09 地獄の底でクッキング
09 地獄の底でクッキング
俺が『グローアップ』で種を急速成長させると、コメッコは手足を引っ込めた亀のように縮こまった。
「ひえええっ!? や……やっぱり、神様だっただ! あああっ、オラはなんて怖れ多いことを……!」
スズメは俺のそばで片膝をつき、見えない紙吹雪を送るみたいに両手をパタパタ振っていた。
「イエス! やっぱりご主人様はご主神様でした! あっという間に草を生やすだなんて、神の奇跡に他なりません!
ただの草でも、ご主人様が生やすとひと味違いますねぇ!」
足元に広がる草を、ニコニコと愛でるスズメ。
ふとなにかに気付いたように、上目を俺に向ける。
「でも、なんで草なんですか? もっと美味しいものを生やせばよかったのでは……?」
「さっきから草って言ってるけど、これは雑草じゃないぞ『クレソン』っていうんだ」
「くれそん? 子供がお絵かきに使う……?」
「それは『クレヨン』だな。『クレソン』は陰性の多年草なんだ」
「????」
スズメはハテナマークを頭いっぱいに浮かべていそうな表情で、小首を傾げる。
「簡単に言うと、いつでも育つ植物だな。それに日陰を好むんだ。
だから陽の差さないこの地にピッタリだと思ってな」
亀の子のように顔をあげたコメッコは、ひたすら恐縮していた。
「ひっ、ひぇぇ……! そ、そんなことまでご存じだなんて……!」
「これは特別な能力じゃない。勉強すれば、誰でも学ぶことができる知識だ」
「でも、オラもおっ父も、そのまたおっ父も知らなかったことだ!
やっぱり、神様はすごいだ!」
コメッコはパッと顔をあげ、居住まいを正した後にまたひれ伏した。
「ありがとうございますだ、神様! オラはこの『クレソン』を育ててみるだ!」
「うん、それがいいな」と俺は言ったのだが、スズメは浮かない表情だった。
「でも『クレソン』みたいな『食べ損』ではなくて、『食べ得』なものを育てたほうが……」
「スズメ、お前って実は食いしん坊だったんだな」
スズメは心外だとばかりに、長い黒髪をブンブン振り乱した。
「えっ!? そんな、誤解です!
わたくしは美味しいものを育てたほうが、コメッコさんのやる気に繋がるかと思ったのです!」
「なにか誤解しているようだが、『クレソン』は食えるぞ」
するとスズメとコメッコは姉妹みたいにそっくりな顔で「えっ!?」とハモった。
「召し上がれるですか、この草!?」「知らなかっただ! それは本当だか!?」
「本当さ、試しに調理してみようか」
俺は足元のクレソンを何束か摘み取ったあと、コメッコの背後にある、瓦礫でできた小屋へと向かう。
今にも崩れそうなそこはコメッコの住居で、中には粗末ながらも台所があった。
錆びた包丁を使い、クレソンをザクザク刻む。
両隣で子猫のように覗き込んでくる、スズメとコメッコ。
「スズメ、リンゴがまだ余ってただろう? ひとつくれ」
「はい、お家に置いてありますので、取ってまいりますね」
「神様、天使様! それなら、オラが頂いたのを使ってほしいだ!」
コメッコは期待でほっぺをリンゴのように赤くしながら、すかさずリンゴを差し出してくれた。
受け取ったリンゴを細かく刻んで、クレソンといっしょに木のボウルに移す。
あとは台所にあった、残りもののような油と酢、そして塩を加えれば……。
「できた、『クレソンとリンゴのさっぱりサラダ』だ」
すでにフォークを手にしてワクワクと待っていたスズメとコメッコ。
「「いただきますっ!」」と同時にフォークをボウルに突っ込んで、サラダを口に運ぶ。
するとふたりの口から、みずみずしいハーモニーが奏でられた。
……シャキッ、シャキシャキッ!
