第1話 国際学会という舞台
ホールの壇上から下を見やると、そこには人、人、人。500名くらいにはなるだろうか。空調は効いているが、どことなく暑い気がする。この人たち全員が俺《《たち》》の成果を聴いているのかと思うと、緊張で冷や汗が出てくる。
『次は、洛王高校の織田善彦、徳川涼子による、『超文脈自由文法:新しい構文解析のための基盤』です』
このセッションの座長を務めるJosh Irwin先生が、俺たちを紹介する。当然、《《英語》》だ。座長は、平たく言えば司会のようなもので、発表者に近い専門分野の研究者が務めるのが慣例になっている。ジョッシュ先生も、俺達と近い専門分野の研究者だ。
ホールの最前列の席では、俺の共著者が、心配そうな顔で見守っている。今日までに、日本で重ねてきた発表のリハーサルや論文執筆の日々を思い出す。落ち着いて、冷静にやればできる。そう言い聞かせる。
俺《《たち》》が居るのは、カナダのトロントだ。トロントは、カナダ最大の都市でもある。国際学会ICFG(International Conference on Formal Grammar)の真っ最中で、朝一番の発表が俺なのだった。
ちなみに、俺達の専門分野では、国際学会での論文発表が業績として重視される。国際学会での発表は、学会にもよるが、発表30分、質疑10分といったところだ。
『まずは、背景となる、文脈自由文法についておさらいします』
言いながら、スライドの最初のページを投影する。
Background: Context-free Grammars
S = P;
P = "(" P ")" | "";
これは、文脈自由文法の典型的な例である、カッコの対応をチェックする例だ。
この学会の参加者なら、皆文脈自由文法についてはある程度知っている事を期待できるが、念のためだ。
『しかし、現在、多くのプログラミング言語の文法は、文脈自由文法では、《《実は表現できない》》事も知られています。たとえば、C、C++、Java、Ruby、Scala、Swift、などなど、様々な言語にそのような要素があります』
現状に対する問題提起。会場を見ると、ふむふむとうなずいている人もいれば、意外だと驚いている様子も見られる。反応は上々のようだ。
『この問題点を解決するために、色々な先行研究がなされてきました。たとえば、解析表現文法などは、その代表と言えるでしょう。また、自然言語の分野でも、文脈自由文法の拡張は広く研究されて来ました』
例を挙げて、俺たちの問題提起に対する研究が色々あることを示す。研究では、自分たちがやろうとしている事に対して《《既存研究》》がある事は珍しくない。ゆえに、先行研究や関連研究を紹介する事は必須に近い。
再度、会場を見渡すと、何名かの参加者が興味深く聞き入っているのが観察できた。よし、いい調子だ。
『しかし、これらの先行研究では、現状のプログラミング言語を統一的に扱うことができていません。そこで、《《我々》》は、新しい形式的な文法として、超文脈自由文法を提案します』
言いながら、超文脈自由文法の定義を示す。反応を見ると、ふむふむと聴き入っている人もいれば、よくわからないとばかりに頭を捻っている人もいる。
『この超文脈自由文法を用いて、既存のプログラミング言語の文法を《《うまく》》表現できる事を示します。詳しくは、論文の図 3.1をご覧ください』
スライドだけでは限界があるので、論文も参照してもらうように言う。例を挙げたおかげか、先程頭を捻っていた人の何人かが、納得したようだ。《《先生》》は、「いい例を挙げなさい」というのを口を酸っぱくして言ってくれたが、それが功を奏したようだ。
『次に、超文脈自由文法の性質について説明します。超文脈自由文法は、文脈自由文法と同じく、和や積に対して閉じています。証明は次のようになります』
理論的な発表では、特に、《《数学的な》》手法を使って、自分の理論が《《良い性質》》を持っている事を証明する必要があることもしばしばだ。
