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王太子エディスの苦悩

吐く息が冷たい空気に触れ白くなる。

冬の訪れた街並みには薄らと雪が積もっていた。

この比較的暖かい地方でこれなのだから、北のもっと寒い雪深い地方では今どうなっているのだろうか。どんな暮らしをしているのだろうか。

僕は何も知らない。


「エディスどうした?」


不意に顔を覗きこまれ、その顔の近さに驚き僕は後ずさった。


「べ、別に。雪だなと思って見てただけだよ。シルビア近い」


ぐいぐい距離を詰めてくるシルビアを手で押し返す。


「なあ、まだか?寒いんだけど」


温かいコートに身を包みながらルオークは言った。

先程から文句ばかり言っているが、ついてこなくてもいいと言ってるのについて来てこんな態度だ。

僕は王太子として来ているのではなく、教えを乞う者として来ているのに。正直帰ってほしい。

エディスは息をついた。その息も白く染まる。


「お待たせしました!」


男が1人鍵を持って走ってきた。

男は僕やシルビア、ルオーク、それについてる各々の護衛を含め大人数に恐縮しながら慌てて小さな家の鍵を開けた。


「ご苦労様、鍵は僕が預かっておくから帰っていいよ」


シルビアは男から鍵を受け取ると、今度は護衛達を見た。


「ご覧の通り全員入ると狭いから僕ら3人で行くから。危ないものはもうないから大丈夫だよ」


そう言うとシルビアは入り口のドアを開き、僕とルオークへと手招きをした。

一応、護衛の騎士へと待機するよう目配せしてから歩き出す。


冬に入る前にシルビアの護衛隊の面々が変わり、サウロ卿がいなくなったからか無駄口をたたく者もいなくなり静かだ。


家の中に入ると、ほんのり甘い香りがした。

室内は乱雑に物が散らかり、壁には黒っぽく変色した血の跡がいくつもあった。


「ここで麻薬を作ってたんだね」


シルビアを見ると、彼女はコクっと頷く。


「そう。それで今回摘発された」


見ての通りというように彼女は室内を見た。

民家が集まった居住区の一角でこんな事が行われていたなんて………。住んでいたのは穏やかそうな年配の夫婦で、住民達は誰も気づいていなかったという。


近年北西の地域で異国から入ってきた麻薬が広まりだしていた。

今回この南東地域で初の摘発があったのだ。

場所は公爵領の港街であるサウロードだ。貿易の穴をついて隠れて密輸されたらしい。そしてこの民家で加工され出回り出したのを、早々に見つけ摘発に至った。


「これがここで作られてた麻薬だよ」


シルビアはポケットから小瓶を取り出し目の前にチラつかせた。

瓶にはピンクの小さな飴のようなものが数個入っていた。


「へ〜、美味そう。試しに1個食べてみたくなるな」


笑ったルオークへとシルビアは呆れた顔をする。


「どうぞ。止めはしないよ」

「じょ、冗談だって。さすがに食べねーよ」


でも知らなかったら勧められるままに食べてしまいそうだな。見た目も飴のようだし、北西地方で子供の被害もあったというのはこの形状だったからだろう。


書類や人から話を聞くのではなく、自分の目で確かめてみたかった。今回の事が公爵領で起こったので、シルビアを通して視察させてもらえないか頼んだら、あっさりと公爵は了解してくれた。

その前にも魔鉱石の鉱山も視察させてもらったし、どれも私的な自分の好奇心を満たすものであるのに、受けてくれたのは父上の親友だからなのか、それとも娘の友人だからなのか。

でもそのどちらでも構わなかった。僕に足りないものを得られるのなら、何だって構わない。恥も捨てる。経験は本を読んでいたって得られはしない。待っているだけじゃ駄目なんだ。誰も与えてくれない、自分で積み上げていくしかない。


