第45話 文化祭(後編)
「はあ……さすがにちょっと疲れた」
時刻は午後4時過ぎ。徐々に日も陰って来ていて、西日が給水塔に座る俺の前に影を作る。
文化祭で研究を知ってもらうという試み。涼子や皆を巻き込んでなんとかやってみたけど、ツッコミどころのある研究ネタを発表するというのは想像以上に疲れた。
最初に研究発表をしたころならいざ知らず、研究発表を真面目にやるなら途中段階でも、不要なツッコミどころは潰しておくのが普通。一つには研究者としてのプライドもあるけど、それ以上に、途中段階でも人に時間を取ってもらう以上、出来るだけ完成度を高めておきたいという気持ちがある。
「増原先生のツッコミ、最初に研究発表をしたころを思い出すな」
中学三年の頃。俺たちは増原先生に見出されて最初の研究発表をやった。いや、今思い返すと研究とも言えない代物だった。幸い、相手が中学生ということで多少の手加減はあったように思うけど、割とコテンパンにされて当日はとても凹んだ。
研究者の世界ってこんなに厳しいんだと。あれから、論文をサーベイして、発表に穴があったらちゃんと自分で穴を塞ぐ方法を考えて。そうすることで、最初に発表したときみたいにひたすら批判されることはなくなった。
ただ、今日の劇はあえてツッコミどころを残した未熟な発表をすることで、研究発表の厳しさを浮き彫りにするというものだったので、劇とわかっていても俺自身結構きつかった。
「宿題最適化問題とかももうちょっと真面目に考えたら面白そうなんだけどな」
隙をなくしてしまったら劇として成立しないので、あえてパラメータや式は恣意的にしたけど、締め切りが近づくにつれて集中力が高まるという傾向は誰にでもあるものだし、実測してみることでもう少しまともな式を作ることができるようにも思う。
ただ、それをやると被験者が必要だしかかる時間も馬鹿にならない。さらに実験の趣旨を伝えることで結果が歪んでしまう可能性もある。平たく言うと、とても面倒くさい。しかも、そのような人間心理を主にした領域は計算機科学というよりおそらく心理学との学際領域。だからまあ、最初からちょっと無理があったんだけど。
「お疲れ様、善彦」
気が付いたら横合いから声が聞こえてきて、隣にいつもの彼女が座っていた。
「いやほんと、めちゃくちゃ疲れた。初めて研究発表したときを思い出したくらい」
「あの時は本当にめちゃくちゃ凹んでたものね」
「涼子だって人のこと言えないだろ」
共著ではあっても発表したのは俺だったから、矢面に立ったのは俺だったけど。
涼子も発表資料については協力したものだからかなり凹んでたのを覚えてる。
「あなた程じゃないわよ。研究なんてやってけるのかな、て黄昏てたでしょ」
「いやー。だってあれだけ集中砲火食らったら無理ないだろ」
発表した夜は確かに落ち込んだものだった。
下手したらあのまま心が折れてもおかしくないくらい。
「そうよね。私も善彦のことなんて慰めていいかわからなかったもの」
「だよな。でもまあ、あの時に慰めてくれたのはマジ助かった」
「そう?」
「そうだって。「私だったら心折れてもおかしくなかったのに、凄いわよね」って」
確かに研究発表の夜に、ホテルで凹んでたときにそんなことがあったっけ。
「私は別に……思ったこと言っただけだけど。それで助けられたなら何よりよ」
ふと、目線を彼女に向けてみればはにかんだ笑顔。
夕日の加減もあっていつも以上に綺麗に見える。
「お前、今日はやけに色々積極的だよな。文化祭見て回ったときもだけど」
でも、それはそれで嬉しかったんだけど。
「いつもは恥ずかしくて言えなかったことも多かったし。こんな日くらいはね」
「そうか」
気が付けば先ほどの疲れがすっかり消えていた。
なんでだろうか。
「ところで……私の小説のあとがき。読んでくれた?」
うん?何故急に小説の話題?
「最終稿は見せてもらったから読んでないけど」
何か付け足したことでもあるのだろうか。
「せっかくだから読んでみて。今日中に消しちゃうから」
何か妙なものを感じるな。あとがきを見て欲しいという言葉。
それとやけに積極的な今日のこいつ。
まあいいや。リンク自体はブックマークに入れてある。
既に読んだ本文は飛ばして、あとがきに飛ぶと、そこには
予想外のメッセージが書かれていた。
「あとがき
私の拙い物語を最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回のお話は私たちが実際に経験した研究に関する色々を盛り込んだお話になっています。実際には、発表前日に大喧嘩なんてしてませんけど(笑)
野球選手やサッカー選手。ニュースキャスターやお笑い芸人。
お医者さんに看護師さん。飲食店で働く人たち。
世の中には色々な職業があります。
中でも「研究者」は何をしているのかよくわからない。
そう思う人も多いのではないでしょうか。
今回の小説はそんな「研究者」という普段何をしているか知られていない人たちが、どんな営みをしているのか知ってもらいたくて書いたものです。皆さんも、ニュートンやアインシュタイン、ダーウィンやガリレオなど色々な科学者について名前は聞いたことがあるのではないかと思います。
私たちはまだそんな偉大な研究者にはとても及ばないひよっこですが、少しでもそういった人たちの営みを知ってもらえると嬉しいです。
それと、今回の小説は私の研究にとって、いえ、それだけでなく人生で一番大事な男の子がいて初めて形になりました。時々無神経だけど、いつも色々なことに一生懸命で、それといつも私を支えてくれている大好きな彼に改めてありがとうと言いたいです。なんて、小説のあとがきだから書いてしまえるんですが、いつか人生のパートナーにもなれたら、なんてことまで思ってしまいます。
今日中にはこの小説は消すので、あとがきについては私の気の迷いということで忘れてください。それでは、また」
なんとまあ、こっ恥ずかしい告白をしてるんだよ。
しかも、これって展示に来た人読んでるわけだろ。
いつか人生のパートナーにもなれたらとかプロポーズみたいなもんじゃないか。
「あのさ。涼子」
強引なのは趣味じゃないけど、こんな熱いメッセージを送られたらちょっとくらいいいよな。彼女の顔をぐいとこちらに向けて、唇同士を合わせ合う。
それをどこかで予想してたのだろうか。
どこか嬉しそうな顔をしていたのだった。
キーンコーンカーンコーン。
『本年度の文化祭はこれで終了になります。来場者の皆様、大変ありがとうございました。在校生は早速片付けに入ってください』
あー、もう。なんていうタイミングで。
「善彦、なんだか不満そうだけど?」
「そりゃまあ。せっかくいいムードだったし」
「さすがに屋上でそれ以上はナシよ」
「そういう話じゃないって。つーかわかってるだろ」
「もちろんね。じゃあ、続きは片付けが終わって、家に帰ってからにしましょ?」
続きはって。
「家に帰ってからだと、それこそキス以上もするかもだけどいいのか?」
「私もちょっと雰囲気に酔ってるのかも。別にいいわよ」
「よし。じゃあ、頑張って後片付けするか」
「現金なんだから」
「別にいいだろ。恋人同士なんだし」
立ち上がって屋上からの階段に急ぐ俺たち。
「あ、そうだ。俺もいつか人生のパートナーになれたらって思ってるよ」
「ありがと」
あー、でも。二人で展示から抜け出したように見えてるんじゃないか?
後でさんざんからかわれそうだ。まあいいんだけどな。
次でいよいよ最終話です!