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ジィのお役目

 ジィ家には、とある『特別な役目』があった。

 そしてジィ・ジィ・シィは、その『お役目』のために生きている。


 代々、彼や彼女が暮らすのは、ジィ領内の山地にある村だった。田畑を耕し、川で魚を獲り、機を鳴らす。女たちと井戸端でうわさばなしに花を咲かせ、友人と酒を酌み交わし、独り書を広げる。

 他の村人たちと、何ら変わりない姿で暮らしてきた。


 しかしジィ・ジィ・シィは、ヒトではあるが人間ではない。



 当代のジィ・ジィ・シィは、十六になったばかりの少年だった。ひょろりと背の高い黒髪で、その表情は素直さと生意気ぐあいを同時に醸し出している。


「おや、ジィ・ジィ・シィ。こんな時間から『お山』かい?」

「そうなんです。今日は用事がたてこんで……」

「そうかい。気をつけてなぁ」

「ええ。いってきます」


 笑って手をふる村人に挨拶を返し、ジィ・ジィ・シィは独り、山道へ足を踏み入れた。


 ジィ・ジィ・シィが、先代から『お役目と名前』を継いだのは、半月ほど前のことだ。それは、とても急のことだった。先代が山で事故に遭い、その怪我がもとで亡くなってしまったのだ。


「もっと、先のことだと思っていたんだけどな……」


 ジィ・ジィ・シィは、先代の硬い手のひらを思い出し、そっと息をついた。



 ジィ・ジィ・シィに肉親はない。否、「彼らは肉親を知らない」というほうが、正確かもしれない。

 生まれてすぐに『次代お役目』として親元から離された彼らは、周囲の人間たちの一体誰が「自分と血のつながった者なのか」分からないのだ。

 しいて言うなら、先代が『家族のようなもの』ではあったが、おそらく血はつながっていないだろう。

 ジィ・ジィ・シィは、血統では選ばれない。


 それが当たり前のことだったし、別に肉親を知りたいというわけではない。ただ、死別したというわけでもなく、「身近に居るはずなのに分からない」という感覚は、なんとも気持ちの悪いものだった。


 それに本音を言ってしまうと、ジィ・ジィ・シィは、村人たちの視線がすこしだけ苦手だった。

 一線を引かれている、とでも言おうか。「自分たちとジィ・ジィ・シィは違うのだ」と、暗に語りかけてくる。どれだけ親しくなろうとも、その一線は越えられない。


 自分が生き物としては『ヒト』ではあるが『人間』ではないこと、『お役目』であり『ジィ・ジィ・シィ』なのだということは十分承知していた。

 それでも彼らの視線を受けると、胸のあたりにモヤモヤとした燻りが立ち昇ってくるのだ。


 このことを先代に話すと、彼は笑った。「笑うなんて!」と抗議する自分を見て、さらに笑う。


「お前にも、いずれ解るよ」


 そう言った彼の表情は、あきらめと寂しさが入り混じっていた。



 ジィ・ジィ・シィは山頂の祠に着くと、『お役目』の準備を始めた。

 祠の周囲を掃き清め、酒と水、塩と米を新しいものと取り換える。ロウソクに火をともし、香を焚く。そして山道で摘んできたオトギリソウを一輪、脇に添えた。


「さて、と……」


 ジィ・ジィ・シィは、こきこきと肩を鳴らして深呼吸する。そして背負い袋から一張の弓を取り出して構えると、空へ向けて放った。

 不思議なことに、矢をつがえず鳴らされた弓からは、白い光が勢いよく飛び出してゆく。それはリン、リン、と鈴音をたてながら大きな弧を描き、樹々の向こう側へと消えていった。


 一矢、二矢、と続けて放ち、五矢を射たところで、ジィ・ジィ・シィは弓を下ろした。そして周囲を見渡して、『術』に綻びがないか確認する。

 どうやら問題ないようだ。ジィ・ジィ・シィは、弓を背負い袋の中にしまった。


 これはジィ・ジィ・シィの日課だ。毎日、毎日、これを繰り返すのだ。晴れでも、雨でも、雪でも、……雷でも。


 祠の管理と、シィ山に張られている術の維持。

 それがジィ・ジィ・シィの『お役目』だった。


 ジィ・ジィ・シィは祠の側に立つと、眼下に広がる虚ろな穴をじぃっと見つめた。底が見えないほどに真っ暗で、見ていると吸い込まれてしまいそうだ。

「いっそ、吸い込まれてしまおうか」チクリとした願望が、ジィ・ジィ・シィの胸をよぎる。そんなことは決してできないし、そんなことをしても無意味だということは知っている。

 名残惜しそうに一瞥すると、彼は洞穴をあとにした。暗くなる前に、村へ戻らなければならない。


 ジィ領は、他領と比べて妖魔が多い。それは妖魔がジィ領の中央、シィ山にある洞穴から生まれてくるからだ。山の地下深くに妖魔の巣があるのだとも、洞穴が妖魔の世界と繋がっているのだとも言われていたが、本当のところは分からない。理屈は分からないが、それでも夜になると、洞穴から妖魔は湧き出てくる。