「まぁここはこんな感じだよ。港にも行くんだろ?馬車を近くに用意させてるから早く行こうか」


シルビアがくるりと向きを変え、入り口へと歩きだす。

頭の高いところで1本に束ねられた髪が、尻尾のようにくるっと回り跳ねた。迷いもなく前を向いて進んでいく彼女を見ていると、いつも追いつけないなと思う。どんなに頑張っても、シルビアはその先へ行ってしまっている。

けどそれでいい。振り返って立ち止まり待っていて欲しくなんかない。誰に認められる訳でもなく自分の為に頑張るシルビアの姿勢が好きだ。苦しくても諦めないで努力する君の姿が好きだ。

君を見ていると僕も頑張ろうって、とても励まされるんだ。


その時、視線を感じて横を見るとルオークがじっと自分を見ていた。


「何?」

「お前ってさ、前から思ってたけどシルビアの事好きだよな?」

「えっ!?」

「いっつも恋する乙女みたいな顔でポーッと見ちゃってさ。気づかない振りしててやろうと思ったけどもう限界だ。いろいろ突っ込みたくて仕方がない」


ルオークの言葉に慌ててシルビアの方を見るとシルビアはすでに外に出ていたのでホッとした。


エディスはチラリとルオークを見る。

いつから知ってたんだ?そんなに分かりやすい態度してたのかな。


「まあ何だ。あいつのどこがいいのかは全く分からないけど、話くらいは聞いてやるから何かあったら言え」


照れたように少し顔を赤くしながらルオークは言った。


「はは……や、恥ずかしいね。ルオークと誰が好きとかそんな話をするだなんて」


エディスも顔を赤くする。

否定したところで、核心を持ってバレてそうなので素直に認める事にした。だけど、まさかルオークと恋だのと話をする日がくるなんて思ってもみなかった。


「この話は後にして行こう。待たせるわけにいかない」


エディスはすぐに歩き出した。

何だか気恥ずかしい。ルオークに自分の心内がバレてしまって、この後もシルビアに普通に接する事が出来るだろうか。動揺してしまいそうだ。でも、絶対に悟られるわけにはいかない。



外に出ると待っていたシルビアと護衛達と共に馬車に乗り、港へ向かった。

道中、3人だけの馬車の中でルオークが何か言いたげな顔をして僕とシルビアをチラッチラ見てくるので、最初は恥ずかしかったが、それも途中から苛立ちに変わっていった。


あからさまだし、しつこい。

ずっと気づかない振りしててくれれば良かったのに。結局は言いたくて仕方なかったのだろう。解放されたらこれだ。



港に着き、馬車から降りると冷たく冷えた潮風が吹き荒れていた。


「うお〜寒み〜!!縮む〜!!」


ルオークはコートをギュッと掴み身を縮ませた。

確かに寒い。街中よりもぐっと気温も下がっている。


けれどこの寒さの中でも、働いている者はいる。

目前にはどこまでも広がる大きな海と、何隻もの大きな船が所狭しと並んでいた。

港は人で溢れ、大きな積荷が船から運び出されたり、これから積み込むのか荷台に山ほどの積荷を乗せバランスよく運んでいる者など、とにかく人と物だらけだ。


見てるだけで目まぐるしい。

何も分からない僕には、ごっちゃごちゃにも見えるが皆分かって動いてるんだろう。


「正直こんな状態で運ばれてたら麻薬が紛れてたって分からないよね」


そう言った僕をムッとしながらシルビアが睨む。


「うちはそんなずさんな管理はしてません〜。チェックもちゃんとしてるんだぞ」

「ごめん、そうゆう意味じゃなくて……。つい口を出ただけなんだ」

「ふむ、素人目にはカオスに見えるだろうけど、ちゃんと機能してるんだよ。見て、あっちに大きな倉庫があるだろう」


シルビアは向きを変え、後方を指差す。

その方向に大きな倉庫がいくつもあった。


「異国や国内からの積荷はまずあそこに運ばれて、中身もリストと合ってるか検品されるんだ。職員も交代制で一日中いて見張ってるから勝手に持ち出す事も出来ない。出荷の書類とか手続きも必要だ」


