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研究者な俺と幼馴染が紡ぐイチャイチャ研究生活  作者: 久野真一
第2章 高校生研究者としての日常
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第17話 実質初デート

 二学期が始まって、最初の週末がやってきた。今日は、涼子(りょうこ)との、実質初デートだ。ナイアガラの滝は、突発的なものだったので、カウントしない方向で行きたいと思う。


 結局、デートプランは任せてということで、何も知らされていないけど、あいつの事だから、特に心配はしていない。


 今朝は、朝からシャワーに入って、いつもより念入りに歯も磨いた。服は……まあ、そこまで気合い入れなくてもいいだろうと、普段着とあまり変わらない。


「お邪魔します」


 ガチャン、という音ともに入ってきたのは、まさに俺が考えていたその当人。


 2人で研究をする時間が増えてから、下の階のこいつと上の階の俺が行き来する事が増えたので、いつでも入れるように、合鍵を渡してある。


 深夜に突然、ピコーンと何かが閃いた時は、インターフォンを鳴らすとお互いの両親に迷惑がかかるので、これくらいの方が合理的というのも理由だ。


「おお。待ってたぜ。で、今日は……」


 「どこに行くんだ?」と言いかけたのだが、途中で言葉を失ってしまった。


 丈が少し長めのスカートに、桃色のニット。しっかりとデートを意識した着こなしだ。トレードマークである長い黒髪はポニーテールになっていて、普段のヘアスタイルとまた違う趣がある。


「ど、どう?似合ってるかしら」


 どこか落ち着かない様子で、感想を問われる。こいつは普段は、どちらかというと機能性重視で、あまりスカートを好まないし、髪はそのまま後ろに流すのを好んでいたので、普段とのイメージの違いにドギマギしてしまう。


「可愛い。ギャップ萌えというか」


 言うに事欠いてギャップ萌えとは何だと自分を問い詰めたくなるが、スカートを含めて「女の子」を強く意識させられる感じで、ぐっと来たのが正直なところだ。


「ちょっと悩んだのだけど、良かったわ」


 はにかむ様子もまた普段の硬めの表情と違っていて、いい。きっと、あれから色々考えたのだろうなというのが伺える。


「それで、どこ行くんだ?」


 外に出てから、忘れていた本題を切り出す。


「それなんだけど、河原町(かわらまち)あたりどうかしら」


 俺たちが住んでいるのは、京都市内の千本三条(せんぼんさんじょう)という地域で、市内の中心に当たる。河原町は、南北に伸びる河原町通り沿いにある地域で、百貨店やカラオケボックス、飲食店など多くの店がある。


 その分、休日に混むことで地元民には知られている場所だけど、色々な店が揃っているのは、良いところだ。


「で、場所は?カラオケとか?」

「それは、着いてのお楽しみで行きたいのだけど」

「なんか勿体ぶるな。ま、いいか」


 今更、そんな細かい事を気にする仲でもない。ぎゅっと手を握って、歩きだす。


「こうやって、手を繋ぐと、恋人になったって実感するわね」


 しみじみと漏らす涼子。ナイアガラの滝で、そんな事になったっけ。


「そういえば、そうだな。いつの間にか、手を繋がないようになってたな」


 まあ、恋人にもなってない2人が手をつないでなんかいたら、中学高校とからかわれていたに違いないので、なんとなく繋がなくなったのだろう。


「その。これからは、登下校の時も繋いでいいかしら」


 絞り出すような小さい声。


「俺の方こそ頼みたいくらいだ」


 恋人になったからには、手を繋いでお互いを感じたいと思っていたけど、どうにもいい雰囲気にならなくて言い出せずにいたのだ。


「うん。じゃあ、そうするわね」


 その時の、なんだかほっとしたような表情が印象的だった。こいつはこいつで不安だったのだろうか。


 なんとなく、だべりながら歩いていくと、あっという間に河原町にたどり着く。京都市内は狭いもので、ここまでたかだか20分。


「おお。なんかいい雰囲気の喫茶店だな」


 『喫茶ソアラ』と書かれている喫茶店は、木造りで古めかしくて、なんだか雰囲気がある。

 

