恥ずかしがるペット。
「ねえ、見た? 四組の……」
「ああ、不良の人と地味そうな子でしょ?」
「そうそう、昨日も」
「可哀想だよね。舎弟みたいに扱われて」
「でも、あの地味な子。なーんか嬉しそうなんだよね」
「ええっ、本当?」
「もしかして、虐められて喜ぶタイプの……」
―――
私は綿嶋さんのペットになった。
その事実を本当の意味で知るのは、後日からだった。それから、私の学校生活は少しずつ変わっていった。
「――あ、そうだ。詩島、言ってたモノ、ちゃんと持ってきたのか?」
「は、はいっ。ちゃんと……!」
まずは、綿嶋さんと教室で話す機会が増えた。
あの中庭での会話は夢だったのでは? そんな私の淡い考えは即座に吹き飛んだ。
朝、目が合うと挨拶をされた。
珍しく授業に出ているな、とチラリと姿を伺えばギロリと睨まれた。
そして、授業後の休憩時間に「何見てたんだよ」と典型的な絡まれ方をされてしまった。
ところで、私は一応真面目な一般生徒で通っている。
綿嶋さんのように学校に遅刻したり、授業をサボっていたりしたらまず学業が追い付かない。
真面目とは言ったが私が授業に毎日出て一生懸命勉強したとしてもテストの点数は平均並だし、運動神経に至っては下から数えた方が早い有り様だ。
一方の綿嶋さんはと言うと、不真面目なようでいて成績はトップクラスに良いのだから不公平だ。
また、不良生徒として見られてはいるものの、喧嘩などの問題事は起こさないために教師からは半分放任されている。
そんな真逆な私たちが会話をしているからだろう。
「ねえ、また……」
「うわあ、やってるやってる」
「先生に言った方がいい?」
「でも、次の矛先がこっちに来たら……」
「取り敢えず、黙っておこうか」
ひそひそ。
ひそひそと私たちを噂する声が聞こえる。
「……ちっ。行こうか」
「はい、分かりました……!」
そんな嫌な雰囲気は、直接言われずとも感じ取れる。
私は誰の友達でもない地味なクラスメイトで、それに絡んでいる綿嶋さんのことは怖い。
だから、みんなも噂こそすれど、声を掛けることは出来ずに静観しているだけに留まっている。
だけど、私はそれでも良いと思っている。
「あーあ、行っちゃった」
「でも、やっぱり詩島さんが嫌々やっているように見えないんだよね」
「うん。なんか、ペットが飼い主に尻尾振ってる感じ……」
なぜなら、それも全て私の望んだ事なのだから。
―――
「これが、言われていたものです」
「ふうん。やっぱり、よく出来てるな……」
私と綿嶋さんが来たのは、いつもの中庭だった。
教室だと人の目に付く。
それは避けたい。
と、両者の意見が一致したおかげで、私たちはこうして合間の休み時間は中庭の校舎陰で過ごすようになった。
「で、やっぱり私がお前をペット扱いするんだな」
「は、はい。そうやって説明されちゃうと、余計に恥ずかしいですけどね……」
私が渡したものというのは、一冊の漫画だった……というのも、私が描いたアレだ。
『私は綿嶋さんのペットになりたい』
何を思ったのか漫画の続きを読ませてくれと言ってきた綿嶋さんに従った私は、急いで寝る間も惜しんで一週間ほどで大まかに区切りの良いところまで続きを描いたのだった。
そして、読んでもらう。
それは、ちょっと恥ずかしかった。
本来、その内容に関しては決して他人に見せられないような代物だ。
ましてや、それをモデルとなった本人に見られてしまうなどと――。
漫画の内容以上に、これ以上の辱めはない。
しかし、そんな内容の漫画を綿嶋さんは真面目な表情で読んでくれた。
時には「私ってこんな風に思われてるのか?」とか「詩島って絵上手いんだな」とか「……お前、さすがに描くの早過ぎない?」などと感想を呟いてくれる。
やっぱり、これはそういった一種のプレイなのでは……?
