男装令嬢の恋と受胎
R15注意
一緒に地獄へ墜ちてくれるかとその人は言った。
フィオナの答えは決まりきっていた。
もしジュリアスが死んでくれと言ったら彼の望み通り自分は喜んで死ぬだろう。そのくらい愛している。
だからこう答えた。
あなたとならどこまでも、と。
年が明けた瞬間、フィオナはジュリアスの腕の中にいた。新年を祝う歓声を遠くに聞きながら、最愛の人の重さを感じて幸福に包まれていた。
ここは首都にある銃騎士隊本部の独身寮だ。本来は首都から自宅の遠いフィリップのための部屋であり、貴族である彼の身分に相応しいように整えられた、品質のよい家具が並んでいる。本来は兄の住処であるはずのその場所に彼女はいた。
こうしてジュリアスと愛を確かめ合うのはもう何度目かわからない。
婚約を結んでから約六年ほど。最初こそは利害関係が一致した果ての偽装婚約だった。
女除けをしたかったジュリアスの偽の婚約者になって防波堤になる代わりに、不思議な力を持つという彼はフィオナの願いの一つを叶えてくれた。
即ち、女であることを隠して銃騎士になることだ。
兄に似た灰色の瞳と髪色はそのままに、髪は長くなり本来の姿を取り戻したフィオナは、フィリップのために用意された寝台でジュリアスに抱かれていた。
銃騎士隊二番隊長代行専属副官であるフィリップ・キャンベルの正体は、ジュリアスの魔法によってその姿を変えられた、フィリップの妹、フィオナ・キャンベルだった。
フィオナは家族の仇を討つために、兄フィリップの振りをして銃騎士養成学校の試験を受けに行った。しかし銃騎士になれるのは男だけだ。試験には身体測定もあり、それは上半身裸の状態で行われる。
当時十一歳だったフィオナはささやかではあったが胸が膨らみ始めていて、バレるかバレないかギリギリの所だった。フィオナとしてはちょっとぽっちゃりしているという設定で行こうと思っていたが、そこだけぽっちゃりしているのもおかしいし変に思う者も確実にいたはずだ。
しかし実家の者たちから無鉄砲と評されていたフィオナは衆人環視の中で脱ぐつもりだった。
その無茶を止めたのがたまたま試験の手伝いに来ていたジュリアスだった。ジュリアスはすでに養成学校を卒業していて正規の隊員になっていた。
試験の受付を済ませて更衣室に向かう途中で、フィオナはこの世のものとは思えないほど人間離れした容姿の美少年に、ちょっと…… と呼び止められた。フィオナは少年の美しさに呆けてしまい、促されるがまま人気のない場所に連れて行かれた。ドキドキしながら少年を見つめていると、『君、女の子だよね?』と言われてしまい、ほとんど何もしていないうちからあっさりとバレてしまった。
フィオナは必死な勢いで少年に頼み込んだ。どうかこのことは内密にしてくださいと。私は銃騎士になって家族の仇であるあのおぞましき赤髪の獣人王をこの手で討ちたいのですと。あなたが黙っていてくれるなら何でもしますし、あなたの下僕でも舎弟でも何にでもなりますからと。
ジュリアス・ブラッドレイと名乗ったその少年は、黙っているのは君次第だけどどうするつもりだったのかと問うてきた。身体測定に関してはありのままの姿を晒すつもりで、あとは試験に合格さえすれば何とかなるだろうと希望的観測を述べると、ジュリアスは呆れたのかしばらく閉口していた。
条件を呑んでくれるなら女の子であることを黙っているし銃騎士になりたい夢にも協力する、と美しい少年は顔に似合わず取引なるものを持ちかけてきた。ジュリアスが提示してきた条件は三つ。
一つ目はジュリアスの婚約者になることだった。と言っても本当の婚約者ではなく、ほとぼりが冷めた頃に婚約解消するから本当に結婚はしないので安心してほしいと言われた。
ジュリアスは現在誰とも付き合うつもりはなく、女にモテすぎて困っているので女性の誘いを断る口実になってくれという話だった。
人によっては嫌味な話に聞こえるかもしれないが、神が作り給うたかのような美の結晶の権化とも言うべき容姿をした少年ならば、嫌になるくらいに女に付きまとわれて困ってしまうこともあるのだろうと理解はした。