次にシルビアは腕章をつけた人を指差す。


「うちの貿易商社の職員だ。船のそれぞれに数名の担当がつき、積荷を積み込む時も、下ろす時も不正がないかを見張っている。公爵家の騎士も巡回しているから何かあればすぐ駆けつけられる体制になってるんだ」

「いろいろやってるんだね」


そう言うとエディスは黙って港の人々を見た。

見張っている人もかなりの数だし、船員も公爵家の紋をつけてる人が多い。事務を行う者もいるだろうし、倉庫の人達も含めると相当な数の雇用を担ってるんだな。


「なぁ、本当に凍えちゃうよ!寒い!寒過ぎる!!」


ルオークがガタガタと震えながらコートを掴んできた。

だから来なくていいって言ったのに、勝手についてきといてうるさいったら………。


「今から帰ってくれていいよ。うん、むしろ邪魔だから帰ってくれ」

「うわっ、顔怖っ!お、俺は残るからな!」

「いいよ、残らなくて。今日はこの後も楽しい事なんかないよ。何の為に来たの?」

「うう……分かってるよ!でも、俺はお前が気になるもの全部一緒に知っとかないといけないんだ!将来は俺が宰相としてエディスを支えるんだからな!」


予想外のルオークの言葉に思わず息をのんだ。

ルオークがそんな事を考えてたなんて…………。

ちょっとびっくりした。言動と行動は一致してないけれど、あのルオークが将来を見据えている。人の恋愛ごとにまで口を出してきてきたりと、今日のルオークには驚かされてばかりだ。

天真爛漫な子供のようだったルオークも少しづつ変わり始めている。まだ13歳と何かを成せる程の力もない僕らだけれど、これから共に成長して僕の力になってくれるのなら心強い。ルオークなら僕を利用したり騙したり裏切らないと信用してる。


