プロファイル:空知ゆき
姓名:空知 竜司
諱:ゆき
階級:飛行隊士
生年月日:央歴1945/02/14 (24歳)
所属:大和幕府空軍第1航空団第35飛行隊『新選組』兼定隊
出身:松後藩夷俘島 屋岸鯱川(無頼集落)
経歴:
ゆきの父は西の果て、リールランドの冒険者であった。世界の果てを探求する者にとって、葦原の夷俘島は東の葦原海と北の焔の地にアクセスできる都合の良い土地であるため、彼が良港町で空港のある屋岸を拠点とするのは不可思議な判断ではない。
問題なのは、彼が屋岸の顔役一族の令嬢と恋仲となり、子を成してしまったこと。そして果ての海を調査するため東に向かい、消息を絶ってしまったことだ。嫁に行っていない娘が、葦原人とは思えない女を産んだ。この風評は葦原では社会的な信用を大きく損ねるものであり、様々な手段を検討した末にゆきの生家は病死と偽って母子を放逐した。
厳格な封建社会となっている葦原で家の庇護のない女が一般的な暮らしを営むのは難しく。ゆきと母が流浪の末にたどり着いたのは、屋岸鯱川の砂地に建つ無頼集落であった。行く場のない無頼集落の住民にゆきと母は無関心で迎え入れられ、母子共に猟師の射止めた獣の皮を洗う仕事で糊口をしのいだ。
ゆきの人生の転機は55年に起きた冬天軍閥の侵攻によって生じた農業用飛行機操縦者の不足、それよって松後藩が飛行学校志願者を身分問わず手広く募集した件だった。父が飛行機を駆る冒険家であった過去からゆきは空に対して強いあこがれを抱いており、合衆国の私塾(学校)で成績優秀であったゆきは応募し、見事狭き門を通り抜けた。
面談では将来的に葦原東の果ての海をはじめとした世界の果ての調査に従事したいと述べ、海上での飛行試験では試験官からは頻繁に東へ注意が向いていたとの指摘がある。
1968年、飛行学校での最後の年。葦原内戦が発生し、半年のうちに幕府軍は劣勢に追いやられる。空軍戦力の損耗を予想した幕府空軍は飛行士錬成を行うため、幕府勢力圏の飛行学校生徒に軍事教練を施す決定を行う。ゆきは真っ先に志願し、幕府直下の武士である旗本の地位を手に入れた。
1969年5月1日、最低限の錬成が終わったゆきは正式に武士となり、山義才蔵を隊長とする新選組に選抜される。それ以降、ゆきの名を諱とし、空知竜司を名乗るようになった。
1969年5月9日、夷俘島屋岸の防空陣地が政府空軍の空襲を受ける。この空襲は幕府軍の地対空誘導弾を正確に攻撃したが、鯱川沿いに展開していたため、攻撃の余波でゆきの母は死亡する。
1969年5月11日。夷俘島の露払いに襲来した神機隊と交戦。交信記録に声は残るも、彼女の戦果は不明。他の兼定隊隊士と同じく、隊長の山義才蔵と共に戦死。
分析:
生真面目で慎み深い性格をしつつも、理不尽に対して声を荒げる短絡的な所がある。
生まれの都合で教養に欠けた面はあるが、学習能力は非常に高く、覚えた事はすぐに吸収すると山義才蔵の手稿では評されている。また彼女を知る人物は口々に間の抜けた面を強調する。
元来、無頼集落の住民は幕府や藩が用意する教育を受けることが出来ないが、ゆきは合衆国政府による教育ボランティアが開いた私塾(学校)へ熱心に通っていた。ボランティアの篤志家は政府からの特別に強い要望を除いてリールランド語教育など、基本的に中立的な教育を行っていたとされる。
このボランティアは合衆国による心理戦の一環であり、将軍大和利信は生前構想していたとされる無血改革のため、受け入れに命を賭けていたのは言うまでもない。この事情を理解しているゆきは、幕府(利信将軍)に強い恩義を感じ、合衆国には複雑な感情を抱いている。
総合すると、歴史上に度々存在する「情報は少ないが、魅力的な要素が多く見受けられる人物」となるだろう。
時折彼女が獅子奮迅の働きで内戦の戦況を一変させる架空戦記がある。しかし空知ゆきは、葦原海峡で無慈悲に死ぬからあの魅力があるのだ。生き延びたら魅力は半減だ───ある歴史小説家のコメント
今度葦原でやる大河ドラマ、今度は空知ゆきらしいけど……あの人って、創作マシマシにしないと大河ドラマやれるほど内容ないと思うんだけど……───合衆国の歴史マニアの投稿
備考:
被差別階級から旗本の地位まで成り上がった、特異的な容姿の女性という理由で、後世の創作では主人公や主要人物に抜擢される例が多い。
時折彼女をサトリとする創作があるが、根拠は皆無。彼女を撃墜したとされる川端六助・加藤淳之介に対抗するためとされる。
操縦資格
・一式中等練習機『蒼鷹』
・オロール(単座戦闘機)
賞罰:
記録なし