に押しつけ、一歩一歩進む。両足が浮いた瞬間、影は足元から抜け出してしまうから。
中学時代、私はバスケットボール部に入りたかったが、この性質のせいで諦めた。
ジャンプなどもってのほか。
結局、文化系の書道部で過ごした。
真夏の強い日差しの下では、真っ黒になった影がいちばん元気だ。
片足をつけていても、足を引っ張っていく勢いで揺れ動く。
最近は男性でも日傘を差すことが珍しくなくなった。
私は日傘で、自分の影の上に影の重しをかけ、動きを封じている。
その日、会社に入ると、いつもはシャキッとしている女子社員が、おずおずと近づいてきた。
「すみません……私の影をお見かけしませんでしたか?」
意外な言葉に目を瞬かせる。
「課長は歩き方から、影が動くタイプの人だと思って……恥を忍んで」
私は初めて、自分以外に“影が動く人”に出会った。しかも、こちらの影の癖まで見抜かれている。
「私の影は、十分もすれば戻ってくるが……君の影は違うのかい?」
「はい。今までそんなに離れたことなかったんです。もう恥ずかしくて、誰にも聞けなくて……」
私と彼女は、影探しを始めた。
ビルの谷間や、樹の下、街灯の足元……影が好みそうな場所をのぞいて回る。
「私の影、すぐに他の影に紛れるんです。離れている間、何をしているのかも分からない」
彼女は周囲を気にして早足で歩く。
影がない大人は、周りから見ればおかしく見えるだろう。
そのとき、ビルの合間から突風が吹き込み、私の日傘をひったくろうとした。
軽く跳び上がり、傘を取り戻す――その瞬間を、影は見逃さなかった。
足元からシュルシュルと形がほどけ、道路を駆け抜け、ビルの影に吸い込まれていく。
「……私のも、行ってしまったよ」
照れ隠しに笑うと、彼女も苦笑した。
二人でビルの影に佇み、通り過ぎる人々の視線から身を守る。
やがて、見覚えのある影が一つ、小柄な影が一つ、こちらへ近づいてきた。
小柄な影は彼女の足元へすぃっと吸い込まれ、元の形に戻る。
私の影は、連れ帰ってきたというより「もう少し遊びたい」とでも言うようにゆらゆらと揺れた。
「ビルの影が消える前には戻ってこいよ」
そう告げると、影は嬉しそうにまた走って行った。
自分の影の管理もできないようじゃ、自己管理能力を疑われるかもしれない。
彼女は私にお礼を言い、職務に戻っていった。
――他の人は、どうやって影と付き合っているのだろうか。
本当に、不思議なものだ。