「友情いいねぇ。ルオークの成長にお姉さんも涙だ」


シルビアがにこやかに笑いながら2人へとパチパチと拍手をおくる。だが、途中でくしゃみをして鼻を擦った。


「確かに寒い。んじゃ、中に入りますか。貿易商社の方も見ていくんだったよな。すぐそこだから」


鼻を赤くしながらニコッと笑うと、シルビアは踵を返し歩き出す。

こんな寒さの中でも、シルビアの尻尾のような髪は元気に跳ねている。

その後ろ姿を見つめながらエディスも後に続いた。



貿易商社は港から見える所にある5階建ての大きな建物だったので迷う事なく直ぐに着いた。


「あー寒かった。2人はこの応接室で待ってて、案内の者呼んでくるから。僕が説明するより働いてる人の方がいいだろ」


シルビアは2階の応接室に2人を案内し、中のハンガーに自分のコートをかけた。そして、2人にも自分でやれというようにハンガーを手渡す。

護衛の騎士達は1階で待機だ。


「お前はどっか行くのか?」


ルオークか聞くとシルビアは頷く。


「僕もここでいろいろ学んでるからさ、ちょっと顔だしてくる。2人の視察が終わったらまた合流するよ。んじゃ」


バイバイと手を振ると、シルビアはすぐに行ってしまった。

すると、すぐにルオークが振り返って僕を見る。


「………後継者教育って事だよな?」

「そうじゃないの」

「あいつ婿養子でもとる気か?」

「知らないよ」


エディスはコートをハンガー掛けに置くと、応接間のソファに腰掛けた。


「えっだってお前シルビアの事好きなんだろ?いいのか?」


ルオークが回り込んで前にやってきた。

もう勘弁してほしい。余計な世話やこうとするな。


「シルビアの事はシルビアが決める。僕は今後も何も言うつもりはないよ。以上、この話は終わり」


不快さをあらわに睨みつけてから、エディスはルオークを無視するように横を向いた。

これ以上追及しないでほしいが、ルオークは話題を変え更なる追及をしてきた。


「じゃあさ、あいつのどこが好きなの?」


もうコイツ…………。いい加減にしてくれ。


「今はこうゆう話題したくない。何かあったら言うからそっとしといてくれ」

「分かった」


ルオークは何故か隣に座って距離をつめてくる。


「じゃあ、最後にこれだけ。夏にさあいつの際どい鎧見た時ドキドキした?俺にとっちゃ頭どうかしてると思ったけど、エディスは嬉しかったか?」


ニンマリと笑うルオークの顔は腹立つ以外の何者でもない。

全然分かってないな。しかも、しつこい。この話をいつまでも続けるのも嫌だから1回だけ答えてやるか。


「ドキドキしたよ。あんなの見せられたら誰だってそうだろ」

「ほ〜。でもさ、シルビアのああゆう慎みのない浅はかな面は直してほしいだろ?衝動的な事するんだからあいつ」

「それも含めてシルビアだと思ってるけど。思いもよらない事するとこも、馬鹿だなぁって可愛いと思う」

「え………?いや、止めないと。思うがままであいつヤバいだろ」

「止めはするよ。でも、やりたい事をやるために一生懸命なとこもいいと思うんだ。あの鎧にしたって、その為に鎧造りまで取り組む情熱とか、そうゆう無駄な頑張りにも全力なとことか、それで凄く楽しそうだったり、ちょっと馬鹿っぽくて安心するというか、たぶん僕はシルビアが何をやっても可愛く思えるんだと思う」


そう言ったエディスをポカンとしてルオークは見た。


「……真顔で言うか」

「止めようとした時期もあったけど、そうゆう次元じゃなかった。僕なんかが気にしてあげなくたって、シルビアは自分を追い込むくらい努力してやり遂げてしまう。人の事より自分の事だ、僕の方が何も出来ていない」

