教師とは
夏期休暇後に、ティーエがこの生徒会執行部に入ってから一月が経った。
休み期間は何かと揉め事や問題も多かったようで、生徒会は休み明けその処理に追われていた。学園に任せておくと、処罰が厳しずきたり、うやむやで終わってしまうからだ。
つい最近では、学園内で生徒同士の喧嘩があり、それが貴族と平民の喧嘩だったので、学園側は一方的に平民を停学にした事に抗議しているところだ。
もうお前らはそれしかやり方がないのか?と言いたくなる。
いっそ清々しいくらいの贔屓を堂々としている。
さすがに疲れてきた。
シルビアは生徒会室にある仮眠室のベットに寝っ転がって天井を眺めた後、静かに瞳を閉じた。
生徒会室は作業をする広い部屋が一室に、応接間が一室と、仮眠室が一室の作りになっている。
貴族のいる学園ならではの贅沢な作りだ。
それにしても腹が立つ。
あの教師の言い方は何だ、生徒の為なんてまるで考えてもいないクソ野郎が。
〝平民のなんて、貴族の優越感を満たす為に学園に置いてやってるだけだ。見下す対象がいるとそれよりも上にいきたいと頑張りもするし、寄付金も多く弾んでくれる〟
堂々と言ってんじゃねーよ、馬鹿野郎。
〝君はあれだな、偽善者だ。平等なんてあるわけないのに。高い理想をかかげて自己満足の押し付けをしてる。偽善をやりたいなら1人でやればいいのに学園を巻き込んで迷惑をかけて〟
生徒の為の学園ではなく、自分達の学園だと思っている腐った教師。元の世界からの感覚では有り得ないが、この世界では階級や差別がとても濃く根付いている。
でも、200年前と比べたら?
魔導列車が開通したり、魔石による電化製品のような物も広く平民にも普及し、その生活水準も昔に比べて上がってきている。
今すぐではないが、いつかはこの国の君主制の体制も変わっていくだろう。
発展と共に変わっていくのは民も同じだ。元の世界で革命が起こり、民主主義に変わっていったように、ずっと変わらないということはないだろう。
それまでは、この腹立つ状況にも耐えないといけないのか。
苛々、悶々としていたが疲れていた為、急激に意識は遠のいていった。
――
「くっせー!お前風呂入ってないだろ!汚ねー!」
ゲラゲラと笑う少年に、クスクスと何人かの笑い声が教室に響いた。
「うわー、フケういてんじゃん!汚ねー!近よん……!」
言葉の途中で相手の頬に、振り上げた拳で殴りかかった。
よろめいて倒れた相手の上に馬乗りになり、更に殴った。
恥ずかしさやいろんな感情が全て怒りに代わり、頭に血が上って感覚も麻痺して力任せに殴った。
手に血がつき、鼻血や切れた唇からの血で血まみれの相手の顔を見ても俺の中で激しくうねりを上げる怒りで我を忘れた。
〝これだから母親のいない子は!〟
〝父親も仕事で夜遅く帰ってきてるから、放置されてるんですって。だからあんな子に育つのよ〟
〝来年からは違うクラスにしてもらいたいわ〟
〝まだ少3なのに、今からこれじゃ先も知れてるわね。片親でも立派に育ってる子もいるのに、甘えてるんじゃないの〟
〝あんな子、どっか転校してってくれればいいのに。まぁ、金なさそうだし、夜逃げでもいいからさぁ〟
うるせぇな。
どいつもこいつもうるせんだよ。
嫌な目をして、醜く顔を歪めてごちゃごちゃうるっせんだよ。
文句は言うくせに、問題ばっか口にあげるくせに、手を差し伸べてくれる人は誰1人いない。
そんなに言うなら救ってくれよ!
何をすればいいか教えてくれよ!
どうすればここから抜け出せるのか教えてくれよ!
