歪なペット。
私の思うペット像とは、幾つかある。
過激なので言うと手を縛り付けて、目隠しをして、監禁したりして――。
『ほら、水だ。飲んでいいぞ』
『は、はい』
『返事が違うだろ。いつものは?』
『……わ、わん』
『もっと元気良く』
『わ、わんっ!』
『よしよし、偉いぞ』
『わ、わふぅ……』
――そうした飴と鞭の応酬であり、それが私の好みだったりする。
と言っても、勿論段階は踏む。
いきなりハードな躾を仕込もうとしてしまうと、ペットも混乱してしまうからだ。
最初はソフトなものからで、徐々に少しずつ、過激なものに慣らしていって――。
「詩島、お手」
「はいっ」
「…………」
「あ、違うっ。わんっ!」
「いや……」
――そう、こういったものからだ。現在は、とある日の授業前の休み時間。
珍しく今朝から学校に来ていた綿嶋さんをコソコソと眺めていたらお昼休みになってしまっていた。
そうして綿嶋さんは私の席の前に来て、目の前に右手を翳してきた。
そして〝お手〟を欲した。
だから、私は極めてスピーディーに芸をした。
「ねえ、アレ……」
「……まじかよ」
一瞬の静寂の後に、ざわざわと教室が騒がしくなる。
「……着いて来い」
「へ? は、はい。分かりました」
そんな騒然とした空気の中、またしても綿嶋さんは私の腕を掴んでスタスタと歩き出した。
ああ、私はまた、綿嶋さんに家畜の豚のように攫われてしまって――。
と、脳内をピンクに色めきたてて居られるような雰囲気じゃなさそうだ。
なんか、綿嶋さんが怒ってるような……。
え、なんで?
――そして、すぐにいつもの中庭に着いた。
「お前って、本当に馬鹿なのか……!?」
「な、何がですか!? 私のお手が気に入らなかったんですかっ? すみませんっ。躾をしていただいたら、ちゃんと仕込まれた通りに――」
「誰もお前を躾けるつもりねーよっ! ああもうっ! 冗談が通じない奴だって分かってたのに、くそ……!」
着くや否や、綿嶋さんはとてもご立腹の様子だった。
なるほど、さっきのは綿嶋さんなりのジョークだったということか。
……本当に分からなかった。
私は一寸の迷いもなく、言われたがままにお手をしてしまっていた。
きっと、直前までペット自論に考え耽ることに集中してしまっていたからだ。
「これじゃ周りから私は『クラスメイトをペットにしてるやつ』みたいになるじゃないかっ」
「それはイケナイことですか?」
「イケナイとかじゃなくて、嫌に決まってんだろ! 私のイメージが悪くなる一方で……!」
でも、元々良かったわけでは――。
そう思ったところで、何かを察知したのか綿嶋さんにキッと睨まれて「ぴぎぃっ」……私は、情けなく口を摘んだ。
「というか、詩島はいいのか? クラスの奴ら、詩島のこと私のペットだと思ってるぞ」
「は、はあ。でも、事実ですし……」
「ああ、もういいよ。そうだよな。お前、友達居なさそうだしな……」
失礼だ……本当のことだけど。
時に、真実とは残酷だ。私は何も言い返せなかった。
「……よし、分かった」
そして、綿嶋さんは決意を固めたような表情で頷く。
「どうしたんですか?」
「……その、詩島の腐った性根を強制的に捻じ曲げる作戦を思い付いた」
確かに、オタク女子だという点では私は腐っているかもしれないけど……。
ええっ、作戦?
何か、その一言だけでとても嫌な予感を抱いてしまった。
―――
「うわああああああああんっ! む、無理ですよおおおおおおお!!!!!!」
「こ、こらっ! 泣いて逃げようとしたって駄目だ! というか元々、私みたいになりたいって言ったのは詩島の方じゃねーかっ」
「そ、そんなこと言われてもお……っ!」
「でも、良い方法だろ? 大体、言っとくけどな。お前の妄想の私は人をペットにするような奴みたいだけど、本物の私はそんなことしたいと思ってるわけじゃないし!」
「いえ、そんなことありません! 私、やれと命令されれば語尾に『わんっ』と付けて喋りますし、隣街に焼きそばパンを買って来ますし、クラス全員の前で上履きだって舐められます……!」
「誰も頼んでなんかない! お前の妄想は、ずっとぶっ飛びすぎなんだよ!」
「ひいいいいいいいいいいいいっ」
「……あ。ご、ごめん。強く言い過ぎたか?」
「い、いえ……すみません……ちょっと落ち着きます、落ち着かせてください……」
「あ、ああ。分かったよ……」
綿縞さんは年甲斐もなく泣き喚く私にキツイ口調で責め立てるも、最後には勢いをなくして優しくなる。
なんだ、このプレイ。
さっきの私の言った飴と鞭の再現ですか?
……違う。
「うっ、うう……」
これ以上、怒られてしまう前に何とか嗚咽を止めて制服の袖で目元を拭う。
何も私も無から泣き出したわけじゃない。綿縞さんがとんでもない発言をしたからだ。
「……そんなに無理なことなのか?」
今度は、私の反応を窺うように問い掛けてくる。
ああ、完全に腫れ物を扱う目だよ……。
「む、無理に決まってるじゃないですかあ……」
なるべく、綿縞さんの言うことには背けたくない。
ペットだから――云々よりも、怖いからだ。
だけど、それ以上に綿縞さんの発言は背けたくなるような内容だった。
「私が、綿縞さんをペットにするだなんて……」
そう。
綿縞さんは私に、
「詩島が私をペット扱いしてみろよ」
と、言ったのだ。
「もしかして、綿縞さんって、そういう――」
「そういうって……?」
一瞬、想像してはならない考えを頭に浮かべてしまった。
「ばっ、そ、そういう意味じゃないからな!? 詩島と一緒にすんなって!」
「な……っ!? さ、さすがの私であってもクラスメイトをペットに仕立て上げたものの、そのまま素直に虐めるのではなく、自分のドM心を満たすために敢えてペットの方に自分をペット扱いさせてしまおう――だなんて、そんな高度なプレイをしてみたいなんて想像してないですよおっ!!!!」
「……は? お前、そこまで考えてたの?」
「あ。いえ、違います」
人は本当に不味い局面に陥ってしまった場合に、頭が真っ白になって一周して逆に冷静になるというパターンがある。
そこで日本人の美学、土下座をしようとして本気で止められた。
殺してくれ。
誰か、こんな罪な私を……!
―――
こうして私と綿嶋さんの関係は、より一層、どこか歪なものに変化していくのだった。