遥かな過去に
相手は勢いよくカタナを振るが、島津を捉えきれずに空を切る。そしてカタナの重さに負けたのか、無防備な脇腹を差し出した。島津は両手に力を込めて、上段に構えていたカタナをそこへ向かって振り下ろす。
気分は宮本ムサシか。いや、彼は二トウ流だったと聞いたことがある。だから佐々木コジロウの方だろう。佐々木の流派は知らないが、ライバルまで二トウ流では無かったはずだ。
彼は飛んでいる燕を真っ二つに切ったことがあるというが、島津にはそこまでの技量はなかった。切られた相手は真っ二つどころか、少し切れ込みが入っただけだった。
相手はその場に片足を着いたが、まだ戦意を失っていないようだ。島津は決着をつけるべく、相手の背中側に回り込んで更なる一撃を加える。その一撃でやっと、相手はうつ伏せに倒れ込んだ。
島津はこの日、三回目の勝利を手に入れた。
※※※※※
遥か昔、人類には痛みという物があったと聞く。足をぶつけたら痛みを感じ、指を切ったら痛みを感じる。どの程度の情報量かは知らないが、そんなことを一々感じていたら、情報過多で疲れてしまいそうだ。
そんなことを考えながら、昼下がりの教室で島津は窓の外に広がる広場を眺めてぼうっとしていた。
永遠とも思える時間が鐘の音と共に終焉を迎え、僅かばかりの休息がやって来た。しかしまだあと一コマ、永遠が待っている。考えただけでも気が遠くなるが、次は人類史だからまだマシと思おう。担当教諭は少し変わっているが、合間の雑談が示唆に富んでいて中々に面白い。
次の授業に備えて記憶領域から教科書を引き出していると、明るい声が降って来た。
「よう島津、三回戦突破したんだってな」
声のする方を見上げると、新開が屈託のない笑顔を向けて立っていた。
「よく知ってるな、誰にも言ってなかったはずなのに」
「何言ってんだよ、俺とお前の仲だろ?」
島津には恥ずかしくてとても言えないセリフを、新開は平気で言う。感情は弄れないはずだが、こいつはきっとその方法を開発したのだろう。
「それで、何しに来たんだよ。次の授業は合同だっけ?」
「いや別だけどさ、今日暇だろ? 一緒に帰ろうぜ。試合の話、聞かせてくれよ」
新開に期待のこもった眼差しで見られると、断りきれない。
しかたなく、「はいはい」と言う言葉と共に、手をひらひらさせて肯定を示すと、新開は満足した様子で頷いていた。そして「あ、そういえば次、移動教室だった」と言って、出口に向かって走っていった。
その為だけに来たのか、忙しいやつだ。
学校が終わり、島津は新開と並んで道路の真ん中を歩いていた。空を見上げると、青く透き通った空には積雲をバックに、色とりどりの航空車が行き交っている。
新開もつられて見上げ、手庇をしていた。だが島津が何を見ているかは分からなかったらしく、すぐに顔を下げていた。
「でさ、どんな感じだったんだよ、試合は」
「どうって、特に何にもだよ。一回戦と二回戦は、まだ初心者に毛が生えた程度の人だったし、三回戦も同じ道場の良く知ってる人だったから、攻撃の予測がつけやすかったんだ。要するに、運が良かったんだよ」
「またまた、謙遜して。十分凄いって、自信持てよな」
新開は島津の背中をバンバン叩きながら言う。褒められているからか、衝撃が思いのほか心地良かった。
「それで、次はいつなんだよ。応援行くからさ、教えろよな」
「えー、負けるところ見られるの、嫌なんだけどな」
「大丈夫だって、島津なら勝てるっしょ」
友達特有の、無責任だが悪い気のしない応援を受けて、何となく頑張れるような気がした。
しばらく取り留めも無い話をして歩いていたが、もう少しで家に着くと言うところで新開が訊いてきた。
「ところでさ、なんで始めたんだよ。あんまり島津向きじゃない気がするんだけど」
「そうか? 自分では結構、様になってると思ってたんだけどな」
「んー、そうかもしれないけどイメージとちょっと違うと言うか……、まあそれは良いから、始めた理由は何なんだよ」
そんなに胸を張って言える理由では無かったから、ふうっとひとつ息をしてから応えてやった。
「人類史ってあるだろ? あの教諭って授業中に変なこと言うのはお前も知ってるだろ。それでさ、ある日の授業で突然、『大昔の人類には痛みという感覚があった』って言うんだよ。皆が何それ? って顔を見合わせてる中、教諭が話を続けるんだ。その内容が結構衝撃的で、それがきっかけで体験してみたくなって始めたんだ」
言い終えてから新開を見ると、得心の行かない顔をしている。目で詳細を催促してくるから、しかたなく続けてやった。
「もう少し詳しく話すとだな──」
ことのあらましはこうだ。