「綾人君、君は大丈夫だからね」
髪の長い、幼さの残る顔立ちの新任の先生。
本当に楽しそうに笑うその笑顔が好きだった。
「ごめん………雪先生ごめん………俺のせいで、ごめんなさい……」
膝を抱えて泣きじゃくるしか出来なかった。
俺は子供で何も出来なかった。何1つ変える力さえない。
ただ泣くしかできないちっぽけな子供だ。
手を差し伸べてくれたのはクラスで1人だけ浮いてたから、それだけの事で、偽善や若さゆえの勢いもあったかもしれない。
それでもいい。それでも俺は死ぬほど嬉しかったんだ。
「綾人君、おばさんの事覚えてる?小学校の時同じクラスでほら、君が怪我をさせた田中 守の母なんだけど」
中学校の廊下で、笑みを浮かべて親しげに話しかけてきた女性。
ああ、勿論覚えてるよ。散々人の事罵っといて気軽に話しかけてくんじゃねぇよ、クソババァ。
「はい、覚えてますよ。お久しぶりです。守君とはクラスも違くてずっと会ってないんですが、元気にしてますか?」
「元気よ、元気。うちの子なんて遊んでばっかで、馬鹿やってきっとろくな高校にも行けないわ。綾人君は生徒会長なんだって?この中学で1番なんでしょう?高校もすっごい頭のいい進学校狙ってるって聞いたわよ。凄いわね〜」
相変わらず人を値踏みするような目で見やがって。
それで、今の俺はあんたのお眼鏡にはかないましたか?
「たまたまですよ。人より物覚えが良かっただけです」
「本当変わったわよね〜。勉強も出来るし、人当たりもいいし、格好いいわよね〜。モテるでしょ?いいわね〜デキが良くて」
「僕なんて全然モテませんよ」
デキがいいねぇ。片親しかいないからちゃんと教育もされてない、どうしよもない駄目な子なんじゃなかったっけ?
親がそんなんだから守も俺の事を卑下して虐めてきたんだよ。
それで両親揃ってるあんたの息子はしっかりとした教育を受けて立派に育ったのか?
授業もサボりがちで、不良の真似ごとなんかしちゃって、成績も教師の評価もガタ落ち。中学生でこれじゃ、この先の将来もロクな人生送らないだろうな。
ご立派な教育の賜物だな。
「綾人君、昔のよしみで守と仲良くしてやってね」
は?どの面下げて言ってんだよ?厚かましいにも程があるな。
「でも僕は守君には昔から嫌われてるので。それに、おばさんも近づかないでって言ってたし………」
「いやぁね、あんなの昔の事じゃない。綾人君も幼かったし、育ててくれる大人もいなかったんだから仕方ないわよ。思えば可哀想だったわよね、それがこんな立派になって凄いわ」
「本当にあの時はご迷惑をおかけしました。毎日苛々しちゃってたんですよね、今思い出すとあの頃の僕は恥ずかしいです。あっ、すみません、集まりがあるのでそろそろ失礼しますね」
笑みを浮かべ、ペコッとおじきをするとその場を足速に立ち去った。その間も、親しげな笑みを向け手を振る守の母には虫唾が走った。
笑えるくらいの態度の急変。
どうしてあんなにコロコロと変えられるんだ?それが大人になるって事か?いや違う。あれは昔を許したとかでなく、ただ単に今の俺が利用するに値したから態度を変えただけだ。
あの女だけじゃない。
子供の頃は、俺を罵りながら向けられる瞳に怒りと嫌悪以外に何かがあったけれど、その意味は分からなかった。今なら、それは優越感だったと分かる。
卑下されるような子とは違う自分の子。ロクな教育も出来ない片親の家庭と、両親ともに揃った幸せな家庭の自分達。
反吐が出る。
でもそれは彼らに限った事じゃない。
大抵の奴らは身近な存在で優劣を決め、自分が誰かより上だと感じ安心を得たり、優越感で自分を満たしたりする。
時にはその為に他者を陥れてまで自分が上でいようとする。
くだらない。どうしようもない奴らだ、俺を含めて。
誰もが認めるいい子ちゃんを演じてる俺も、くだらない糞馬鹿野郎だ。認めさせたい?誰に?世間の奴らに?片親でもこんな立派に育ちましたよって?