貴族である伯爵家の令嬢ならばより強力な盾に成り得るだろうと言われて、ジュリアスがフィオナの身元を知っていたことに驚く。
フィオナ自身は兄のフィリップとして訓練学校に通い、時々婚約者としてフィオナの姿になって協力してくれればいいと言われた。
二つ目は実力でこの試験を突破することだった。銃騎士は命がけの仕事なので、そもそも養成学校の入校試験に合格できるほどの力がなければこの先とてもやっていけないと言われた。
三つ目は――――三つ目が一番困難な条件に思えたが――――『俺を好きにならないこと』だった。フィオナは既にジュリアスのことをほとんど好きになりかけていたが、一も二もなくそれらの条件を呑むことにしてぶんぶんと首を勢い良く縦に振った。芽生えてしまった好意は消せないが、たぶん胸に秘めておく分には問題ないだろうと思った。彼に付きまとう女性たちのように、思いを打ち明けたり迫ったりしなければ大丈夫のはずだと思った。
胸の周りに包帯を巻かれて肋骨の骨折治りかけという設定と、肋骨を折るほどの大怪我のおかげで長らく入院していたせいもあり兄の本来の年齢である十四歳にしてはかなり小柄であるという設定が追加されたフィオナは、無事試験に合格することができて訓練学校への入校を果たした。
実は魔法が使えるとジュリアスに打ち明けられたのは試験後しばらくしてからで、ジュリアスはフィオナが秘密を漏らさず信用できる人物かどうかを確信できてから話したようだった。
訓練学校中は女とバレそうになることも何度かあったが、ジュリアスの魔法のおかげで事なきを得続けた。性別を偽って銃騎士になろうとしたことが発覚すれば刑罰の対象になってしまう。
『好きにならないこと』が条件ではあったが、紆余曲折を経て二人は恋人になった。
フィオナが十四歳の成人を迎える誕生日に向こうから告白してもらって、正式にお付き合いを開始することになったのだが、その時四つ年上の十八歳でやりたい盛りであるはずのジュリアスは手を出して来なかった。
人目を忍び、戯れのように口付けを交わすことはあったが、身体を繋げようとはしない。もしかしたら別の女がいてそちらで満足しているのではと勘ぐったこともあったが、そういう情婦のような女の影もなかった。
ジュリアスの態度は恋人になったら肉体関係了承済みとみなされるこの国の風潮とは少し距離があるようで、違和感はあった。フィオナは自分に性的魅力が乏しいせいなのではと悩んだりもした。フィオナは激しい訓練のせいで胸があまり育たず、貧乳であることが悩みだった。
『君はいつか俺じゃなくて、もっとちゃんとした男と一緒になった方がいい』
フィオナはいつか捨てられる未来に怯えつつ、仮ではあるが婚約を結んだ状態で交際を申し込んでおきながら結婚願望がまるでないというこの不誠実な男から離れられなかった。
しかし交際が始まって一年ほどしたある日、やや暗い表情をしたジュリアスにフィオナは迫られた。このまま自分に抱かれて結婚はできなくとも一生を共に過ごすか、自分とは別れて銃騎士も辞めて田舎に帰り二度と会わないかのどちらかを選べと。
フィオナが選んだのは前者だった。結婚しないということはもしかしたら他にも同じような女を何人も作るつもりなのかもしれないと、こと女性関係に関しては厳格なジュリアスに似つかわしくないことを一瞬だけ想像して、でも可能性として無くはないのだろうと理解した上でジュリアスの女になった。
身体を繋げる直前、「俺と一緒に地獄へ墜ちてくれるか」とジュリアスが悲壮な様子で告げてきたが、フィオナは笑って、あなたとならどこまでも、と返した。
男女になってしばらくした後、あれだけ結婚はしたくないと言い続けていたジュリアスの態度に変化が起こった。
曰く、すぐにでも結婚したいと。
しかし、そこから一年半ほど経過しても結婚に至っていないのは、ひとえにフィオナ側に理由があった。