「うーん…………」


ルオークはみっちりと詰めていたエディスの側から少し離れる。


「お前は俺と同じ光景を見てると思ってたけど、違うんだな。シルビアに関しては盲目的だし」

「受け止め方は人それぞれだろ。あんまりしつこいとアンネローゼ嬢との事突っ込んでいくよ」

「はいはい。まあ、あいつとのこと聞かれたって俺は何にもないけどね〜」


ニヒヒとルオークが笑う。

その時、ドアがノックされた。

2人が返事をすると中年の男が顔を出した。


「お待たせしました。事務部門の副管理のバス・テイラーと申します。中を案内しながら業務について説明しますのでどうぞこちらへ」


バスはドアを開いたまま、行きましょうと手で示す。


「忙しいのに心良く受けてくださってありがとうございます」


エディスはすぐに立ち上がりバスの後に続いた。ルオークもやれやれと立ち上がりその後につく。


「では行きましょう。本当は責任者が王太子殿下を案内出来れば良かったのですが、今日は公爵様がいらっしゃっての会議があったので申し訳ありません」


歩きながらバスはペコッと頭を下げた。


「いえ、ただの我儘に付き合わせてしまってこちらこそ申し訳ないです」

「殿下はとても勤勉な方なのですね。あちこちを回って見聞を広げてるとか。ご立派です」

「そんな立派なものじゃないです………」


聞こえはいいけれど、本当にそんな大層なものじゃない。そう言われるとかえって恥ずかしい。


ふと、前を歩くバスが足を止めた。

前を見ると一際異彩を放つ人物がゾロゾロと人を引き連れて歩いてきていた。

カルロス・アルビシス公爵だ。周りの人達は随分と沈んだ顔をしている。


「あれは公爵様にこってり絞られたようですね」


コソッとバスが耳打ちして教えてくれた。


公爵が近づくにつれ、思わず足がすくんだ。

大きいのは勿論のこと、その身以上の威圧感のあるオーラに圧倒された。まるで戦いに赴く猛者のようだ。

その公爵が僕らの前でピタッと足を止める。


近くで見ると本当にでかい。195フィートだったか。背も高ければ体格もいいので、161フィートの小柄な僕が小人のように感じた。


「お久しぶりです公爵。今回も視察の件ありがとうございました」


公爵と直接話す事は滅多にないので、少し緊張した。


「ああ、今日でしたか。うちの者にはよく言ってあるので何でも聞いてください」

「ありがとうございます」


僕をどう思ってるのだろう。足掻きのようにこんな事をしてる僕を内心嘲笑ってたりするんだろうか。父上にすら期待もされない僕に何が出来るのかと軽んじているかもしれない。


微笑もうとしたが、顔が強張りきごちなく笑みを作った。

ああ、本物は違うな。僕なんかとは違う。

父の言葉が呪縛のように締め付ける。気にしないよう、忘れようとしてもいつも頭の片隅にあった。


「公爵様、だいぶ時間が押してます。この後は商団に行く予定ですから急ぎましょう」


書類を抱えた秘書の男がカルロスへと促すように言った。

だが、カルロスはエディスをじっと見る。


「………そうだった、少し話す予定があったな。商団は待たせておけ。殿下、こちらへ」


カルロスは戻るように向きを変え、エディスを見た。

え?話?そんな予定なかったけど…………。


戸惑う自分と同じように、ルオークも何何?どーすんの?着いてくの?という顔で僕を見てきた。


それを察したのか、カルロスはルオークを見た。


「君は予定通り話を聞いていてくれ。何も2人で同じ事をする必要はない。しっかりと聞いてそれをまとめて君が殿下に伝えればいいんだ」


カルロスの言葉にルオークは反応を求めるように僕を見てきた。

そうしてくれ、と言う前に、更にカルロスが口を開く。


「父上から聞いたよ、将来殿下の補佐をしたいんだってね。なら自分でも考えて行動しないと。言われた事をこなす侍従ではないだろう。言われた事以上の働きをしろ、時には殿下を諌める程の自分の意見をもて、助言できるだけの知識を持って殿下の盾になれ。友人気分でいたいなら、友人のままでいればいい。その方が足手まといにならずにすむ」


ニコッとカルロスは笑ったが、ルオークはカァと赤くなった。

だが気にせずカルロスはエディスを見る。


「さあ殿下、少し話しでもしましょう」


意図は分からないが、公爵が機会を作ってくれたのだから是非話をしたい。こんな機会もうないかもしれない。

エディスは励ますようにルオークの背をポンポンと叩いて〝任せた〟と小さな声で言うと、カルロスの後に続いた。


ルオークがちょっと心配だが、まずは自分の事だ。


「彼がどんな報告をするのか楽しみですね、殿下」


含みのある笑みをうかべるカルロスをエディスは心を落ち着けるように呼吸を整えてから睨んだ。


「ああゆう、言い方をしなくても良かったんではないですか?」

「殿下の気にさわりましたか?それは失礼しました。殿下と彼の間に覚悟の差があるように見えまして。補佐だのと言うならば、少し喝を入れてやろうかと年長者からのお節介でしたね」


カルロスは口元に笑みをうかべているが、その目は笑ってなく探るように僕を見ていた。公爵の心の内がまるで読めない。



少し歩き、5階のカルロスの執務室へと案内された。

室内は豪華な造りで、応接のソファに座るよう促された。


素直に応じソファに座ると、公爵が自らティーポットにお湯を注ぎ入れだしたので、慌てて立ち上がったがそのままでというように手で制された。


「外は寒かったでしょう。私のいれたお茶は貴重ですから残さないよう飲んでくださいね」


これまた公爵自らティーカップの乗った皿を前のテーブルに置いてくれた。


「恐縮です…………」


エディスは一気に飲み干そうとしたが、あまりの熱さに口を離す。


公爵が何を考えてるか全然分からない。どうして予定を変えてまで時間を作ってくれたのか、お茶まで自分で淹れてもてなしてくれるなんてどうしてだ?