俺は………………。
ハッと息をのみ、開いた瞳に見慣れた天井が映った。
夢………?久々にあっちの世界での夢を見た。
最近はもうずっと見てなかったのに。
身を起こすと、じわっと汗をかいてる事に気づく。
不快な夢だったな。うたた寝する前に、あの嫌な教師の事を考えてたからこんな夢をみたんだろう。
今の僕はもうあの頃とは違う。
努力は形を結び、欲しいものだって何だって手に入る。誰に気を使わなくたって、思うがままに自分の好きなように生きていける。
こんな人生楽しくない訳がない。毎日が楽しくて仕方ない。
人格だって丸くなったと思う。
前はもっと卑屈に生きていた。努力するのは当たり前。それでも掴めるものはあまりなく、進んでいくのには不安が付きまとい、いつしか疲れてしまっていた。
見てくれだけは整えて優等生で人気者の皮をかぶっていたけれど、僕は何も手に入れてはなかった。
それにしても、外が何だか騒がしいな。
扉の向こうがガヤガヤとしている。
この音で目覚めたんだよな。
シルビアは立ち上がると、扉をガチャッと開いた。
「何かあった?」
と、聞いたものの見たら一目瞭然だった。
何人かが床に散らばった割れた陶器を片付けている。
「あー!それ父上から送ってもらった異国の高いやつ!」
ティーポットや、カップが見事に割れ、絨毯も濡れていた。
「会長すみませんー!僕が、僕が悪いんです〜!」
泣きながらティーエが駆け寄ってきた。
「うわっ、危ないからこっち来んな!お前は隅っこいろ!」
片付けていたナイルが、手で来るなというように制する。
う〜ん。室内を見ると来客が1人。
それをもてなそうとしたのか、皆で休憩しようとしたのか、ティーエがお茶を入れようとしてこうなったのだろう。
何となく想定はしていたが、ティーエはやっぱりドジっ子だった。
だよね〜という感じだ。
こんなミスはよくある事である。
この特性は本人が意図した訳でも悪気もなく発生するので、もはやどうにもならない。
こんなティーエだが、頭は悪くないようなので、書類をまとめたり、文章を書かせたり事務作業は問題なかったのが救いだ。
「ティーエは邪魔しないで隅っこにいて。それでカディオ先生はどうしてここへ?」
何でいるんだ?という目で見ると、代わりに前副会長が口を出してきた。
「先生は生徒会の抗議書を持って、上に話しを通してくれたんだ。あの平民の子は停学取り消しだって」
嬉しそうに前副会長が言うと、他の生徒会の面々も笑いながら良かったと口々にした。
シルビアは無言でカディオを見る。
「今日教師の会議があったんだ。この件は貴族側に非があるのは明らかだったからね、生徒の批判も起こってるし停学はないんじゃないかと提案させてもらった」
「僕らの意見はすんなり通らないのに、教師からならこんな簡単に撤回できるんですね」
ああ、こんな言い方したいんじゃないんだ。
初対面の時が最悪な印象で、プッツン切れて暴言の限りをつくしたから今更緩和できないというか、何か素直になれないというか…………。
「教師は学園の法ですか?いいご身分ですねぇ、教師って」
ああまた、この口が。
あの嫌味教師の分まで八つ当たりしてるだけじゃないか、こんなの。
カディオは僕を見ながら、困ったように小さく笑った。
うっ、罪悪感…………。
ナイル事件の時、歳も1番近いから他の教師よりかは話が通じるんじゃないかと助けを求めたのがこのカディオだった。
けれど、カディオも他の教師と同じく関心もなく、貴族か平民かに重点を置きやり過ごそうとした。
こんな若いうちから、熱意もなく、ただ流されるように勉強を教えるしか能のないクソ教師。学園という狭い箱庭の中で、生徒の上に君臨する事しかできない馬鹿野郎。
元の世界と考え方も違うのも分かってる。
それでも僕の中には教師に対する特別な思いがあった。
教師、いや雪先生にだ。
新任ゆえに、熱意に溢れ、手探りながら僕を救おうと手をさしのべてくれた。先生がベテランの世間慣れした頃だったら、あそこまでしてくれたか分からない。
今は世間知らずだったと後悔しているかもしれない。
それでも僕が救われたのは事実だし、僕が変われたのも、今ここにいる僕が僕であるのも先生のおかげだと思っている。
それに比べて、ここの教師は空っぽだ。古くから続く王族、貴族が通う伝統ある学園にいる誇りが自慢で、中身は空っぽのくせに、ここにいる間はまるで大物にでもなったかのように振る舞っているクソ教師共。
誰が教師になったって変わらない。その人でなければならない人はいない。
「連絡はもうとってある。実際力になったのは生徒会だから、生徒が来たらこの書類を渡してもらえないか」
カディオは封筒に入った書類をテーブルに置いた。
「先生の手柄ですから自分で渡したらどうです?きっと凄く感謝されますよ」
ああ、またこの口が勝手なことを………。
カディオも最初は他の教師と同じクソ教師だと思った。
でも………それがいつしか歩み寄りをみせるようになった。
初めは気のせいだと思ったが、回数が重なってくると気のせいではなくカディオが手を貸そうとしてくれているのが分かった。
でも何の為に?どうして?