フィオナが銃騎士になったのは殺された家族の仇を討つためだ。あの獣人王と呼ばれているおぞましい赤髪の獣人を狩るまで銃騎士を辞めるわけにはいかない。
結婚したらきっと子供も出来るのだろうし、銃騎士を続けるのは無理がある。ジュリアスからも、仕事中に一緒にいられるのは嬉しいが、危険が付きまとう仕事なのだからとそれとなく言われている。
危ない仕事を最愛の人にしてほしくないのはこちらも同じなのだが、銃騎士を相手に選んでしまった時点でそれは仕方のないことなのかもしれない。
いつまでも性別を偽り続けることはできない。
ジュリアスは無理を押して銃騎士になったフィオナの思いを汲んでくれて、いつまででも待つと言ってはくれている。
国中の女たちが結婚したいと焦がれるような相手なのに、その男を待たせてしまっていることを申し訳なく思う。
どこかで区切りをつけなければいけないことは、フィオナもわかっていた。
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愛しい婚約者に眠りの魔法をかけたジュリアスは、本来の姿に戻っている彼女を抱きかかえ、とある場所に来ていた。
ここは海辺に近いキャンベル伯爵家の別荘だ。キャンベル伯領からは遠い地にあり、万一のことがあっても獣人王シドのいた里からは遠いために彼女に危険が迫る可能性も低い。
今は時期ではないために使用人も含め別荘に滞在する者はいない。無人の場所に一人無防備なままで残すことになる大切な恋人に、一切の危険がないようにと、ジュリアスは寝台に横たわらせた状態の彼女の身体の周囲に盾の魔法をかけた。
こうしておけば、大地震が来て家具が倒れたり強盗が入ってきて寝込みを襲われそうになっても、彼女は守られる。ジュリアス以外の人や者はフィオナには触れられない。
(彼女は俺だけのものだから)
もしも自分に何かあり迎えに来られず、札からの魔力が切れてフィオナが一人きりで目覚めたとしても、勝手知ったる実家の別荘ならば、彼女一人だけでもどうにかできるだろう。
続けてジュリアスはこの屋敷全体に迷宮の魔法をかけた。誰かが屋敷の中に侵入してきてもフィオナがいるこの部屋には辿り着けない。
ジュリアスの魔法を破れるとしたら同じ魔法使いだけだろう。ジュリアスの知る魔法使いは、家族以外では『真眼』の魔法使いだけだ。今や敵同士となってしまったが、彼女の性格から考えると、よほどの事態にでもならない限りフィオナに危害を加えるようなことはしないだろう。
まして彼女は今回の作戦の目的には反対しないはずだ。彼女は自分たちと同様、シドは死ぬべきだと考えている。
ジュリアスは眠るフィオナの頬を愛しそうに撫でた。
ジュリアスがフィオナを強制的に眠らせてこんなことをしているのには理由がある。
獣人の里に潜んでいた弟シリウスから、ヴィクトリアが里から逃げ出したという緊急の連絡が入った。シドは現在、我を忘れたかのようにヴィクトリアの匂いを追いかけているという。
事態が動いた。上手くいけばシドを捕まえることができるかもしれない。銃騎士隊全体で事に当たらなければならない大事な局面だ。
シドを相手にするならば不測の事態が起こる可能性が高いし命の保証もないが、全ては覚悟の上だ。しかしフィオナだけは駄目だ。
(たとえ人類や世界が滅んでもいいから君だけは生きていてほしい)
フィオナはシドを捕まえるために色々なことを犠牲にして銃騎士になった。ジュリアスだってそのことは良くわかっている。しかし彼はフィオナの意志を完全に無視して、作戦には参加させないことにした。ジュリアスは自分を含めた仲間たちを危険に晒そうとしている一方で、彼女だけを安全な所へ連れて来た。
目が覚めた時にすべてを理解したら彼女は怒り、裏切られたと感じ、困惑するかもしれないと思った。けれど恨まれても構わない。ジュリアスはもう賽を投げてしまった。
(最初はこんな関係になるつもりじゃなかった。リィとの結婚を回避できればそれでよかった)