『また、超文脈自由文法を用いて、既存の言語の文法をうまく表現できるか、実験を行いました。言語としては、C、C++、Java、Ruby、Scala、Swiftを選びました』
理論的な発表では必須ではないものの、俺達の提案する超文脈自由文法は、実用上の問題を解決するものなので、実験は必須だった。実験結果に驚いている人もいれば、納得している人もいた。
『まとめに入ります。このように、超文脈自由文法では、既存のプログラミング言語を統一的に扱うことができることを示しました。また、その強力さに比して、計算量が少なく済むのが特徴です』
強力な文法を持ってくれば、あらゆるものを表現できるのは自明の理なので、「十分に弱い」理論である事を示すことも、この分野では重要な事だ。
『……以上で、発表を終わります。ご清聴、ありがとうございました』
英語で発表をそう締めくくる。途中、何度か息が切れそうになるたびに、深呼吸をして息を整えたが、なかなかにしんどい。
『発表、ありがとうございました。質疑応答の時間に入りたいと思います』
さて、いよいよここからだ。どんな質問が飛び出すか-
『大変興味深い発表でした』
参加者の1人が挙手をして立ち上がる。
『1つ、質問があります。提案された《《超》》文脈自由文法は、文脈自由文法に比べて、かなり強力だと思われますが、多項式時間で扱える証明はありますか?』
鋭い。強力な文法を作り出す時に問題にしばしば問題になる点を参加者は突いて来た。この件については、スライドで扱えきれなかったので、補足用のスライドを用意しておいたのが幸いだった。
『鋭い質問ありがとうございます。次のスライドをご覧ください』
続けて、用意してあった質疑応答用のスライドを映し出す。この比較は当然来るだろうと思って、事前に準備してあったのだ。
『……という風に証明可能です。どうでしょうか?』
発表や論文に欠点や《《欠陥》》があれば容赦なくそれを突かれる覚悟をしなくてはいけないのが研究者の世界だ。たとえ、俺がまだ高校生であってもだ。
『なるほど。納得しました。ただ、|個人的な意見ですが《in my humble opinion》、この証明は発表本体にあった方が良かったのではないかと思います』
質問者がコメントを付け加える。in my humble opinionと前置きして、あくまで個人的な意見である事を強調したい時に使うことはよくある。その前置きがない場合、強く《《そうすべき》》という意見になりかねないため、このような枕詞は日本語でも英語でも多数ある。もっともよく見られるのは、「この分野は専門外なのですが」や、その英語表現に相当する「I'm an outsider. But, ...」辺りだろうか。
俺も相手も、英語で、あくまで丁寧な対応をしているが、研究の根本を刺される質問が来ないか冷や汗でダラダラだ。
その後も、いくつかの質問が来たが、とちらずに無事にこなす事ができた。
壇上から降りて、へとへとになったのを自覚する。汗がだらだらで、手足も少し力が入らない。
(ちょっと休憩しよう)
そう思って、ホールのドアへ向かうと、途中で徳川涼子が待っているのを見つけた。今回の論文の共著者であり、俺の幼馴染でもある女性。
170cmに近い長身に、腰まで伸ばした黒髪、すらっとした体型に、初見ではややきつい印象を与えそうな鋭い瞳が特徴的だ。
「善彦、お疲れ様。汗でびっしょりよ。大丈夫?」
日本語で問いかけてくる。
「いや、もう緊張して。死ぬかと思ったよ」
「おおげさ……とは言えないわね」
「だろ?」
俺も彼女も、日本語での発表は何度か経験があるが、英語での発表は初めてだ。途中で詰まるんじゃないか、とか、根本的な欠陥が指摘されてしまうのではないか、と緊張の極地だった。
「で、超疲れたから、とりあえず、ホールの外で休憩してくる」
「あたしも付き合うわよ」
「助かる」
ホールの外に出ると、途端に周りが明るくなる。発表を特に聴く気がない人や、研究に関する議論を行っているらしい人がちらほら見える。幸い、ソファーが空いていたので、2人で揃って座る。
「で、俺の発表どうだった?」
うまくこなせたと思うのだが、1参加者としての意見を聞きたかった。
