動き始める世界
「なっ、な、なん……!?」
「……ん、煩いぞ朝から」
昨夜、何とか誕生日パーティーを無事終え、バーナード様にもしっかりとお礼を言い、自室へと戻って来たわたしは急ぎで寝る支度をし、ベッドに飛び込んだ。そしてあまりの疲れによって(主に心労)三秒で眠りについたのだけれど。
何故か朝目が覚めてゆっくりと瞳を開けた瞬間、すぐ目の前にはキースの整いすぎた顔があって。驚きすぎたわたしの口からは、声にならない叫びが漏れていた。
「な、なんでわたしのベッドにいるの!」
「あの頃は毎日一緒に寝ていただろう」
「だ、だから、今と昔は違うんだってば!」
うっすらと瞳を開けたキースはまだ眠たいらしく、「まだ寝る」なんて言って、わたしをぎゅうっと長い腕の中に閉じ込めた。必死に脱出しようともがいても、力の差がありすぎてびくともしない。
相手は竜とは言え、一応人間の姿をしているのだ。婚約者のいる身で、こんな状況は間違いなく良くない。
けれど彼が小さな竜だった頃に毎日一緒に眠っていた記憶があるせいか、わたし自身、嫌悪感や罪悪感があまり湧いてこないから尚更たちが悪い。
「……はあ」
昨日は誕生日パーティーのせいでバタバタしてしまい、キースと十分に話をできなかったのだ。人間とはかなり感覚がズレている彼には、色々と教えることがありそうだった。
まだバーナード様からはなんの連絡もなく、時間はある。
とにかく今日は、彼とゆっくり話をしよう。そう決めて、結局、わたしも再び目蓋を閉じたのだった。
◇◇◇
「うまいな、これ」
「そうでしょう? わたしも大好きなの」
お気に入りの紅茶を、彼も気に入ってくれたらしい。
わたし達は今、沢山の花に囲まれた庭でのんびりと向かい合い、お茶をしていた。今日は天気も良く気持ちがいい。
「早速だけど、あの森はユシテア王国なの?」
「国境近くの山奥だ」
「そうなんだ。で、ドロシアが死んだのが120年前と」
「ああ」
あんな森の中にいた上、他の人間と交流がなかったせいで時代が全くわからなかったのだ。そんなにも時間が経っていたなんて、思いもしなかった。
「お前が死んだ後、100年位はあの森で暮らしていた。けれどある日、あまりにも人間共が煩くてな。何事かと覗きに行ったら、戦争をしていたんだ」
で、お前の為にユシテアの奴らを助けたって訳だ。
そんなとんでもない話を、キースは何てこともないように話しながら、またひとつクッキーを齧った。
「それからは人間共に頼まれて、貰った城で暮らしていた。言えば何でも出てくるから楽だったしな。何でも俺が王都に住んでるだけで、都合がいいらしい」
「そう、だったんだ」
「そんな中、一昨日の夜に急にお前の気配を感じたんだ。その瞬間、城から飛び立ってここまで来た」
そこで、一昨日の夜にわたしが頭をぶつけて記憶を取り戻したことを話せば、キースは突然顔色を変えた。
「怪我はしていないのか!?」
「えっ? うん、たんこぶが出来たくらい」
「……そうか。人間はすぐ死ぬんだ、気を付けろよ」
「わ、わかった」
そう言ったキースは、本気で心配しているようで。彼は意外と心配性なのかもしれない。
「それにしても120年以上も生きているのに、どうして数年一緒に過ごしただけのわたしを待っていてくれたの?」
日付感覚がなかったから彼と正確に過ごした時間はわからないけれど、きっと数年だったはずだ。きっとキースの長い人生の中では、ほんの一瞬のことだっただろう。
けれどそんなわたしの問いに、彼は何だそんなことか、とでも言いたげな顔をして笑った。
「120年以上生きてきた中で、ドロシアと過ごした日々が一番、幸せだった。だからずっと待っていたんだ」
「キース……」
「お前がいない間、暇で暇で仕方なかったんだぞ。他の人間と居ても面倒だし、つまらないし」
もう少し早く生まれ変わってくれよなー、なんて言うキースに、胸の中が温かくなる。彼があの二人きりの日々を、そんな風に思ってくれていたなんて知らなかった。
「……わたしも、幸せだったよ」
あんな森で暮らすのは流石にもう勘弁だけれど、わたしにとってもキースと過ごしたあの日々は、幸せなものだった。
そう伝えれば、キースは少し照れ臭そうに「そうか」と言って視線を逸らし、カップに手を伸ばした。
「けれど、どうしてわたしが生まれ変わってくるって分かったの? こうして記憶まであるのも不思議だわ」
「それはまあ、俺が昔、色々したからだ」
「い、色々……?」
「そのうち話す」
適当にも程がある。気になるけれど、そのうち話すと言っているのだ、急いで聞く必要もないだろう。
「それでね、わたしとキースの関係なんだけど、飼い主とかいうのはやめない?」
「じゃあ何なんだ?」
「うーん……友達、ううん、親友とか?」
「親友? それは特別なのか?」
「ええ、わたしの一番の親友にしてあげる」
そんな恩着せがましい言い方をしてしまったものの、ステラには元々親友と呼べる友人はいないのだ。自然と一番になってしまうことは黙っておく。
「親友は、あいつより特別か?」
「あいつ?」
「あの王子だ」
そう言ったキースは、拗ねたような表情をしていた。
「どうしてそんなに、バーナード様のことを気にするの?」
思い返せば昨夜は、結婚を許さないとかなんとか言っていた気がする。クッキーに手を伸ばし、口に入れてふとキースを見上げれば、彼はじっと真剣な表情でこちらを見ていて。
「知っているか? 竜は独占欲が強いんだ」
「…………えっ?」
「俺は、お前の一番がいい」
その言葉に、思わずどきりとしてしまう。
勿論、深い意味などないのはわかっている。わたしだって彼をそういう目で見ているわけではない。けれど顔が良すぎる男性に、告白まがいの言葉を言われているという状況に変わりはないのだ。
つい動揺してしまったわたしは、「が、頑張って」なんて訳の分からない返事をしてしまっていた。
「……ねえ、キース。あの小さい竜の姿にはなれないの」
「竜の姿で小さくはなれるが、何故だ?」
その顔は一々心臓に悪いなんて、言えるはずもなかった。
◇◇◇
「ステラ・オルブライトに、黒竜王が……?」
キュリオス王国の王城の一室にて、国王であるエイブラム・オルムステッドは驚きの声を上げた。
一匹で国一つを滅ぼす程の力を持つと言われているあの黒竜が、自国の令嬢を飼い主などと言い、懐いているなど信じられるはずがない。けれど彼の向かいに座る青年は、そんなくだらない冗談や嘘をつく人間ではなかった。
「はい。ステラがこの国にいる限り、黒竜王もユシテアへ戻ることはないと話していました」
ユシテア王国にはもう一匹竜がいると言うが、戦いは好まないと聞いている。
つまりその令嬢さえうまく扱えば、黒竜王が自国の物になる可能性があるのだ。そしてそれは、周辺国の力関係を一気に変えることを意味する。
そもそも竜は、人間の言うことなど聞くような生き物ではない。だからこそ、こんな機会は二度とないだろう。
エイブラムの顔が、歓喜によって歪んでいく。
「どんな手を使ってもいい。必ずやあの娘を繋ぎ止めておくのだぞ、バーナード」
「わかりました、父上」
そう言って、バーナード・オルムステッドは父親に向かって、天使のような微笑みを浮かべたのだった。