じっと公爵を見ていると、彼はふっと笑った。


「殿下は目で語りますね。何か言いたそうな顔をされていたので時間を作ったんですよ」

「えっ………そ、そうですか。それはすみません。いえ、機会をくださってありがとうございます」


恥ずかしい。そんな顔をしていたとは。


「前はもっと幼くて優しい目をしていたのに、ある時から変わりましたね。貪欲に何かを欲しているように爛々としてるかと思えば、とても不安そうに自信がなさそうに見える時もある」


カルロスはエディスの向かい側のソファに腰掛け真っ直ぐにエディスを見た。

その視線に、言葉に鼓動がドクッと大きく高鳴った。

そんな事を言われるとは思ってもみなかったが、当たっていると思う。自分が見透かされた気がして、居心地が悪かった。


すぐに言葉が出ず、視線も公爵から逸らすように下を向いた。

何を言えばいいか分からず、頭の中はぐちゃぐちゃになった。

早く、何か言わなくちゃ…………。


「私の助けは要りますか?」


その言葉にエディスは顔を上げる。

公爵は口角を上げ笑みを作り、また探るような目で僕を見ていた。


「どうしてですか?僕が………国王の息子だから?それともシルビアの友人だからですか?」


なんで公爵ほどの人が僕を気に留めるんだ?


「いや、強いて言えば…………勘でしょうか」


少し考えるように公爵は言った。

勘だって?それがどうゆう意味で言ってるのか分からない。


「殿下はアーレントとは違って真面目で謙虚でありますね。何を焦っているのか知りませんが、もう少し力を抜いてもいいと思いますよ」


アーレント………。公爵は父の王政についてどう思ってるんだろう。僕の事は…………。


「公爵は………王太子の僕をどう思いますか?立派な王になれると思いますか?」


思わず言葉が口をついて出た。

だが言ってからすぐに我に返る。

何を聞いてるんだ?こんな事聞くなんて情け無い。自信がないと言ってるようなものじゃないか。言葉の補償がほしいのか?立派な王なんてなれる訳ないと思ってるかもしれない相手なのに。


すると公爵は声を殺すようにククッと笑った。

瞬間、恥ずかしさに全身の血が沸騰したかのように熱くなる。

どうかしてる。この人は甘える相手じゃない。


「いや、失礼。若いなと思いまして」


笑いを堪えるようにカルロスは口元を抑え、それでも可笑そうに瞳を細めた。


「私が殿下くらいの時は、後継者教育という名目を携え異国からこの王国内をあちこち放浪して、この公爵領になんて殆ど居ませんでした。父も呆れていたものです」


和らいだ公爵の表情に、火照りは段々と収まってきた。


「何かの祝賀会に渋々参加させられた時、あなたの父君のアーレントなんてこの世の全てを手にしたかのような顔で偉そうに踏ん反り返ってましたよ。他国の王子と歳も近く話す機会もあった私は比較し、子供ながらに愚かな王子だと近づくのを避けました」


ち、父上はそんなふうだったのか?今の姿からは想像できない。


「あの頃の私も、アーレントだって立派な何かになるかなんて考えてなかったですよ。それを考えるのはもう少し後からでもいいのでは?もう結果を考えるのは早すぎますよ。出来る事を全力で取り組むのが今殿下の成すべき事だと思います」


それからカルロスは思いだしたようにプッと笑った。


「まだ何もしてないのに立派な王だなんて、いくら私でも分かりませんよ。そうゆうのは王になってから様々な政策をし、形になった結果を見て立派だったと言われるんです。焦る気持ちも分からなくもないですがね」