 ジィ・ジィ・シィは、はじめてその光景を目にしたときの背筋が凍る感覚を、今でも鮮明に覚えている。二度と暗くなってから洞穴に近づくものか、と心に誓ったものだ。


 出てきた妖魔は居場所を求めて方々へ散っていくのだが、『発生源』であるが故に、ジィ領の妖魔は数も種類も多かった。


 そんな環境でもシィ山で暮らし続けるジィ家は、他家から奇異の目で見られている。『ジィ家は妖魔を生み出し、操っている』そう噂されることすらあったのだ。

 しかしその噂は、全くの出鱈目というわけでもない。ジィ家やジィ領の民が妖魔と共に暮らしているのは本当のことだったから。


 人に害なす妖魔は多いが、『そうでない』妖魔も、実は多く在る。水土牛(水の湧く角を持つ妖牛)の力を借りて鋤を引き、蓮イタチ(蓮の葉の上で暮らす人の小指くらいのイタチ)に魚を追ってもらい、麻蜘蛛(麻を吐く大蜘蛛)の糸で布を織る。

 ずっと昔から、ジィの民はそうやって生きてきた。


 しかし『妖魔と共に暮らすための術』は、『妖魔を使役する力』でもある。垣間見るだけの現実と、無知の憶測は誤解を生む。他家の者はジィ家を恐れ、気味悪がり、『妖魔遣い』と呼んで蔑んでいたのだった。



 ジィ・ジィ・シィの術は、そんなシィ山の洞穴にかけられていた。溢れてくる妖魔を、押しとどめるためだ。全ての妖魔を防げるわけではない。ただ、ある一定以上の力を持つ妖魔は洞穴を通ることができない。

 ジィ・ジィ・シィの術は、そういうものだ。



 ジィ・ジィ・シィの『お役目』は、世間の噂とはほとんど真逆のものだったが、さほど彼は気にしていなかった。そもそもジィ・ジィ・シィの存在も、その『お役目』も、公にされていないのだ。むしろ、隠されているように思える。彼を知るのはジィ家をはじめとするシィ山に住まう者たちと、他家の長のうち何人か。ほんの一握りだけだ。

 皆が知らないのだから、そういう噂がたつのも仕方がないだろう。



 それに正直なところ、ジィ・ジィ・シィは『どうでもよかった』のだ。


 外で何をどう言われていようとも、彼の生活の何かが変わることはない。 毎日、毎日、『お役目』を繰り返すだけだ。晴れでも、雨でも、雪でも、雷でも。

 他家の誰かと、関わりを持つこともないだろう。

 ジィ・ジィ・シィがシィ山を離れることは、きっと死ぬまでないのだから。


「なんだかなぁ……」


 ジィ・ジィ・シィは、自分の『お役目』に誇りを持っている。しかし同時に、言いようのない虚しさも感じていた。

 苛立ちでも、あきらめでも、悲しみでもない。言葉にできないモヤモヤとした感情を持て余し、ジィ・ジィ・シィは朱色に染まった空を見上げた。



 ジィ・ジィ・シィが村に戻ると、本家の屋敷あたりに人だかりができていた。なにやらガヤガヤと騒がしい。何かあったのだろうか。少しだけ迷ったが、ジィ・ジィ・シィは、人だかりへと足を向けた。


「何か、あったんですか?」

「ああ。ジィ・ジィ・シィ。ほら、見てくださいよ」


 村人が指さした方へ顔を向けると、見慣れない人姿があった。服装からして、他家の者のようだ。

 この村に、外の人間が訪ねて来るなど珍しい。ジィ・ジィ・シィは、首をかしげる。


「なんでも、ジィ・シェリス姫のご友人が訪ねて来られたとか」

「ジィ・シェリスの?」


 そういえば先日、そんな話を聞いた気がする。


 ジィ・シェリスはジィ家では珍しく、他家とも親交が深い姫だ。本家の直系筋だったこともあるが、彼女本人が医術師として名を馳せていたため、他家に出入りする機会が多いのだと聞いた。

 なかでも特に仲の良い姫がいると言っていたが、その者たちだろうか。



 ジィ・ジィ・シィは、いつもちょっと拗ねたように自分に話しかけてくるジィ・シェリスのことを思い起こす。

 ジィ・シェリス姫は、それから彼女の実弟であるジィ家の公子は、どういうわけか他の村人とは『何かが違う』気がしていた。ことあるごとに自分を構ってくるその姉弟からは、例の『引かれた一線』を不思議と感じないのだ。


 それが何を意味するのか、ジィ・ジィ・シィにはわからなかった。歳が近いからだろうか。彼らの立場と身分ゆえだろうか。『外』を知る人間だからかもしれない。


 ともあれジィ・ジィ・シィが、ぼんやりそんなことを考えていると、ジィ・シェリスがこちらに気づいて手をふってきた。どうやら「こちらへ来い」と呼んでいるようだ。


 しかしジィ・ジィ・シィは、会釈を返すにとどめた。『お役目』である自分は、他家の者と関わるのは避けたほうが良いだろう。そう思い、彼はそっと踵をかえす。


 その時だ。騒ぐジィ・シェリスの隣にたたずんでいる女性の姿が、ふと目に留まった。

 女人にしては背が高く、長い髪を結い上げて垂らしている。朗らか、というよりむしろ豪快に笑っているのに、彼女の周りには不思議な静けさが漂っていた。

「引き絞った弓みたいだ」と、ジィ・ジィ・シィは思った。

 そう思うと、彼女から目が離せなくなってしまう。頭ではこの場から離れなければと思うのに、どうしても足が動かなかった。


 ジィ・ジィ・シィの視線に気がついたらしい。翠の瞳がジィ・ジィ・シィを見つけ、ぱちくりと瞬いた。二人の視線がかち合った。


 その瞬間、ジィ・ジィ・シィは『ヒト』から『人間』になったのだった。










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