ナイルとティーエ
夏期休暇も明け、20日も経つと休み気分の抜けなかった学生達も学園での生活に馴染み始めていた。
そして、あんなに暑かった夏の暑さもだいぶ和らぎ、秋の気配さえ身近に感じる季節となってきていた。
「あーっ……僕もうダメ………」
地面に寝転がりながら息荒くティーエは言葉をもらした。
上空の空は雲1つなく、澄み渡ってどこまでも青が広がっているのをぼんやりと眺めた。
「お前の泣きごとは、卑猥に聞こえるな」
声が聞こえ、目の前に水の入ったボトルが差し出された。
少し身を起こし、そのボトルを受け取る。
「卑猥って………人の事いやらしい目で見ないでくれます?身の危険を感じます」
ニヤニヤと笑っているナイルをジロッと睨んだ。
「まぁ、へばりながらも頑張ったじゃん。初日より成長したな」
ナイルは僕の横に座った。
頑張ったといっても、ひたすら走っていただけだ。
剣を習うより、まずは体力作りという事で早朝訓練として毎朝走り込んでいる。
そして授業の後は、生徒会の仕事を手伝ったり、訓練でひたすら素振りだ。
「早く剣術を教えてほしいのにな」
ついぼやきが出てしまう。
「生意気言ってんなよ。剣を振るい続ける力も持久力もないくせに。今やってんのは、その為の基礎だからな」
「分かってますよ〜。ただ毎日毎日同じ事ばっかりだから、たまには剣も振るってみたいなって思っただけです」
「成果が出てからの言葉なら分かるけど、飽きんの早いな。剣なんか持てる段階だと思ってんのか?」
「はいはい。すみませんでした〜」
ティーエは口を尖らせた。
いちいちうるさいな。軽薄そうな男だと思ってたのに、こうやって教えてくれる事も、生徒会の仕事にしても意外に真面目にしっかり教えてくれて、おまけに小言も多い。
「お前腹立つな〜。そんなに言うなら明日の朝打ち合いしてやる。間違いなくお前は俺の一撃さえ受け止めきれないで剣を落とすぞ。その前に俺の動きについてこれなくて棒立ちかもな」
「先輩のくせに、大人気ないですね。基礎段階の僕を打ち負かしてどーだって優越感に浸っちゃうんですか?」
「可愛い顔して、ホント可愛くない奴だな」
ムッとしながらナイルはボトルの水をゴクゴクの飲んだ。
ナイル先輩はひーひー言いながら走ってる僕の横を颯爽と走り抜けていって、先にノルマを終わらして木剣の素振りまでしていた。
汗はかいてるけど、息をきらしてもいない。
その余裕な感じが、限界の精一杯な僕から見たらムカついて、つい八つ当たりのような口調になってしまった。
よく考えてみればこの人も僕の面倒をみてくれてるのに失礼だったな。出会った時からの印象が悪かったから、つい悪態をついてしまうけど、実質世話をみてくれてるのはこの人だもんな。
ティーエも水を飲みながら、広い訓練所の遠くを見つめた。
「………なぁ、無理に剣術は習わなくてもいいんじゃないのか?シルビアに学ばせてもらいたいなら生徒会の方でもいいだろ」
ナイルの言葉にそちらを見ると、彼はじっと僕を見ていた。
いつもの調子で才能ないんだから止めろとでも言われてたら、悪態でもつけたのにそんな真面目な顔で見られたら茶化せない。
「僕は強くなりたいんですよ」
「それは聞いた。でも合う合わないもあるだろ。強さって実質的な強さだけじゃなくて、内面的な強さだってあるだろ」
言っている事は分かる。向いてない事も分かってる。
でも、本当に変わりたいと思ったんだ。
弱いままの僕じゃ駄目なんだ、誰も守れない。
「………僕には歳の離れた姉がいるんです」
突然話題を変えた僕を、先輩が眉をひそめて見る。
脈絡もなく姉の話をしだして、誤魔化したと思ってるだろう。
「7つ離れているので、僕の事を気にかけてとても可愛がってくれました。優しくて穏やかで、いつも笑ってるいる姉で僕は大好きでした」
「お前の姉さんなら美人なんだろうな。俺は歳上も大丈夫だから紹介してくれてもいいぞ」
「嫌ですよ。先輩なんかには勿体無過ぎる姉ですから」
小さく笑ってから、ティーエは真っ直ぐにナイルと向き合った。
「それにもういません。7年前、僕が9歳の時にこの学都で行方不明になりました」
「えっ………」
「このセントリア学園の生徒でした。最後に目撃されたのは街にいく姿だそうです。貴族の令嬢ですからね、結構大規模な捜索や、その後も捜査が行われたんですが何の進展もないままです」
「…………そうか」
何ともいえない複雑な表情でナイルはそれだけ言った。
「ここに入学してから手がかりがないか街に行ったり、捜査をしてくれた治安部にも行きました。でも、手がかりもなく、捜査だって7年前の事件だからもうほとんど行われてなくて……。来年には僕も失踪した姉と同じ17歳になるんですよ。もうそんなに時も経ってしまって事件も風化して…………」
目の奥が熱くなって、喉がキュッとしまった。
泣くな!話してる途中でこんな、男だろ!