「は、はい…………そうですね。何を言ってるんでしょうね」


恥ずかしい。完全に子供扱いだ。でも、その通りなだけに反論する言葉もみつからない。


「焦っているのはアーレントかな。あれでいて小心者だから。でも息子にまで不安を振りまくのは感心しないな」

「父は……父上は頑張っておられます」

「アーレントが頑張ったところで、先代、先先代の失策は補えるものじゃない。先先代は王国の魔道列車の建設や運営に妻の実家を関わらせた大馬鹿で大損失を与え、先代は色欲に溺れ政策をないがしろにし貴族をのさばらせた愚者だ」


歯に衣着せぬ物言いにはもはや笑うしかない。

確かにその通りなのだけれど………もう少し言い方が。


「あの親にしてはアーレントはまともに育った方だ。大きくなるにつれ現状が理解でき、いざ焦ったところでもう出来る事など限られてるけれどな」

「公爵は………父上と親友だと思ってましたが違うんですか?本心では馬鹿にして笑ってるんですか?」


そう言った僕を見て、公爵は面白そうにニヤリと笑った。

な、何だよその笑いは?


「若いなぁ……。殿下の友情は仲良しこよしでお互い庇いあい、慰めあいで傷つける事なく穏やかなんでしょうね」

「なっ!」

「ふっ冗談ですよ。殿下には耳障りでしょうが、こういった性格なもので。これでもアーレントとは親友と思っておりますよ」

「………本当ですか?」

「馬鹿だとも思っておりますけど。不器用な愛すべき馬鹿です」


もう絶句だ。父上にもこの調子なのか?


「さすがに本人に馬鹿とは言いませんよ。でも何でも言いあえる仲とは自負しております」

「よく公爵のような人物が父上と親友になりましたね」

「それがアーレントの魅力です。遠ざけようとしたのに、いつの間にか犬のようによって来て気づいたら絆されてました。人懐っこくて心に入り込むのが上手い、人に好かれる性分です。何代か前なら人心を掴んで忠臣に恵まれ良い王となれたでしょう」


静かにカルロスは微笑えんだ。

でも、父上の代はそうではなかった。貴族に権威は奪われ、欲深い者達が隙あらば更に内側に入りこもうとしてくる。


「あいつは本当に小心者で怖がりなんですよ。だから殿下も見限らないでやってください」


その言葉に、公爵を真っ直ぐに見る。


「2人の間がぎこちないようだったので、余計な世話を焼きました。王や父親である前に不器用な弱さを持った1人の人間として大目にみてやってください」


凛々しく笑う公爵を見ながら、敵わないなと思った。

何でも分かってるんだな、この人は。自信に満ちて力強く、それに男気にも溢れてる。父上が憧れる訳だ。


エディスは笑みを浮かべてカルロスを見た。


「分かってますよ、僕の父上です」

「それならば良かった」

「公爵、もしあなたが王太子だったら何をしますか?」


突然の予想外の問いに、公爵は一瞬キョトンとした。

何を聞いてるんだと自分でも思う。自分で考えろとでも言われそうだが、聞いてみたかった。

もう恥だらけで、更なる恥の上塗りがあっても今更だ。


だが、公爵はまた面白そうにニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「それを私に聞きますか」

「あはは………忘れてください」

「いいですよ、あくまで私ならですけれど」


えっ?本当に答えてくれるのか?


「殿下はもう少し人の使い方を覚えた方がいい。裏切らない友人はいい人材です。もっとこうしてほしいなど要望を伝え育ててみるといいですね、察するタイプでもなさそうですし。たまには本音も混じえてあげると心を許されたようで喜ぶでしょう」


これってルオークの事かな?ん?助言……?


