知らない過去
「ほう、ユシテアの王城よりも大きいな」
「そうなの? 考えてみたら、結局わたしは住んでいたくせにユシテア王国のこと何も知らないのよね」
「いつでも連れてってやるぞ」
馬車に揺られ窓から王城が見えてきた頃、キースはそう言って笑った。ちなみに自国であるキュリオスの王城も、王家主催の夜会や舞踏会で数回来たことがあるだけであまり詳しくはない。自国自体についてもだ。ドロシア程ではないけれど、今のわたしもかなりの無知だった。
……あの後、昼過ぎに王城への呼び出しの手紙が届いた。正直気は重かったけれど、国王陛下の名が記されていては無視出来るはずもない。暗にキースも連れて来いということが書かれており、余計に頭が痛くなる。
結局、一つだけ言うことを聞くと約束させられ、なんとか彼を連れて王城へとやって来ることができた。そもそも巻き込まれている側のわたしが、何故ここまでしなくてはならないのだろうか。
やがて案内された部屋の中に入ると、既に室内にいた人々の視線がこちらへ一気に集中した。皆キースがいることでひどく緊張しているらしく、重苦しい雰囲気が漂っている。
けれどその中でも、一番緊張しているのはわたしだろう。間違いなくこの場にいるのは各国のお偉いさんだ。一人だけ場違いにも程がある。そんなわたしを他所に、キースはスタスタと歩いて行き空いていた席にどかりと座った。
相変わらずとんでもなく偉そうな態度である。
「ステラ、早く座れ」
「う、うん……?」
そう返事はしたものの、わたしが如きが勝手に着席する訳にはいかないと戸惑っていると、バーナード様がすぐにキースの隣の席を勧めてくれた。キースは彼の空気の読みっぷりを見習って欲しい。
「こんにちは、ステラ。今日も会えて嬉しいです。キース様も、ご足労頂きありがとうございます」
「お前の為ではないがな」
「ちょ、ちょっと」
相変わらず態度の悪いキースにも、バーナード様は柔らかな笑顔を浮かべたまま対応していた。心が広すぎる。
そうしているうちに、国王陛下が現れた。その途端、先程までの比ではない位、張り詰めた空気になる。何度かお会いしたことがあるけれど、正直わたしは陛下が苦手だった。口が裂けてもそんなことは言えないけれど。陛下は椅子に腰掛けると、わたしとキースへと視線を向けた。
「黒竜王キース殿、我が国へようこそ」
「ああ」
陛下に対しても、キースの態度は変わらない。わたしは冷や汗と緊張で最早吐きそうだった。そもそもこんな場にいる時点で具合が悪いのだ。心の底から早く帰りたい。
「で? こんな所まで呼び付けてなんの用だ」
「キース様の今後について、改めてお伺いしたい」
「ステラといる、それだけだ」
間髪入れずにそう言ったキースのせいで、全員の視線がわたしに集まる。丸投げするのは本当にやめて欲しい。
「ステラ嬢はいずれ、わしの娘になるのだ。つまりは我が国に滞在して下さるということでいいかな」
有無を言わさない陛下の言葉に、場はしんと静まり返る。けれど次の瞬間、マードック様は突然立ち上がると床に手足をつけ、わたしに向かって頭を下げた。
「っステラ様……!私の命はどうなっても構いません、どうか、どうか我が国へ来て頂けないでしょうか……!」
「……っ」
「おい、陛下の御前だぞ! 勝手なことをするな!」
そんなマードック様の必死な様子に、わたしは言葉を失っていた。こんなことをして、彼もただでは済まないのはわかっているはずだ。それでも彼には、命を懸けてでもキースを連れて帰らなければいけない理由があるのだろう。
自分の選択に誰かの命が掛かっているなんて、わたしには耐えられない。重たすぎる責任に押し潰されそうになったわたしは、思わず隣にいたキースの服をぎゅっと掴んでいた。
「ステラ?」
「…………」
「お前は俺にどうして欲しいんだ」
「……わからないけど、人が死ぬのは、いや」
「そうか」
そう言うとキースは、二人がかりで無理やり立ち上がらされて尚、頭を下げ続けるマードック様に向き直った。
「お前らの国に何かあった時、助けに行ってやる。それならお前も他の奴らも死なずに済むのか」