「でしょ?調べてて、デ、デートスポットにいいって」

「そ、そっか」


 デートのところで噛んでいる辺り、色々調べたんだろう。特に、こいつなら徹底的にリサーチしそうだ。


 ちょっとした幸せを感じつつ、店内に入る。


「なんか、レトロな感じだな」


 単に古い、のとは違う、この雰囲気を表す言葉を探しつつ言う。


「戦前からあるんですって」

「それは凄いな」


 幸い、席は空いているようで、スムーズに座ることができた。


「このお店のオススメは?」

「この、ゼリーポンチというのが人気だそうよ」


 壁に貼られたメニューを見ながら言う。


「へー、いかにも夏っぽいな。じゃあ、それで」


 透明感のある青色のゼリーが、涼しげだ。


「私も。すいませーん」


 メニューをスパッと決めて注文を済ませる。


「そういえば、昨日読んだ……あ」


 何かを言いかけて止めたのが気にかかる。


「どうしたんだ?何か面白い論文でもあったか?」


 言いかけた内容からして、そうだと感じたのだけど。


「……なんだか、駄目ね、私」


 涼子は急に落ち込んでしまった。


「別に、論文の話してもいいんだぞ。どうしたんだ?」

「そんな話ばっかりしてるの、カップルらしくないんじゃないかしら」

「ひょっとして、この間の話か?結菜(ゆな)に言われたこと」

善彦(よしひこ)を前にすると、つい、そっちの話が思い浮かんじゃうのよね」


 ふう、とため息をつく涼子。


「別に、そんな事、今更気にしないでもいいだろ。デートしながら、論文の話。俺達らしいじゃないか」

「でも……」


 相変わらず、戸惑っている様子。こう、変に「普通のカップル」ぽくを意識する方が気まずいんだけど。


「「朝起きて、これから研究をしようと思っているようだったら半人前」」

「それ、よく聞く言葉よね。それが?」

「元の話はどこかは俺も知らないんだけどさ。それが研究者の心構えだと思ってる」

「そうかもしれないわね」

「つい、論文の話をしたくなるなら、お前が根っからの研究者だって事」

「……」

「だから、別にいいんじゃないか?今更、戻れない道だろ」


 高校生で道を決めるのは早すぎるのかもしれない。でも、半人前とは言え、何本も論文を通してきたんだ。


「そうね。そうかもしれないわね」

「だろ?《《研究者同士》》のカップルらしく、行こうぜ」


 ちょっと、カッコよくキメて見た。のだけど。


「ふふ。善彦には似合わないわよ、そんなの」


 必死で笑いをこらえた様子の涼子。くそ。


「似合わないのはわかってるよ。で、調子戻ったか?」

「そうね。今更よね」


 ようやく元気を取り戻してくれたようだ。


「で、さっき話しかけた論文の話、聞かせてくれよ」

「あ、そうそう。DLT 2018の論文なんだけど……」


 そう言って、彼女が見せてきた論文は


The computational power of Parsing Expression Grammars

Bruno Loff, Nelma Moreira, Rogério Reis

※実在の論文です


 というタイトルのものだった。DLTは、略さずに書くと、


International Conference on Developments in Language Theory

※実在の国際学会です


 となり、日本語でいうと、言語理論の開発に関する会議といったところだ。


「ん?|解析表現文法《Parsing Expression Grammar》の論文か」


 先日の国際学会で発表したときに関連研究として紹介したものの一つに解析表現文法がある。特に、プログラミング言語の文法を取り扱うために便利なので、主流ではないが研究が続いている分野だ。解析表現文法が発表されたのが2004年で、たった十数年前というのがなんとも凄い。ちなみに略してPEGと呼ばれることが多い。


「知っての通り、解析表現文法の性質はよく知られていなかったのだけど……」

「だよな。こないだの国際学会でも、その事は話題になったよな」


 解析表現文法が発表されたのが2004年で新しいということもあり、未だにその性質についてはよくわかっていない事が多い。発表したBryan Ford本人でさえも。


「この論文、2年前のものなのだけど、解析表現文法はかなりヤバいらしいわ」

「ヤバい?どういうことだ?」

「論文によると、|反復補題《Pumping Lemma》が存在しないらしいの」

「マジか……そりゃヤバいな」


 反復補題というのは、主に、何らかの言語が、ある形式言語、たとえば、文脈自由言語に属さないということを証明するために使われる論法だ。


 たとえば、


abc

aabbcc

aaabbbccc

aaaabbbbcccc

...