「今やってる見聞を広げるのはいいと思いますよ。今しか出来ない事です。この次は商団あたりを見てもいいでしょうね。私ならその他に、王国の気になる土地をあちこち訪問します。寒暖のある地や、痩せた土地、豊かな土地。今ならば麻薬被害の多かった北西地域にはきっと行くでしょう」

「僕もそこは行きたいと思ってました。ただ、向こうは今極寒の地だから準備も必要だけど」

「いいですね、その地を肌で感じて来てください。人々の暮らしに目を向けてその姿を見る事で得られる事もあります。あと、私なら治療院にも行きますね。麻薬被害の末路を見てきます。末期で精神汚染されると体は治せても心は治せませんからね、そうゆう現実を見るのもいいでしょう」


何だか公爵の話は、自分の話を絡めつつ助言のようだ。


「体験は貴重です。今回の件も私なら摘発された者達の拷問まで見ていきますが、殿下はどうします?」

「それはまた今度で………」


さすがに拷問を見る心構えはしてなかったし、皆を待たせる事になるし………。ああ、こうやって機会を逃すのかな。


「いきなりでしたね。でも殿下にとってはそういった事も今後関わる事もあるでしょうから1度は見ておいた方が良いですよ。どのくらいで口を割るのか、死ぬのかなど想像するより見た方が早い」

「は、はは………じゃあ、是非今度」


大した事のないように、さらっと言ってくれるな。


「あとはセントリア学園に入ったら私なら、今後の自分の為になるであろう人材を見極めますね。あそこは殆どの貴族の令息が入りますからね。味方につけられる者、そうでない者、又人柄が良くても家門によっては裏切りそうな者もいますから背景も調べますね。学園は人脈を作りに行く所です」

「極論ですが、一理ありますね」

「私ならあえて敵側と友人になって情報を集めたりもしますが、殿下は……変に真面目で難しそうですね。私のは力技に近いので、無理矢理友人になって家に押しかけたって、この風貌で威圧してやれば誰も何も言ってこれなかったですよ」

「………確信犯ですね」


敵対する家に、公爵が友人として乗り込んできたらそれは恐ろしかっただろう。並大抵の人では相手にならなそうだ。


「今だってそうですよ。貴族会議で私の意見に反対する者がいても、私を納得させられる意見を述べろと一喝して睨みつけると相手は動揺して怯みます。頭分飛び抜けた大きい体にいかつい顔、態度の大きさも加わって、なかなか迫力があるでしょう?」


ニヤッと笑った公爵に、思わず顔がほころぶ。

初めは怖いと思ったけれど、公爵は優しい人なのかもしれない。


「殿下もはったりは必要ですよ。自信がなくても強気でいけばそれなりに見えます。殿下のようなタイプはあれこれ考えず愚鈍になり、周りを気にせず自分を貫けばいいと思いますよ」


もうただの助言だ。やっぱり公爵はいい人だ。

勿論恐ろしい面を持ち合わせてる事も分かってるけど、力強い男気が自分に向けられている事が嬉しかった。


エディスが口を開きかけたその時、突然ドアが大きな音を立て開いた。


「父上!エディスを拉致したそうですね!」


入ってきたのはシルビアだった。

シルビアはカルロスとエディスの2人を見てホッとした顔をする。


「そんなに焦って俺が何かするとでも思ったのか?」


カルロスの表情がゆるみ、シルビアへと優しい笑みを作る。


「思いました。いじめてないですよね?」

「酷いな。シルビアの友人にそんな事する訳ないだろ」


そう言いながらも、公爵は嬉しそうにデレデレしている。

さっきまでの凛々しい圧のある公爵はどこに行ってしまったのか。これが親馬鹿というものか…………。


「シルビアも婿養子をとって、公爵家を共に盛り立て将来殿下のお力になりますよ。だからそれまで殿下は自分の成せる事を成していてください」


シルビアから目を逸らし、僕を見た瞳には意志がこもってるように見えた。これって……牽制みたいな………。


とりあえず今は考えないでおこう。

エディスは立ち上がり前を向く。


気持ちは不思議と軽くなった。

弱い父上も、不器用な僕も知っていて認めてくれた。

それが何だか嬉しかった。

現状が何か変わった訳ではないけれど、もう少し力を抜いて視野を広げていってみよう。僕にはまだやれる事が沢山あるのだから。

立派な王だ何だと考えるのはまだ先の話だ。

確かに、そうだな。僕はまだこれからなのだから。

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