そしてそんなことを言った彼に、皆が驚きの表情を浮かべていた。もちろん、わたしも含めて。昨日からの彼を見ている限り、そんなことを言うなんて思ってもみなかったのだ。
「そう宣言を出して良いのなら、と、とりあえずは大丈夫かもしれませんが……お約束、して頂けるのですか……?」
「ああ。俺は嘘はつかない」
「あ、ありがとうございます……!」
これでいいんだろうと言って、キースは満足げにわたしを見た。そんな彼は小さな竜だった頃と変わらず、褒めて欲しい時のキラキラとした瞳をしていて思わず笑みが溢れた。
◇◇◇
「ステラ、少しいいですか」
「あ、はい。大丈夫です」
話し合いを終えてすぐ、バーナード様に声を掛けられた。文句ありげなキースに少し待っているよう伝え、わたしは彼の後を追う。そうして隣室へと移動し、二人きりになった。
「君が隣国に行くと言い出してしまったら、どうしようかと思いました。寂しくて耐えられそうにないですから」
「そ、そうですか」
そんなはずはないだろうと思いつつ、笑顔を返す。すると彼は急にわたしの手をとった。ひどく冷たい手だった。
「俺たちの結婚式ですが、半年後に決まりました」
「えっ……?」
わたしとバーナード様が婚約してから、まだたったの3ヶ月だ。皇族の場合、普通は結婚式まで一年以上時間をかけるはず。こんなにも早い話など、聞いたことがない。
「何か不都合でも?」
「そういう訳では、ないんですが……」
「それなら良かったです」
そう言ってにっこり微笑む彼を見て、わたしとキースをこの国に置いておきたいからだろうとすぐに分かった。数日前のわたしなら、天にも昇る気分になり、彼もわたしのことを……?なんて馬鹿な期待をしてしまっていたに違いない。
「また近いうち、会いに行きますね」
そして彼は何故か、わたしの頬にキスを落とした。こんなことは初めてで、突然のことに動揺してしまう。
すると次の瞬間、物凄い力で後ろへと引っ張られ、気が付けばわたしはキースの腕の中にいた。恐る恐る見上げた彼の顔からは、表情が抜け落ちている。
「キース?」
「…………」
「ど、どうしたの? 待っていてって言っ、」
「殺していいか?」
「えっ?」
「こいつを殺していいかと聞いている」
「な、にを、」
驚くほど冷ややかな視線をバーナード様に向けているキースに、わたしは一瞬で冷静になっていた。
本気で、殺す気だ。何故だかそんな気がしてしまう。
「すみません、バーナード様! またご連絡します!」
このままここにいてはいけない気がして、わたしは必死にキースの腕を引き、慌ててその場を後にしたのだった。
そのまま帰りの馬車に乗り込み、向かい合って座る。どうやらキースは、わたしに対しても怒っているらしい。
「いつもあんな事をしているのか」
「してません」
「二度とさせるなよ」
「はあ……」
そう言うと、彼は足を組み頬杖をついた。何故キースがこんなにも怒るのかわからない。独占欲と言ったって、子供が母親を独り占めしたいと思っているようなものだろう。
「ねえ、キース。簡単に殺すなんて言うのはやめて」
「何故だ」
「……わたしは、キースに人を殺して欲しくない」
戦争に参加したくらいだ、彼が既に人を殺めてしまっていることくらいはわたしにもわかる。けれどこれ以上は、わたしがどうしても嫌だった。
「人間なんて好きじゃないし、お前以外どうでもいい。腐る程いるんだ、多少殺したって変わらないだろう」
「そんなわけないでしょう」
どうやら本気でそう思っているらしく、彼の考えは一朝一夕で変わるようなものではなさそうで。これから時間をかけて教えていこうと決意する。
「……いつから、そんな風に思ってしまったの」
わたしがいない間に、彼に一体何があったのだろう。そう尋ねれば、キースは窓の外に向けていた視線をこちらへと向けた。その漆黒の瞳からは、何の感情も読み取れない。
やがて彼は、困ったような顔のまま笑った。
「お前が死んだ日からだ」
「えっ?」
「ドロシアが死んだ日に、俺は初めて人間を殺した」