教諭が言うには、昔の人類には自ら苦痛を感じる為の機能が備わっていたという。なぜか、と言う当然の問いに、教諭は恐らく、と言って持論を語った。
昔は、死という概念を非常に恐れていた。なぜ恐れていたかは判然としないが、未知に対する人類の根源的な恐怖が関係していたとされている。それが痛みとなんの関係が? と思ったが、教諭は質問される前にその疑問に答えてくれた。
曰く、過去には皮膚への切れ込みが、人に死をもたらすことがあったというのだ。そこから血液が漏れ出たり、ナノマシンほどの大きさの物質が体内に侵入して、身体に悪さをしたのだという。それらの脅威への防御反応として、痛みという感覚を持っていた。
とても信じられない話だったが、教諭の語る論理には一定の合理性も感じられた。
同じ様な概念として、病気というものもあったそうなのだが、こちらはその歴史が失われて久しく、文献もほとんど残っていないそうだ。
教諭の話を聞いた島津は、遥か悠久の人類と同じ体験をしてみたくなった。一度でも思ってしまったことは、やり遂げないと気持ちが悪い。
そこで何か体験できる施設はないかと調べると、古の武器を使った競技があると知った。それが、『カタナドウ』というものだった。
翌日、学校から帰宅するその足で島津はカタナドウの道場へ行き、門を叩いた。
※※※※※
四回戦の相手は一つ上の女子だった。一つ一つの所作から、自分よりも少し上手だと感じた。だが、今日は新開が来ている。簡単に負けるわけにはいかない。
カタナを両手で持ち、体の正面で構える。相手は島津よりも、やや上段に構えていた。このパターンだと、三回戦と同じで一旦避けてから攻撃するのが良さそうだ。
審判の「はじめっ!」という声で、対戦が開始された。
両者とも左右にステップを踏みながら、相手が進めば自分は引いて、相手が引けば自分が進んでを繰り返す。
三分ほどそんな状況が続き、進展が無いことにじれったくなったのか、相手が一歩踏み込んできた。踏み込みと同時に、島津の左腕を目掛けてカタナを振り下ろす。しかし最初からカウンター狙いの島津は、左後ろにステップを踏んで避ける。そして相手の伸び切った右腕目掛けて斜め下からカタナを振りぬいた。
島津のカタナは相手の右腕を両断し、それを以て島津の勝利となった。
新開の前で無様な姿を晒さずに済み、密かに胸を撫でおろす。
相手は落ちた腕を拾い、三秒ほど切断面を合わせて繋げていた。繋がった方の手を開いたり閉じたりして、接続確認をした後、こちらに手を差し出す。その手を握り、「ありがとうございました」と互いに礼をして島津は席へ戻った。
「鮮やかだったな、さすがだよ。この調子で優勝しちゃえよ」
新開は相変わらずの調子で言うが、次は優勝候補が相手だ。万に一つも勝ち目はない。せいぜい出来るのは、一瞬でやられないように粘ることぐらいだ。
「無理無理、次で負けるから、もう帰れよな」
「そんな弱気でどうすんだよ。しっかし、人体切断ってあんまり見る機会無いから、一瞬ぎょっとするな」
「そうか? もう見慣れたから何にも感じないけどな」
昔というか、ナノマシンの無い時代は切ると血が出たそうだが、それがあったら感じ方が変わっていたのかもしれない。想像もできないが。
「それもそうだな。おっ、お前呼ばれたぞ。次も頑張ってこいよ」
「おう、でもきっとすぐに負けるから、帰り支度しとけよ」
そう言って、島津はまた会場に向かった。
次の相手はさすがに優勝候補と言われるだけあって、島津とは比べ物にならない立派な体格をしていた。今までのような戦法では到底勝てないだろう。
どうすべきか考えがまとまらないうちに、構えの姿勢を取ることになった。相手は下段に構えている。これならば、上段に構えて開始早々に攻め込めば、一矢報いることが出来るかもしれない。
そう考えて、咄嗟に腕を上げて頭よりも高い位置でカタナを構えた。
そして、審判の「はじめっ!」という声と共に一気に踏み込んだ。
結果は惨敗だった。
相手は、島津よりも数瞬早く踏み込み、勢いそのままに島津の胴を両断した。島津は、真っ二つにされた燕の気持ちが分かった気がした。
床に倒れ込んだ島津は、自力で下半身の元へ行くことを諦めた。体の中からはナノマシンの蠢く音が聞こえる。
久しぶりに切られたが、島津にあるのは満足に動かない不快感だけだった。これが痛みだろうか。そしてこの先に、死という感覚があるのだろうか。何度経験しても、理解できる気がしない。
観客席に顔を向けると、見たくも無い新開の姿が目に入った。表情は分からないが、きっとにやついているだろう。島津はそっと目を閉じた。