妄想するペット。
――放課後。
部に所属している者は部室へ、部に所属していない者は学校を後にする時間になった。
……今日は、居ないんだ。
部室の窓から真下を見下ろすと、その校舎影になった空間は綿嶋さんの特等席。
しかし、その姿が今日は見当たらなかった。ホッとしたような、残念なような……。
そんな微妙な気持ちになる。
そもそも、今は放課後の時間だ。
その時間になってまで、昨日のように綿嶋さんがまだ居ること自体が多いことではない。
たまたま放課後になるまで寝過ごしたか、寝足りなくてホームルームの後に中庭に寄るか。
その二択のどちらかだ――というのが、私の調べで判明した綿嶋さんの生態事情になる。
これではまるでストーカーのようだが、毎日憧れの綿嶋さんを目にしていることで気が付いた副産物のようなものだ。
……あれれ。
もしかして、それがストーカーってコト?
「ねえ、詩島さん。今日の昼休み、大丈夫だったの?」
そんな風に頭を抱えていると、不意に背後から声が聞こえてきた。
「え、えっ? な、何が大丈夫、なんですか?」
変なことを考えていたせいで、声が吃る。
まあ、いつものことだ。
そんな私に対して声を掛けてきた相手――。
私は二年生だ。
同じ文芸部であり、三年生で一つ学年が上の先輩。
我らが文芸部の部長も特に反応を示さず、いつも通りの顔をしている。
一応、文芸部では一年の付き合いになる。
どうせ、いつものことだと思われてるのだ。いや、確かにいつものことなんだけどさ……!
「私、いつも昼休みは部室で食べてるんだけどさ。窓の下見たら、詩島さんっぽいのが怖そうな人に絡まれてたから」
その相手とは、綿嶋さんのことで間違いがない。
全ての始まりは、昨日の放課後。
私が部室から落としてしまった自作漫画を引き金に、今日の昼休みに呼び出しを食らった。
そして『この漫画、あんたが描いたの?』と問い詰められて、往生際悪く否定しようとし、結局は素直に白状した。
『詩島、私のペットになりなよ』
あの、昼休み。時間にして、たった数時間前の詩嶋さんの言葉が頭をリフレインする。
それも今日一日中、ずっとだから厄介だ。
『…… はいっ』
それに対して私は高揚する感情を抑え切れず、考えなしにただ衝動で返事をして、頷いた。
頷いてしまった。
あれは、何かの夢だったのではないか? 今からでも、そんな風に思い込みたい気持ちが沸々と湧き上がる。
しかし、あの後に何度も自分の頬を抓ってみても決して目は覚めなかった。
私の頬はどんどん赤くなり、綿嶋さんから益々変な目で見られる以外に何の成果もなかった。
そして、私たちは幾つかの会話をしてすぐに解散した。本当、嵐のような数分間だった。
『私は綿嶋さんのペットになりたい』
確かに、私はそう思ったことがあった。妄想を記し、衝動で漫画に書き殴った。
でも、それは気の迷いというか――。
『ああ、今から突然授業中にテロリストが来て、私が超能力に目覚めて、全員を助けれたりしないかな〜』
とか、そういうやつだ。
だけど、実際にそんな場面に遭遇したとしても私は超能力に目覚めるような器ではない。
それ以前に、誰かを救う云々よりも真っ先に誰かのついでに殺られるか人知れず影に潜む配役に決まっているんだ。
というか、その場面を見られてたって……?
「えっ、えっ!? も、もしかしてっ。こ、声とか……聞こえちゃったりしてましたか……!?」
不味い! それはっ! 凄く! とても不味い!
冷や汗が流れる。
暑さのせいじゃなくて。
聞かれてしまっていたら。
恐怖、羞恥。
そういった後ろ向きな感情のせいだ。
「いや? そういうわけじゃないけど……詩島さんがビクビクしてるように見えたから――」
ビクビク。
はい、していました。
だって綿嶋さんは素行不良の生徒で、根暗人間の私とは対照的な存在なのだから。
「……まあ、それはいつも通りか。でも、何かあったら先生に言うけど?」
「いや、それはないですっ! 綿嶋さんはっ。優しい! 優しい方ですのでっ!」
「そ、そう? なら、いいけど……? まあ、確かに。私と喋ってても、そんな感じだしね〜」
これは、幸か不幸か……。
おそらく私の普段の怪しい挙動のおかげで、逆に怪しく見えなかったというラッキーが降ってきた。
複雑だ。
しかし、今日ばかりは感謝しよう。
「じゃ、私本読んでるから。なんかあったら言ってね〜」
「は、はい。ありがとうございます」
そして、部長は話が片付くと興味を失ったように手をヒラヒラとさせて空いている席に座った。
文芸部の部室は、部員のわりに広い。
先ほどの、部長。
「…………」
「あ、捲るの早い」
隅の方で漫画を共有して読み合っている二人。
他の部員も居るには居るけど……本校の文芸部の部員は来たり来なかったりが普通にある。
昨日のように誰も部室に来ない日もあれば、部活動の間、ずっと誰とも会話しないまま終わることもある。
だけど、それがまかり通っていて――だからこそ、此処の居心地が良い。
さすがに他の部員が居る前で私の描いてる漫画を広げることは出来ないけど……こんな部室に居ると考え事も捗る。
そもそも、だ。
ペットとはなんだろう、と考える。
綿嶋さんは私をペットにすることを、本当に受け入れたのか、その場のノリみたいなものだったのか。
ホームルームには居たが、特に何も話し掛けられなかったし、今日は真っ直ぐ帰ったんだろう。
その様子を見るに、単純に陰キャをからかって遊んでいただけのつもりなのかもしれない。
大体、私にもペットが何かと定義付ける術を知らない。
じゃあ、なんでそう思ったのかって?
だってさ、そもそも不良がオタクをペットにするっていう語感が、シチュエーションが良くて――。
「……おっ、もうこんな時間かあ。んじゃ、長居してると怒られるから、もう解散〜」
「…………」
「お疲れ様でした〜」
次はどんな展開にしよう? そろそろ、ハードなことやっちゃう? でも、まだ怖い気も――。
「……あの、詩島さん? 下校の時間だよ?」
「――はっ!」
部長の声で、ハッと我に帰る。
妄想のし過ぎで、完全に頭が飛んでしまっていた。
……と、これも文芸部員のうちの一人。私、詩島の限りなくいつもの日常だった。