フィオナ自身の結婚にできるだけ影響がないようにと、早めに解放するつもりだった。
(けれど愛してしまった。もう取り返しがつかないほどに愛している)
顔を撫でていたジュリアスの手がフィオナの腹部に移動する。
シリウスからの連絡を受けた後、各所に指示を飛ばしながらジュリアスは一計を案じた。既に就寝していたフィオナの部屋に忍び込み、彼女を抱いた。
彼女と寮の部屋は隣り同士だ。いつも仕事が終わればどちらかの部屋で二人きりで過ごす。昨夜もそういう雰囲気になりかけたが――少なくとも彼女はそのつもりがあったようだが――ジュリアスは何食わぬ顔でさらりとフィオナを部屋へ帰してしまった。
そんなことがあったから余計に、フィオナを起こすと、ジュリアスが夜這いに来たと気付いて驚いていたが、抵抗もなく受け入れてくれた。
フィオナは胸が小さいことを気にしていたが、そこまで思い悩むほどではないと思う。
以前、すごく魅力的だよと言ったら、フィオナはジュリアスが貧乳好きだと思ったらしかった。でもジュリアスはフィオナの胸だから好きなのだ。男のように硬い筋肉しかなくてペッタンコだろうと逆に肩が凝りそうなほどに豊満だろうと、フィオナの胸ならばどんな胸でも好きだ。フィオナだから好きなのだ。
いつものように避妊具は使わない。フィオナはジュリアスの魔法があるから大丈夫だと信じている。彼女はおかしいとも思わないし何も気付かない。
今日はフィオナの排卵日だ。だから妊娠する。
仕込んでしまった。
子供が出来たことで彼女の覚悟が決まり、自分との結婚に諾と言ってくれるならそれでいいのだが、勝手にこんなことをしてしまって、すべてを理解した彼女に捨てられてしまう可能性もあった。
けれど、それでも子供は残る。
ジュリアスはフィオナの下腹部に手を置きながら胎内の様子を探る。既に彼女の小さな卵の中には自分の種が入り込み、受精卵が出来ている。
けれどまだ不安定だ。このまま着床せず流れることもある。
いけないことだとわかっていながら、ジュリアスは魔法を使い、確実に着床できる所まで卵を移動させた。
(ここまですればフィーは確実に俺の子を産むだろう)
罪悪感がないわけではないが、もう逃がすつもりもなかった。罪の意識と同時に途方もない幸福感に包まれるのは、別れをちらつかせて半ば脅すように身体の関係を迫り、彼女の初めてを貰った時以来か。
これはジュリアスのわがままだった。
こうしておけば、この先彼女が他の男と一緒になったとしても、ジュリアスの子を産んだ事実は消えない。子供を通して、一生ジュリアスを意識せざるを得なくなる。
絆はずっと、切り離せない。
(たとえ、俺が死んでも)
フィオナは、獣人に殺された家族の敵討ちのために貴族令嬢としてのあるべき生活を手放した。家族思いのフィオナは自分の子を捨てたりはしないという確信があった。
道のりがどんなに辛くとも、彼女ならば切り捨てずに育てるはずだ。
ジュリアスとて、フィオナが許してくれるのならば、この命ある限りずっとそばにいるつもりだ。シド捕獲のための作戦は以前より練ってある。成功する算段も高い。死ぬつもりはさらさらなかった。
けれどなぜだろう、今回ばかりはどうしてか、妙に胸騒ぎがするのだ――――
ジュリアスは眠るフィオナに口付けを落とした。
「愛している。永遠に――――」
ジュリアスは彼の眠り姫に必ず帰ると誓ってからその場を後にした。
ジュリアスはシド捕獲作戦の場となる予定の九番隊砦へと赴く――――
獣人王シドが捕獲され処刑される旨の号外が配られてから数ヶ月後――――
銃騎士隊二番隊長代行ジュリアス・ブラッドレイについての号外が配られた。その中には、ジュリアスが婚約者のフィオナ・キャンベル伯爵令嬢との結婚を遂に決めたことや、フィオナがジュリアスの子供を妊娠していることなども併せて記されていた。
長らく不仲説や婚約破棄間近説が取り沙汰されていた二人だったが、その号外は全国に数多いるジュリアスの信奉者たちを、大いに喜ばせたり落胆させたりした。