第19話 研究集会(1)
さて、いよいよ今日は研究集会当日だ。今は、既に新幹線に乗って東京に向かっている。
「それにしても、こうして研究集会に出るのも普通になったよな」
「そうね。2年前、初めて出た時はほんとに緊張したものね」
「ほんと、ほんと。増原先生も無茶振りするし」
俺たちの恩師である増原先生が連絡を取ってきた後のことだが、「LANGで君たちの研究成果を発表してみないかい?」というお誘いを受けたのだ。
「論文なんて書いたこともないし、試行錯誤だったわよね」
「おまけに、発表当日はきついツッコミを食らうし。なーにが、先生たちは優しいから、だよ」
「私達より遥かに詳しい人たちから質問が来るんだものね」
増原先生は、「君たちはまだ中学生だから、皆優しくしてくれるよ」なんて甘い言葉で俺たちを唆したのだが、LANGでの初回の発表はそれはひどいものだった。サーベイ論文という、既存研究をまとめた報告なので、研究の新規性までは問われなかったものの、論文のこの理解が間違っているだの、用語の定義がおかしいだの、ツッコミの嵐だった。
「それでいて、発表が終わったら普通に接してくるんだもんなあ。怖かった」
最初、質疑応答でツッコミの雨嵐にさらされた俺達が思ったのは、「あまりに発表が未熟で先生方を怒らせてしまったのでは?」というものだったが、別にそういうことはなく、事実を淡々と指摘したつもりらしい。
「そういえば、今日はB4の発表が複数あるわよね」
「メンタル潰れないといいんだけどな」
B4というのは、大学の学部4年生を指す事言葉だ。今や俺たちもすっかり慣れたものだが、通常、研究集会で初めて発表するB4の人たちにとっては、さぞかしきつい洗礼になるだろう。俺たちより6年上の人間に対して、何を言っているのかと言われそうだが、実際、B4の人たちの研究発表を複数見た限りではきついツッコミを入れられても仕方がない発表が多い。
そんな、研究集会についての雑談を交わしながら東京に向かったのだった。
◇◆◇◆
そして、13:10現在。LANGの1日目最初の発表を聴いていた。発表は、北東大学B4の人による
『プログラミング言語Rustを使った新しいWebアプリケーションフレームワークRustyの提案』
だ。LANGが扱うのは、形式言語だけじゃなくプログラミング言語やプログラミング全般なので、このような発表もよくある。
ちなみに、Webアプリケーションフレームワークというのは、ブラウザで動くアプリケーションを作るためのソフトの事で、今やフレームワークを使っていないソフトは無いと言っていい。
というわけで、発表タイトルは問題ないのだが、発表本体が何を主張したいのかよくわからない構成だ。Rustを使ったWebアプリケーションフレームワークは、既にいくつもあるし、新しいものを提案するならそれなりの新規性を提案するのが筋なのだが。
そして、関連研究への言及もほとんどない。何か色々ともやもやとする。そして、実験も、小さなToyアプリケーションを作ったのみで、そのToyアプリケーションがどの程度意味があるのかの説明が、スライドだけでなく、論文を見ても、全くない。
発表自体は無難に進行して、質疑応答の時間に入る。
「洛王高校の織田です。一つ、よろしいでしょうか」
挙手をして質問をする。
「私が知る限り、Rustのためのフレームワークは複数あるはずです。今回提案されたRustyについては、どのような新規性や利点があるのでしょうか?」
この辺りが全く発表から読み取れなかったのだ。
「ええと、それはですね。Rustはメモリ安全な言語ですから、それでフレームワークを作ることで、アプリケーションの安全性が……」
他のフレームワークと比較してどうなのかを聞いたのに、全く回答になっていない。
「《《単に》》Rust製のフレームワークを作ってみた、ということでよろしいでしょうか」
「それは……」
B4の人の発表だとままある光景で、自分の研究を十分に整理できていない時にはありがちだ。これ以上引っ張っても仕方ないか、と質疑を終えようとしたところ、
「北東大学の稲田といいます。発表者に代わってお答えします。Rustyについては、こちらの研究室で開発しているものでして……」
同じ大学で、おそらく発表者の指導教員をしているだろう人が助け舟を出したようだ。これもまたよくある光景だ。この、稲田先生の回答を受けて、ようやく発表の趣旨がわかった。フレームワークレベルで、Rustの型システムをうまく活用したところは、他のフレームワークにあまりないもので、そこが《《新規性》》だということらしい。やはり、研究として弱いのではという印象は拭えないけど。
「ありがとうございます。よく理解できました」
質問を終えて着席する。
そして、休憩時間。
「善彦、柔らかく指摘してあげた方が良かったんじゃないの」
「そういうテクニックは俺にはないしなあ。涼子はできるか?」
「私も無理ね。今なら、初発表の時の先生方の気持ちがわかるわ」
「婉曲に言う先生とかはよくできるなあって思う」
改めて、この界隈の厳しさを認識したのであった。