煩悩に塗れた私の脳内が、そう囁き掛けてくる。
……ダメ、ダメ。
折角憧れの綿嶋さんとお近付きになれたんだ。
そんな奇跡を、私はギュッと抱き締めて大切にしておかなければならない。
「で、お前は私のペットになったわけだが……」
ぱたん。
最初はたった一枚の紙切れだったものを、ノート一冊分に纏めた私の描いた漫画――。
通称『わたわた』を閉じて綿嶋さんが口を開いた。
ここ数日、綿嶋さんの近くにいて分かった。
綿嶋さんは、本当に陰キャに優しい不良だった。
時折言葉を詰まらせたり、何をするにしてもどんくさい私のペースを理解して合わせてくれる。
「お前、私みたいになりたいんだよな?」
そして、こうして私の憧れとして話を聞いてくれる。
「は、はい。私みたいなのが、おこがましいとは思うのですが……」
「だから、そういう態度止めろって。同級生と話してるとは思えない」
「ひぅっ、すみません……」
「また……はあ。まあ、何度言っても無駄か……」
ああ、また綿嶋さんを困らせてしまった。
しかし、陰キャが不良の前で言葉に吃るというのはちょっとした恒例行事の挨拶ようなもの。
むしろ、そのテンプレを理解していない綿嶋さんの方が悪いのでは!?
――なんて私流の小粋なジョーク、口にしてしまったら本気で怒られてしまいそうだ。
コミュニケーションの障害というものは、身の丈に合わない些細な行為から生まれてしまう。
此処は、大人しく自重しよう。
かといって、口調は崩せやしない。それは、未だにビビッているから。
だって、相手は不良なんだもん……ねえ?
「お前、素材は悪くないのになぁ……」
「ひゃううっ」
二人して中庭に座り込んだ状態から、突然綿嶋さんが身を乗り出すように近付いてきて私の前髪を掻き上げた。
お、おでこが――。
「そもそも、前髪のせいで表情も分かりづらい」
……恥ずかしい。
「ううーん」
そう唸りながら眉を顰める綿嶋さんは、それだけでも絵になってしまっていた。
少し釣り目で、切れ長な睫毛。
ぶっきらぼうに見えて、短すぎず長すぎないミディアムヘアーは薄っすらと明るめの髪色に染められている。
「あ、あ……あぅ……」
そんな綿嶋さんの顔が近くにあり、喋り掛けられている。
吐息が鼻に吹き掛かり、香水の匂いなのか柑橘系の良い香りがふわりとする。
ま、不味い。
刺激が。
「あ、う。わっ」
その気恥ずかしさから逃れるようにじりじりと後退していた私は、気が付けば校舎壁に追いやられたところでやっと声を出すことに成功する。
「あ、あのぉ、わ、わたっ。わた、しまさん……!」
「え?」
「そ、その……! は、恥ずかしい……です……」
「あっ――と、ご、ごめん」
「い、いえ、だいじょう、ぶです」
大丈夫とは言ったけど。
そんなはずがない。全然大丈夫じゃない。
ドクドクと、私の心臓の鼓動は激しく波打っていた。
きっと、私の顔は真っ赤に染まってしまっているだろう。
だからこそ、髪を掻き上げられたまま、その私の情けない表情を悟られるのが嫌だった。
「やっぱり、詩島って可愛いじゃん……」
――これは決して、私に掛けられた言葉じゃない。
そっぽを向きながらボソッと呟いた綿嶋さんの声を。
自分で何を言ったか理解出来ないみたいにビックリした表情で口元を抑える綿嶋さんを――。
考えれば考えるほどに、余計に意識してしまいそうだ。
そう思った私は、それを必死で聞こえてないし見えてもいない振りをしたのだった。