30話 『胡桃の願い』
圧縮していくにつれて、私の頬を枯れない涙が静かに伝っていくのが分かる。
暴れるのをやめ、諦めて座り込む胡桃。
私を呆然と見る胡桃の目からも大粒の涙が溢れ、涙と共に胡桃との思い出が落ちては消えていく。
出会い。戸惑い。感謝。触れ合い。喜び。笑顔。
――そして今この瞬間。
思い出と共に零れ落ちる涙を見てしまった私の心に穴が開き、悲しみで心は満たされていく。
慟哭が喉を引き裂こうとした、その次の瞬間、
「瑠奈、最後にお話しよ?」
胡桃が、涙を流しながらも死を受け入れても尚、笑顔で私へと声を掛けた。
「......うん」
出来るだけお互いに話をしやすいように、私は警戒することなくキューブへと近づいた。
「ありがとね、瑠奈」
「ううん。私も話したかったから大丈夫だよ」
それから私たちはまるでさっきまで殺し合っていたとは思えないほどに雑談した。
しかし、楽しい時間にも終わりはやってくる。
それは、私の残魔力だ。既に殆ど魔力がないにも関わらず、私は無理やり胡桃と話すためにキューブが圧縮されないように維持していた。
ハッキリ言って時間は数分も残されていない。
「瑠奈。もうそろそろでしょ?」
「うん。隠さないからちゃんと言うね。後数分しかないよ」
私がキューブを維持できなくなれば、圧縮はもう一度スタートする。
「それじゃ、私の知ってる魔法少女の情報を教えるね。一回しか言わないからちゃんと覚えるんだよ?」
胡桃の言葉に頷いた私を見て、胡桃は自身の持っている情報を話し始めた。
それは離れて聞いていた霧香は知っていた情報ではあったものの、初めて知った私にとっては最悪と思える情報だった。
「魔女の集会が開かれて、南の魔女が北の魔女に殺された......ほ、ホントなの!?」
「えぇ。間違いなく本当よ。その所為で近頃は現実にも魔女の影響が出て人が行方不明になったり、他にも魔法少女たちの戦いは更に過激になったわ。それも、どんなに被害が出ようがお構いなしに戦っているわ」
「なんで胡桃と瑠奈の会話に混ざってくるのかなぁ。それも胡桃が教えようと思ってたし、空気読んでよね!」
泣いていたとは思えない程、私と会話していたときとはまるで別人かのように胡桃は霧香を睨み、それに対して霧香も睨み返していた。
「ねぇ、どうしてこんなタイミングで襲ったの? 瑠奈を殺すチャンスなら沢山あったはずよね?」
「た、確かに。思ったら私何回も死にかけているし、助けられなかったらいつ殺されててもおかしくなかったかも!」
「......別に。チャンスだと思ったからだよ。瑠奈は傷だらけだし、あんたは油断していた。だから襲っただけ」
胡桃は平然と答えた後、続けざまにもう一度口を開いた。
「それに、魔法少女の殺し合いが活発化したお陰で数が減ったのも要因の一つかな。獲物が確保出来なかったからね」
「そう。そんな理由なのね。ま、真実なのか分からないけれど、納得しといてあげるわ」
「別にあんたに理解されたくないし」
「それはお互い様よ。あなたと私は敵同士。理解なんて必要ないわ」
その言葉を言った後、霧香は踵を返して私の耳に口を近づけた。
「最後の別れを済ませなさい。私は辺りを見てくるわ」
「うん。ありがとう、霧香ちゃん」
「――ねぇ、何を話しているのか知らないけど、そろそろ本当に息苦しくなってきたし、瑠奈にお願いを一つ聞いてもらっていい?」
胡桃が私に何を話そうとしているのか、霧香はいち早くに気付き、胡桃を一瞥した後にその場を立ち去った。
そんな霧香を見届けるようにして待ち、姿が見えなくなるのを確認すると、胡桃は私へとお願いを話し始めた。
「胡桃ね、実はお姉ちゃんが魔法少女だったんだ。でも、そんなお姉ちゃんが胡桃は好きだった。いつも笑顔で、まるでテレビの中の魔法少女みたいに華やかで、そんなお姉ちゃんが大好きだった」
胡桃が私に話すお願い。
それは魔法少女になるために叶えようとした願い。
真剣に話すその表情からは一切の偽りを感じず、紛れもなく自身の願いを私に話しているという事が分かった。
「――でも、ある日お姉ちゃんから笑顔が消えて、姿も消えた。きっと魔女になったからだと思う。お姉ちゃんの願いがなんだったのか、叶ったのかも分からない。けど、そんなのはどうでもいい。胡桃が絶望したのは、胡桃が魔法少女になった時。風の噂で聞いたけど、お姉ちゃんはもう死んでたんだ。だから、胡桃は絶望した。だって――胡桃の願いが叶わなくなったんだもん」
自分にとって一番辛い話を思い出したにも関わらず、涙を溢さずに笑顔で話す胡桃。
「ごめんね。前置きが長くなっちゃって、瑠奈に聞いてもらいたいお願いは、私の願いを受け取ってもらうこと。【お姉ちゃんの笑顔をもう一度見たい】、っていうお願いを受け取って欲しいの。もう叶わない願いだけど、それでも引き継いで欲しい。駄目かな?」
「ううん。受け取るよ! それに、絶対叶えてみせる! 難しいかもしれないけど、親友からのお願いだもん。私、頑張るよ!」
「そっか。ありがとう、瑠奈。その言葉が聞けただけで嬉しいよ。最後の最後まで無茶言ってごめんね」
自分が死ぬという事、願いが叶わないという事、どちらも辛い筈なのに、それでも胡桃は歯を食いしばって泣かずに耐える胡桃を見た私は、反射的に魔法を無理やり解き、胡桃を抱きしめた。
無理に魔法を解いた所為か、代償として全身の血管が千切れそうになるくらいの激痛と、意識を失いかけるほどの魔力を抽出したが、それでも踏みとどまって胡桃を抱きしめ続ける。
「瑠奈? なにしてるの!? 馬鹿なことしないでよ!」
「良いの! こんな痛みなんて今までの胡桃の辛さを考えればどうってことはないから。親友の涙を......苦しみを少しでも和らげることが出来るのなら、それだけで私は馬鹿なことをしたなんて思えない!」
こんな突拍子もない行動をした私に対し、「何やってるのよ!」と言いながら霧香が走ってくるが、私は構わず抱きしめ続ける。
「胡桃、辛いときは泣いても良いんだよ」
「......こんな痛い思いしてまで胡桃を助けるなんて、瑠奈はホントに馬鹿だよ......」
悪態をつきながらも私の胸の中で子供のように泣き始める胡桃。
そんな胡桃の見てしまった霧香は怒りも吹き飛んだのか、呆れたように足を止めて引き返し、他の魔法少女が狙ってこないか辺りを見に戻っていった。
「ほら、あんまり泣きすぎると可愛い顔が台無しだよ?」
「良いの。胡桃は泣いてたって可愛いから」
暫く泣いていた胡桃の涙は止まり、胡桃は私の胸から離れていく。
温もりが徐々に消えていくことに少しの寂しさを感じるが、泣き止んだ胡桃の表情を見れば寂しさなどすぐに吹き飛んでいった。
「瑠奈......大好きだよ。友達になってくれてありがとう」
月に照らされた胡桃は言葉と共に、可憐な花のように微笑んだ。




