第4話 露出の研究者と憧れ
2日目の国際学会は、形式文法という分野を切り開いた始祖でもある、|Simon Russel先生の招待講演で幕を開けた。招待講演では、その分野で多くの実績を挙げた研究者や産業界の人を呼んで話を聞くことになっている。
形式文法という分野は、計算機科学の研究者でも知らない人が多いが、プログラマーにとって身近なところでは正規表現など幅広い応用があって、縁の下の力持ち的な立ち位置だ。
その分野を切り開いたのがラッセル先生で、俺にとっても憧れの人だった。彼は《《常に》》はだしで歩き、Tシャツにパンツ1枚という露出狂スレスレの格好をしているという噂があったけど、今登壇している彼を見ると、噂は本当だったらしい。
正直、ドン引きしてしまいそうな光景なのだが、誰も咎める事がないのを見ると別にOKらしい。齢80を超すご老人なのだけど、鍛えられた肉体を持っていて、背筋もぴしっと伸びている。喋る様子もハキハキとしていて、圧巻だ。目にも鋭い光がある。
講演のタイトルは、『History of Formal Grammar』(形式文法の歴史)というもので、彼自身がこれまでを振り返って、形式文法の研究がどのように発展してきたのかをしゃべるというものだった。この分野を切り開いた始祖だけあって、知られざるエピソードが多数あって面白い。
『私はもう天に召されそうな歳ですが、というか、今にも召されるかもしれません』
講演中の先生のジョークだが、本当に天に召されたらと思うと、ギリギリなのではないだろうか。
『特に年若い研究者の皆さんは、新たな研究の地平を切り開いてください」
そんな言葉で締めくくられた講演は、拍手の内に終わった。
『それでは皆さん。何かご質問は?』
この講演の座長が問いかける。座長は、発表がいくつか固まったセッションごとに別の人が交代でやることになっていて、昨日の俺の発表とは別の人だ。
そういえば、個人的な質問だけど、聞いてみたかった事があるのだった。
『すいません。個人的な質問ですが、よろしいでしょうか』
挙手をして、質問する。
『なんでも、どうぞ』
『サイモン先生は、なんでいつも《《そのような》》格好なのでしょうか』
そんなものは個人のポリシーといえばそれまでだけど、どんな理由なのかを聞いてみたかったのだ。
『実にいい質問だね』
笑いを堪えながら、サイモン先生がかえす。周囲もドッと笑っている。さすがに、ちょっと個人的な質問過ぎたか?
『君。研究者に必要なものは何だと思う?』
サイモン先生の唐突な問いかけ。絶えず考え続ける思考力だろうか。
『やはり、ずっと考え続けることでしょうか』
俺なりの答えを返してみる。
『それも重要だけどね。もっと重要なものがある』
もっと重要なもの?それは何だろう。
『体力と精神力だ』
一瞬、目が点になるかと思ったが、周りの人が笑ってないのをみると、ジョークではないらしい。
『人間は結局、生き物だからね。体力が備わっていないと、ずっと考え続けるということすらできない。あるいは、寒さや暑さで考えを阻害されているようでは、やはり問題だ』
真剣な表情で答えるサイモン先生。
『ということは、精神力と体力を鍛えるために、その格好を?』
聞いてて、それはマジかと思いたくなったけど。
『そう。そういうことだ。君も一緒にどうかね?』
その言葉に聴衆が爆笑する。
『は、はい。検討させていただきます』
そう答えるのが精一杯だった。
講演後。
「サイモン先生、噂に違わぬ変人ぷりだったわね」
「ああ。格が違うと感じたよ」
隣の涼子が話しかけて来た。もし、その偉大さがあの露出狂スレスレの格好で養われたのだとしたら、とても真似できそうにない。というか、少し引きそうになっていた。
「善彦、検討しますって言ってたけど、まさかやるつもり?」
何か胡乱な感じの視線だ。その誤解は勘弁して欲しい。
「いや、さすがにやらないって。デートした時とか、そんな格好だとやだろ?」
慌てて弁解する。というか、俺自身が嫌だ。
「良かった。もし、善彦が本気だったら、別れようかと思ったわ」
そうそっけなく言う涼子。
「勘弁してくれ」
恋人になった次の日に別れるとか洒落にならない。
「冗談よ。ドン引きするかもしれないけど、別れようとまで思わないわ」
そんな事を言いながら微笑んでいるが、
「いや、それはそれでどうなんだ。というか、ドン引きはするんだな」
サイモン先生の国でどうかは知らないが、日本でそんな事してたら周りから白い目で見られる事は確実なように思う。
「でも、さすがにこの分野の研究を切り開いた人だけあるわね」
「それは同感。もう50年以上も研究やってるんだから、凄いよな」
格好はともかくとして、やはりその業績は憧れだ。
「格好はともかくとして、ね」
「それは同感」
格好だけはやはり真似できそうにない。
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