「「おっ……おいしぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーっ!?」」
手で口を押え、まん丸にした目で顔を見合わせあっている。
「どうだ? けっこうイケるだろう?」
「イエス! いえ、ノーっ! けっこうなんてものではありません!」
「んだ! こんなにおいしいもの、初めて食べだだ!」
初めてミルクを飲んだ子猫のように、食べる手が止まらないスズメとコメッコ。
口いっぱいに頬張り「うみゃうみゃ、うみゃうみゃ」と笑顔が弾ける。
ボウルの中をすっかりカラッポにしたあと、ふたりはなぜか土下座した。
「植物の育て方を教えてくださるだけでなく、こ、こんなに美味しいものまで恵んでくださるだなんて……!
オラ、幸せすぎてバチが当たるだ……!」
「いっ、イエス……! 本当はこういうお料理は、奴隷であるわたくしが、ご主人様に作ってさしあげなくてはいけないのに……!
ご主人様を幸せにするために、わたくしはいるのに……!
それなのに、逆に幸せにされちゃうだなんて……! わたくしは、奴隷失格です……!」
「お、オラも、農夫失格だ!」
「ならコメッコさん! コメッコさんもいっしょに、ご主人様の元で修行されてはいかがですか!?」
「えっ……いいんだか!?」
「もちろんです! わたくしたちもクレソン兄さんのように、ご主人様の元で、すくすくと育ちましょう!」
俺が「えっ」となっている間に、ふたりの間でどんどん話が進んでいく。
俺はいいとも悪いとも言わなかったのだが、そこに不意に、覆い被さるような共鳴が割り込んでくる。
『……こちらは、「ハイランド魔法学校放送部」である! 「地獄」の者たちに告ぐ!』
閻魔の審判のような、重苦しい声……。
『ハイランド魔法学校』の放送室にある、魔導装置を使ったアナウンスだ。
スズメとコメッコの顔から笑顔が消え、雷鳴を耳にした幼い姉妹のように抱き合っていた。
『いま、彼の地に悪魔が降り立った! 穢れた翼を持つ少女とともに!
悪魔は、小さな島を浮遊させるという、まやかしの術を使い、お前たちを惑わすであろう!
悪魔の力に騙されてはならん! 悪魔の言葉に耳を傾けてはならん!
殺せ! 殺せ! 殺せ! 悪魔と、それにくみする者を!
錆びたヤリで滅多刺しに、天に捧げるのだ!
さすればソレイユ様からの、光のご加護が得られるであろう!』
「ソレイユのヤツ、よっぽど俺が邪魔になってきたようだな……。
もしかしたらユニバーと、なにかあったのかもしれないな」
ひとりごちながら考えていると、コメッコが光を失った瞳で、俺を見ていた。
「……か、神様は本当は、悪魔だっただか……?」
「ノーッ!」脊髄反射のような速さで、スズメが否定する。
彼女は真摯な瞳で、コメッコを見据えていた。
「そんなこと、あるわけないじゃないですか! ご主人様は神様です!
コメッコさんはご自分の目で見たことよりも、あんな放送を信じるのですか!?」
この時の俺はまだ、知らなかった。
この飛べない天使が、俺のことをどれほど強く思っているのかを。
催眠術にかかったように茫洋とした少女を、いともたやすく正気に戻すほどの力があることを。
やがて、コメッコの瞳に光が戻っていく。
まるで、スズメの宝石のような瞳の輝きが、分け与えられたかのように。
コメッコは三つ編みを逆立てるほどに、大きく頷いていた。
「お……オラ、信じるだ! スカイ様は悪魔なんかじゃなくて、神様だって!
だって、ソレイユ様はオラがいくらすがっても、なんにもしてくださらなかっただ!
でもスカイ様は、こんなオラにも手をさしのべて、助けてくださっただ!
オラは、オラは……! スカイ様のために、この身を捧げるだっ!」