一度芽生えた不信感に、すぐに彼を信じる事は出来なかった。
そうして素直になれないまま、今の状態が続いているのである。
「会長、先生いつも助けてくれるんですからちゃんとお礼言いましょうよ」
生徒会役員の1人が言うが、素直になれるならもうとっくになってる。
この世界のクソ教師に下手にでるような真似はしたくない。
こんな奴らに負けたくない。
なーんて意地を張ってるだけだよなぁ。
僕がそうであったように、人は何度だって立ち上がり変わる事が出来る。それを評価しないでどうするんだ。
シルビアは深く息を吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。
「今まで感じの悪い態度をとってしまってごめんなさい。先生の誠意もみせてもらいましたし、これからは仲良くしましょう」
ここぞとばかりに、ニッコリと微笑んでみせた。
どうだ、やれば出来るんだぞ!
だが、カディオは不審な者をみるかのような目で見てきた。
「………何か企んでる?」
「そんな、まさか。僕らの力になってくれてる先生に何をするっていうんですか。ねっ、カディオ先生」
急激に態度を軟化させすぎたのか、生徒会の者達まで不審な目を向けてきた。
そんな皆の反応を不思議そうに見ながらティーエが聞いてきた。
「会長ってカディオ先生と仲悪かったんですか?いい先生なのに」
本人目の前にしてそれ聞いちゃう?
「まぁね。1度裏切られた印象強くて、すぐには信じられなくて」
「えぇ!?先生が会長を裏切った!?」
驚きの表情でティーエがカディオを見る。
「いい先生のように見せかけて実は酷い人なんですね!」
いや〜空気読まなくて面白いね、ティーエ。
カディオは反論しないで困り顔してるし、当事者だったナイルはこの話題避けてるのかこっち見ようともしないし、忘れてはないけどいつまでも僕がわだかまりのある態度してたからだよな。
「でも先生は努力していい先生になろうとしてくれた。そこは評価してるよ。だから、これからも困った事があったらよろしくお願いしますね、カディオ先生」
ふふふっと慈愛を込めた顔で微笑んだが、カディオも皆もいまいちな反応だ。
これまで辛辣な態度をとってきたからな、ついさっきまでもだけど。急にじゃ向こうも戸惑うか。
「先生、忘れてないでくださいね。未熟な子供にとって大人の救いの手は、一生ものだったりするんです。あなたにとっては些細な出来事でも、ちっぽけな存在だったとしても、その人だって自分の人生を一生懸命生きてるんです。それを救える立場にいるんですから、先生の責任は重大ですよ」
仲直りというようにスッと手を差し出した。
カディオは戸惑い顔でその手を見つめた後に、躊躇いがちに僕の手を取った。
「これからは仲良くしましょうね、カディオ先生」
「あ、ああ………」
やっぱりまだぎこちないな。
これは早く慣れるよう、積極的に関わっていく必要があるな。
僕も救える立場の者として、責任は果たしていくぞ。
久しぶりの夢を見たからか気も引き締まった。
誰かに手を差し伸べて欲しかった。救ってほしかった。
でも、現実は甘くない。
そんな誰かなんてそうそう現れない。
僕は運が良かっただけだ。あの時、雪先生と出会えた事が今では奇跡のように思える。
皆が見て見ぬふりをすりなら、誰も手を差し出しのべないなら僕が手を差し伸べてやる。
雪先生は馬鹿をみてしまって、後悔しただろう。
それでも僕は、あの時の俺は先生に救われて本当に嬉しかったんだ。人生が変わるほど。
だから、自分だけ救っておいてもらって、逃げる訳にはいかないだろ。
偽善者でも何とでも言えばいい。
この世界での僕ならどんな事にだって立ち向かえるのだから。




