第4話 静かなる疑念
「それでは、担当の者を呼んでまいります」
「ああ。頼む」
カレンが軽く頷くと、ユカワは静かな足音を残して、奥へと消えていった。
受付に残されたのは、カレンひとりだけ。竹林を渡る風が、回廊の隙間からささやくような音を運んでくる。
――不思議な宿だ。建物も空気も、まるで夢の中のように整っている。
思わず背筋を伸ばし、両腕を上げて大きく伸びをした。
やがてユカワが戻ってきた。その背後には、一人の少女が静かに付き従っている。
「お待たせいたしました。まずは紹介を――」
その続きを、カレンは聞いていなかった。
少女に視線を奪われていたからだ。
翡翠色の髪に、澄んだ湖のような瞳。整った輪郭に、均整の取れた細身の体つき。揃いの意匠と思われる美しい制服――ただし、ユカワのものとは異なり、色も柄も、より女性らしさを引き立てる優美な装いだった。
そして何より――その耳。
長く、尖っている。
エルフだ。
(……なるほどね。美しい“飾り”ってわけか)
カレンの顔から、さっきまでの気さくな表情がすっと消えた。
王国市民として、そうした光景を何度も見てきた。珍しい種族を愛玩の対象とする貴族。美しさを理由に、対等とは言えない関係で囲う商人。そして、エルフや獣人を奴隷として使役する者たち――。
皮膚の下に眠っていた嫌悪と怒りが、自然と滲み出てくる。
エルフの少女は一歩前に出ると、緊張を帯びた面持ちでお辞儀をした。
「……は、初めまして。リ、リーファと申します……バルディア様のお部屋の……ご案内を担当、いたします……よ、よろしくお願いいたします」
声まで綺麗だった。無垢で、清らかで――まるで誰かに調律された接客道具のようにすら思えてくる。
カレンの眉が、わずかに寄る。
「……よろしく」
口を動かすだけで、精一杯だった。冷たくならないようにと努めたが、声はすでに硬くなっていた。
その空気の変化に、ユカワも気づいたのだろう。
「……カレン様。もしかして、エルフが苦手でいらっしゃいますか?」
唐突な問いに、カレンは目を細める。
――顔に出てたか。いや、思った以上に、はっきり出てたんだろうな。
「別に」
吐き捨てるように、ぶっきらぼうに返した。
ユカワはそれ以上、何も言わない。ただ、小さく頷くだけだった。
少し間を置いて、ユカワが言葉を継いだ。
「カレン様は……かなりお疲れかと存じます。お召し物も――失礼ながら、泥が目立っております。先にお部屋へご案内する前に、大浴場をご利用なさいますか?」
それは提案というより、気遣いに満ちた声音だった。
カレンは無言のまま、しばらくユカワの目を見つめる。そして、静かに返した。
「ああ」
「……では、ご案内いたします。リーファ、付いてきてください」
「か、かしこまりました」
リーファは緊張した面持ちのまま、カレンの後ろに控えるように付いた。
カレンはユカワの背中を睨むように見つめながら、その足音を追って歩き出す。
(……外面は丁寧だけど、中身はどうなんだか)
胸の奥では、疑念と嫌悪が、音もなく渦を巻いていた。