 と一般化した、a^n b^n c^n (n ≧ 1)という言語は、文脈自由文法、正確には文脈自由言語に《《属さない》》事が証明されているけど、証明には反復補題が使われている。


 解析表現文法についても反復補題が存在すれば、ある言語が解析表現文法、正確には解析表現言語に属さない証明を作り出すことができるだろうと言われていたが、それは不可能だということだ。


「しかし、その辺の証明はちょっと専門外なんだよなあ……」


 超文脈自由文法などというものを発表した俺たちだが、その基本的な性質の《《数学的》》証明は大部分を彼女に頼っている。


「でも、これは、チャンスだと思わない?」


 彼女の目が爛々と輝いてきた。


「というと?」

「私達にとって解析表現文法はライバルなわけだけど、この分だと理論的な性質が明らかになるのは先だと思うの。超文脈自由文法の優位性を主張できると思わない?」

「なるほどなあ。確かに、こっちはその分有利だよな」


 解析表現文法は、その、《《プログラミング言語的な性質のせいで》》、形式文法あるいは形式言語の世界では異端的な存在でもある。故に、研究的に正統的な文脈自由文法を拡張した方が筋が良いという主張は前から聞いたことがあった。俺たちが、超文脈自由文法を提案したのは、その主張を受けてのことでもある。


 この論文は、その主張を補強するものと言えそうだ。


「よし、帰ったら、また議論しようぜ。ただ、今は道具がな……」

「そうね。ホワイトボードでもあればいいのだけど」


 2人して、もうすっかり研究の世界に入り込んでいるが、こういう時に重要なのは、アイデアを2人で一緒に議論できるホワイトボードという道具だ。俺たちの部屋にも、それぞれホワイトボードがある。


 そんな風に、頭をフル回転させていたその時だった。


「あの、お客様。ご注文の品をお持ちしたのですけれど……」


 ウェイトレスさんが、言いにくそうに割って入る。


「「あ、すいません」」


 揃って、ぺこぺこ謝る。注文の事をすっかり忘れていた。


「すっきりする味ね。ほどよい酸味もあって……」

「研究で頭使ったときに、欲しいな」


 2人でゼリーポンチを貪り食う。


 頭をフル回転させた時には甘いものが欲しくなることがよくある。とはいえ、ダダ甘だと後味がすっきりしないので、ソーダ味のするこれは、ちょうどいい。


「とりあえず、論文の話は帰ってからにするか」

「そうね……」


 研究に入り込み過ぎると、こういう時にはちょっと良くない。


「で、次はどこにするんだ?あ、もう「普通のデート」に拘らなくていいからな」


 もう大丈夫だろうけど、念のためだ。


「そうね……じゃあ、ゲームセンターはどうかしら」

「クイズゲームで対戦でもするか?」

「それもいいのだけれど、色々遊んでみたくなったの」


 楽しそうに言う彼女は、「普通のカップル」を意識している時よりとても輝いた目つきをしていて、魅力的だ。やっぱり、こうでなくちゃな。


 というわけで、ゲーセンに直行して、クイズゲームで対戦してみたり、エアホッケーに興じたり、格ゲーで対戦したりと満喫した。反射神経や勘で競い合うのは、研究とはまた違った楽しみがある。


 気がつけば、もう日が暮れようとしていたので、名残惜しいが帰ることにした。


「いやー、楽しかったな―」


 何はともあれ満足だ。


「やっぱり、いつもの通りの方が楽しいわね」


 隣を歩く涼子も嬉しそうだ。一緒に手を繋ぎながら、というのが変わったところだけど、すっかり色っぽいムードが消えてしまっているのにふと気づいてしまう。


 こうして、三条通りを2人で歩くのももう何度目だろうか。恋人になるだいぶ前から、京都のこの通りをよく歩いた。


「今日は、ありがとな。楽しかった」

「最初、失敗しちゃって、ごめんなさい」

「別にそれくらい気にしないさ。やっぱり、いつもの通りが気楽だって」

「そうよね。これからはそうするわ」


 これだと、色っぽい雰囲気になるのは時間がかかりそうだ。


「でも、やっぱり、あなたで良かったわ」

「そっか。俺も、お前で良かったよ」


 嬉しいことを言ってくれる。


 それっきり、言葉少なになった俺達は、気がつけばマンションの前に。


 できれば、キスの1つでもしたいが、そんな雰囲気でもないか。なんて思っていると、ぐいっと引っ張られる。


「お、おい!?」


 通りから見えないところに引っ張り込まれる。


「私も、女の子だもの。普通じゃなくても」


 そう言って、目を閉じて唇を突き出してくる。


「別に普通の女の子だよ。お前は」


 ただ単に、趣味が研究なだけで。そんな事を考えながら、ゆっくりと口づけたのだった。


「それじゃ、《《また後で》》行くわ」


 弾む声。


「ああ、それじゃ」


 もう頭は研究のことでいっぱいになっているらしい。今夜はまたホワイトボードを前に色々議論することになりそうだ。

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