立場と都合と
「お祝いの場に突然お邪魔してしまったこと、心よりお詫び申し上げます。私はユシテア王国の大使を務めております、ロジャー・マードックと申します」
そう言ってマードック様は深く頭を下げた。彼は丸眼鏡がよく似合う、知的な顔立ちをした男性だった。
今は会場のすぐ隣の部屋にて、わたしが無理やり連れてきたキース、お父様、バーナード様、そして隣国の大使の方々というとんでもないメンバーでテーブルを囲んでいる。
本来ならキース一人だけで良かったものの、彼がわたしにくっついて離れないせいで、こんなことになってしまったのだ。そしてわたしの保護者としてお父様、婚約者兼我が国の代表としてバーナード様まで付いてきて下さっていた。
マードック様に続き、わたし達も皆自己紹介をしていく。先程まで誕生日を祝われていたとは思えないこの重苦しい雰囲気に、わたしは再び泣きたくなっていた。
キースはひどく不機嫌な様子で、テーブルに長い足を乗せてふんぞり返っている。こんなに行儀も態度も悪いというのに、誰一人彼を咎めないのが恐ろしい。
「で? 何故お前達がここにいる」
「キース様のお迎えに上がりました。何も言わず急に居なくなられては困ります」
「知らん。俺はここに住むことにした」
キースがそう言った瞬間、彼らの顔が真っ青になる。特にマードック様の動揺はひどいものだった。それほどにキースの存在は、ユシテア王国にとって大きいのだろう。
「どうか考え直して頂けませんか……!貴方が居なくなれば、また戦争が起きてしまいます!」
「それは人間共の都合だろう、俺には関係ない」
戦争、という言葉に心臓が大きく跳ねた。今わたしの隣にいる彼の行動一つで、国と国との争いが生まれてしまうなんて想像もつかない。けれどマードック様の必死な表情を見る限り、現実に起こりうる話なのだろう。
わたしはだんだんと、キースという人物がどれほどの影響力を持っているのか理解し始めていた。
「とにかく俺はステラと一緒にいるからな。一度助けてやったくらいで図に乗るなよ」
「キース様、どうか……!」
「いい加減煩いぞ。邪魔するならお前らから殺す」
ぞくりとするほど冷たいキースの瞳と声に、わたしまで一瞬、びくりとしてしまう。そしてわたし以上に、彼らは本気でキースに恐れを抱いていている様子だった。
まるで、本当に殺されると思っているかのように。
「ねえ、キース。すぐ殺すなんて物騒なこと言わないで」
「こいつらが俺とお前を引き離そうとするから悪い」
「人間にも色々あるのよ」
「俺には関係ない」
「確かに、そうかもしれないけど……」
キースの言う通りだ。彼にとっては人間同士の争いなど、心からどうでもいいことなのだろう。そして彼に人間の都合を押し付けるのは間違っているとも思う。
それでも、わたしだってこうして話を聞いてしまった以上、何も関係ないとはもう思えなかった。
「……つかぬことを伺いますが、ステラ様はキース様にとってどのような存在なのでしょうか」
「飼い主」
さらりとそう言ってのけたキースに、この場にいた人々は皆、信じられないといった表情を浮かべていた。当たり前の反応だろう。他の呼び方を早急に考えたい。
「では、ステラ様が一緒であれば、ユシテア王国へ戻って来てくださるのですか……!?」
「ああ、そうだな」
「えっ」
その途端、マードック様の眼鏡の奥に光が灯った。
「っステラ様、どんな物でも立場でもご用意致します。どうか、キース様と共に我が国へ来ては頂けませんか……!」
「ええっ」
心の底から、ちょっと待って欲しい。
何故だかわたしまで、この国際問題の重要人物になっていやしないだろうか。最早キースが戻る戻らないではなく、わたしが隣国に行くか行かないかになってしまっている。
自分の行動で戦争云々だなんて、責任重大にも程がある。夢なら覚めてほしいくらいだ。昨日までただの我儘お嬢様だったわたしには、あまりにも荷が重すぎる。
「……彼女は国王も認めた、王子である俺の婚約者です。あまり勝手なことは言わないで頂きたい」
そんなバーナード様の言葉に、マードック様はハッとしたように顔を上げ、慌てて謝罪した。かなり切羽詰まっている様子で、わたしと彼の関係にまで気が回っていなかったのだろう。今にも死にそうな顔をしている大使、心配すぎる。
「そこで、宜しければ明日にでも我が国の者も交え、改めて話をしませんか。今は大切な婚約者を祝いたいので」
「バーナード様……」
「分かりました。明日、改めて王城を伺います」
「俺は行かんぞ」
キースはそう言っていたけれど、とにかくバーナード様のお陰でこの場はお開きになり、明日王城に行くことで話はまとまったようだった。
そしてわたしは急いで会場に戻ることにした。お姉様方に任せてきたとは言え、主役がいないのは流石にまずい。
「お願いだから、キースは大人しく部屋で寝ていてね」
「わかった」
昼から眠いと言っていた彼は、思ったよりもすんなり言うことを聞いてくれて安心した。お父様が彼を客間に案内してくれるらしく、わたしは安心して立ち上がったけれど。
何故かキースによって、がっしりと手首を掴まれていた。
「何かあった?」
「まだおやすみのちゅー、していないぞ」
「…………え?」
「毎日してくれていただろう?」
首を傾げながらそんなことを言うキースに、一気に顔が熱くなるのを感じていた。ぱくぱくと金魚のように口だけが動き、声が出ない。一体何を言っているのだ、この竜は。
確かにドロシアだった頃は、毎日寝る前に「おやすみのちゅー」をしていた。していたけれども。
今のわたしが今のキースにするのはおかしいこと、そして今この場でそれを言うのもおかしいことを、何故彼はわかってくれないのだろうか。今日一日でわかったことは、彼がとんでもなく空気が読めないということだった。
お父様やバーナード様、そしてユシテアの皆様もひどく驚いた様子でわたしとキースを見比べている。
「……ス、ステラ、それはどういう」
「お、お父様! 早くキースを連れて行ってください! わたしは会場に戻りますので!」
「おい、ステラ! まだ行くな!」
背中越しに聞こえてくるそんなキースの声を無視し、わたしはバーナード様の腕を引いて部屋を出たのだった。