「………駆け落ちした可能性とかは?」
「あの当時にその捜査もされたんですが、友人に聞いてもそれらしい人物はいませんでした。それにうちの親は全然厳しくないんですよ。平民だろうと、姉が連れて来た人なら結婚も許すと思います。家族仲だって良かった。何も言わずいなくなる理由なんてないんです」
夏に邸宅に帰った時、久しぶりに姉様の夢を見た。
庭の花を摘んでいた姉様が僕を見て優しく微笑む。そして、クスクスと笑いながら、僕の髪に花を1つ挿してまた嬉しそうに笑うのだ。
「危なくたっていいんです、どんな手段でもいいから何か手がかりがほしいんです。それには僕がこんな弱いままじゃ駄目なんだ」
絶対にどこかで生きている。
きっと助けを待っている。
誰ももう姉様を覚えてなくたって、僕や家族は忘れない。
必ず一緒に僕らの家に帰るんだ。
ナイルは無言でティーエを見ていたが、やがて汗ばんだ髪をぐしゃぐしゃとかき上げ、諦めたように大きく息をついた。
「仕方ねぇな、つき合ってやるよ。お前か強くなるまで面倒みてやる」
「本当ですか!?」
ティーエの顔がみるみるパアァと明るくなった。
「ああ、それなりになるのに相当かかるだろうけどな。でもシルビアを相手にするのは無謀だと思うぞ。あいつはきっと、ソードマスタークラスだ」
「分かってます。けど、僕なんてどうせ強くなれないって思ってたのに会長を見てると、諦めちゃ駄目だって何だか励まされるような気になるんです。憧れるくらいいいでしょう?」
「まぁ、そのくらいなら…………」
ナイルは口元に笑みを浮かべティーエを見る。
「お前の言ってる事も分かるよ。シルビアはひたむきで、一生懸命でいつも前を向いてる。諦める事なんか考えてない。道も自分で切り開けばいいって思ってる。あいつは本当に自分を信じてる人間なんだよな。全然俺なんかとは違うのに、側にいると当てられて自分にも何か出来るんじゃないか、みたいに影響されて勘違いしそうになる」
「そうです!そんな感じです!先輩もよく会長の事分かってますね!わ〜嬉しい、同志ですね!」
「勝手に同志にすんな。俺は頑張るつもりないし」
「え〜頑張らないんですか!?」
「俺はお前と違って、そこそこでも強いし、これ以上頑張っても仕方ないし。あー………でも、お前の件で巻き込まれてやられる事あったらダセェな」
ナイルはティーエをじっと見た後、その頭にポンポンと手をやった。
「そうだな、少しは頑張るか。だから心配すんな」
「よく分からないですけど、よろしくお願いします」
ティーエはペコッと頭を下げるとナイルを見てニコッと笑う。
短いつき合いながら、途中で放りなげたりはしないだろうと思える位には人柄も分かってきた。
軽薄なとこもあるけど、ちゃんと面倒もみてくれるし案外いい人なのかもしれない。
「じゃ、寮に戻って汗流してこないとな。このままじゃ時間なくなるぞ」
ナイルは立ち上がり、ティーエに手を差し出した。
その手に掴まり、全体重をかけて身を起こす。
全身が筋肉痛だし、疲れてどっと体が重かった。
初日は動けなくなり、おぶわれたのでそれに比べたら良くなった方だが、朝からこれなので授業中寝てしまったり、身が入ってないのも事実だ。
せめて体力くらいは早くつけないとな。
1人ではないのだから、会長や先輩にも迷惑がかかってしまう。
でも、無理に頼み込んだとはいえ、1人じゃない事がこんなにも心強いなんて。
よーし、絶対に頑張って強くなってやる!