「リハーサルの時みたいに、いえ、それ以上に出来たと思うわよ。良かったわ」
涼子は本心でそう言ってくれているようだった。
「それなら良かった。やっぱ、練習はしとくもんだよなあ」
国内での発表なら、練習などしなくてもいいくらいには慣れてきた俺たちだが、海外の、しかも、有名国際学会となれば話は別だ。
「ほんと、お疲れ様ね」
「第2著者のおまえあってのようなものだからなあ」
「第1著者なんだから、もっと自信持ちなさい」
そうぴしゃりと言われてしまう。第1著者というのは、論文が複数で執筆された時に、論文をメインで執筆した人物のことだ。論文の著者名リストで一番前に出てくるので、「第1」だ。特に、計算機科学関係では、第1著者かどうかが業績の上で重視されることも多い。
第2著者は、研究に第1著者に次いで貢献した人の事だ。第2著者の位置づけは論文によっても異なるが、今回は俺の提案した理論の誤りの多くを彼女に直してもらった。
ちなみに、今回の発表タイトルは、
『Hyper Context Free Grammars: New Foundation of Parsing』
だ。日本語にすると、
『超文脈自由文法:新しい構文解析のための基盤』
といったところだろうか。学会のサイトには、
Hyper Context Free Grammars: New Foundation of Parsing
Yoshihiko Oda, Ryoko Tokugawa
と記載されている。
「あー、でも。無事に終わってほっとしたよ」
発表が終わった安堵感で、少し脱力気味だ。
「でも、私もできれば発表したかったわ」
「これからいくらでも機会あるだろ」
例外はあるのだが、学会発表では、複数の著者があったときでも、だいたい、誰か1人が代表して発表するのが普通だ。第1著者が論文については最もよく知っていることが多いので、第1著者が発表者を兼ねることが多い。
さて、こんな会話を交わしている俺達だが、身分は京都市内在住の高校2年生。普通なら学校で授業を聞いている時間だが、2年程前、ひょんなきっかけで国内の学会で発表をする羽目になってしまった。それから、何本かの発表を経て、今回、初めての国際学会での発表に至る、というわけだ。
「なんか、未だにこんな大舞台で発表してるって実感湧かないよなあ」
「それは、私もよ。きっかけは、やっぱり、増原先生かしら」
増原教授は、関連分野での世界的な研究者なのだが、後進の育成に熱心だ。ある日目に止まったらしい、俺達の論文とも呼べない考察を目にして、連絡してきたのだ。それが、中学3年生の時。あの時は、ほんとにびっくりした。
今回も、日本とカナダの間の往復交通費や、宿泊費は増原先生持ちになっている。ほんとに、ありがたい限りだ。
「ところでさ、今晩、おまえの部屋に行っていいか?」
「え」
一瞬、彼女がフリーズする。あらぬ誤解を与えた事に気づいた俺は、
「いや、おまえの想像するような事じゃないぞ。ただ、ちょっと大事な話なんだ」
慌てて訂正する。
「それは、ここだと出来ない話?」
「色々な意味でな」
「じゃあ、今晩、待ってるわ。部屋番号は大丈夫?」
「確か、503号室だろ」
「大丈夫そうね」
ちなみに、今回の国際学会はトロントの大ホテルの中で行われていて、参加者は強制ではないものの、同じホテルで宿泊する人が多い。
さて、この国際学会での1番の務めは終えたが、2番目は今夜だ。ある意味、こちらこそが本番と言っていいのかもしれない。
振られて、傷心で帰国なんて真似はできれば避けたいが、それもあいつ次第か。こちらは、いくら俺が頑張っても、相手次第なのがままならないが、当たって砕けろだ。
はじめましての方ははじめまして。久野です。この小説は、高校生にして、一線の研究者
として舞台に立つ高校生の男の子とその幼馴染がイチャイチャしたりしながら、真面目に
理系の「研究」をするというやたらニッチな作品です。
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