婚約者
「ステラ、誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
そう言って花束を渡して下さったバーナード様を前にしても、いつもとは違いわたしの心臓は驚くほど静かなままで。思わずじっと見つめれば、柔らかな銀髪と蜂蜜色の甘い瞳をした美しい王子様は、眩しいくらいの笑顔を返してくれた。
けれど色々と過去の自分を思い返してみると、わたしの我儘にもいつも笑顔で対応してくれていた彼のことを、今は違った意味で好きになり始めていた。冷静になるとバーナード様はとんでもなく優しい、天使のような人だった。
「君の欲しがっていたブレスレットも用意しました」
「うわあ……す、すみません本当に……」
王子に対して誕生日プレゼントの内容まで指定するなんて……。わたしはあまりの申し訳なさに頭を抱えた。
間違いなく高価な光り輝くブレスレットを、バーナード様は自らわたしの手首に着けてくださって。流石に少しだけ、ときめいてしまう。何度も謝りつつ丁寧にお礼を言えば、彼は不思議そうな顔をしてわたしを見つめていた。
そして彼に差し出された手をとると、わたしは会場内に足踏み入れたのだった。
◇◇◇
「ステラ様、おめでとうございます。今日も素敵ですわ」
「ありがとう、今日は楽しんでいってね」
次々と祝いの言葉を述べに来る人々に、わたしはバーナード様の隣で笑顔で対応していく。
こうして沢山の人に祝われるのは、 やはり嬉しい。過去を思い出した今、余計にそう思えたけれど。それと同時に、キースには今も誕生日がないのだと思うと胸が痛んだ。
「何だか雰囲気が変わりましたね。話し方まで違う」
「そ、そうでしょうか……」
パーティーの途中で、バーナード様にそんなことを言われたわたしは、たらたらと冷や汗をかいていた。ドロシアの頃の記憶も混ざったせいで、元の自分というのが少しわからなくなってしまっている。特にキースと話していると、話し方までドロシア側に引っ張られてしまうのだ。
「もう17になったのですから、少し心を入れ替えようと思いまして。過去にはバーナード様にも沢山ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「そうだったんですね。けれど俺は迷惑だと思ったことはありませんよ」
そう言って微笑むバーナード様の優しさと眩しさに、感動してしまう。彼は間違いなく、わたしには勿体なさすぎる相手だった。そうして二人で話をしているうちに、急に会場内が騒がしくなったことに気が付く。
何事かときょろきょろ見回していると、近くにいた令嬢達が興奮気味にわたしの元へとすっ飛んできた。
「ス、ステラ様……! あちらの美しい男性はどなたなんですか!? あんな素敵な方は初めて見ました!」
「えっ?」
「わたくしも知りたいです!」
そんな知り合いが居ただろうかと、首を傾げながら彼女達の視線の先を辿ったわたしは、思わずふらりと倒れかけた。
「ど、どうして……」
呆然と立ち尽くしているわたしの元へ、その人物は楽しげな笑みを浮かべて歩いてくる。
彼の行く先を皆がさっと避け、道が出来ていく。女性は皆蕩けるような顔で、その一挙一動を見つめていた。
「ステラ、ここにいたか。探したぞ」
そう言ってあっという間にわたしの目の前まで来た彼は、そのすらりとした身体でタキシードを着こなし、主役のわたしが霞んでしまうほどのオーラを放っていた。
つい見惚れてしまい、反応が少し遅れてしまうほどに。
「へ、部屋にいてって言ったじゃない」
「あんなところに一人でいるのは飽きた。少しくらい良いじゃないか、俺もこういう場に出たことはあるんだぞ」
「そういう問題じゃなくて……その服はどうしたの?」
「お前の父親に頼んだらすぐ買ってきてくれた」
「お、お父様……」
そうしてコソコソと二人で話していると、会場中の視線がわたし達に集まっていることに気が付いた。
「……ステラ、そちらの方は?」
そう言ったのはバーナード様だった。
「お前こそ誰なんだ?」
「ちょ、ちょっと! さっき言ったでしょう! 第三王子のバーナード様よ、失礼な口を聞かないの!」
けれどそんなキースに怒るどころか、バーナード様は丁寧に挨拶をしてくださった。本当に出来た方である。
「申し遅れました、キュリオス王国第三王子のバーナード・オルムステッドと申します」
「ほう。俺はキース・ブラッドフォードだ」
「……キース・ブラッドフォード?」
その瞬間、バーナード様の金色の瞳が驚いたように見開かれる。そしてわたしといえば、キースにブラッドフォードという姓があることに対して驚いていた。今の彼のことを何も知らないのだと、思い知らされる。
そして周りにいた人々もまた、ざわつき始めていた。どうやらキースの名を知っている人は少なくないらしい。こうして騒ぎになるのが嫌で部屋にいるよう頼んだのに、彼は空気を読んでくれそうになかった。
「なぜ隣国の竜王様がここに……?」
「お前、俺を知っているのか。俺はドロシ……じゃなかった、ステラの物だからな。これからはずっと一緒にいるぞ」
「それはどういう、」
「あらやだキース様ったら、ご冗談が過ぎますわよ」
もう余計なことを言わないでくれと、わたしはキースの口を両手で塞いだ。わたしの物、ずっと一緒にいるという言葉に、どよめきが走る。
しかも婚約者であるバーナード様の前でそんなことを言ってのける彼に、冷や汗が止まらない。
「すみませんバーナード様、お気になさらないでください。彼は変わった冗談が好きなんです」
「冗談……ですか?」
「おい、俺は冗談なんて「黙ってて!」むぐ」
苦しすぎるその言葉に、聡明なバーナード様が納得してくれるはずもなく。そしてキースという人物を前にして、彼は少し緊張している様子だった。
「ステラ、いつから竜王様と知り合いに?」
「お前こそステラのなんなんだ」
「俺は彼女の婚約者です」
「は?」
その瞬間、今度はわたしがキースに顔を掴まれていた。ぶに、と両頬を片手で包まれ、至近距離で覗き込まれる。
こんなに近くで見ても文句の一つも付けようのない、その綺麗な顔には、明らかに苛立ちが浮かんでいた。
「なんだその話は、聞いていないぞ」
「あ、あほへひほうはなほ(後で言おうかなと)」
「この男と結婚するのか」
「はふん(多分)」
「駄目だ、そんなこと許さないからな」
なぜこんな言葉が通じるんだ。キースはわたしから手を離すと、フン! と腕を組み怒ったような表情を浮かべて。わたしの父親かと突っ込みそうになっていると、再び会場内が騒がしくなっていることに気が付いた。
今度は何だと溜め息を吐きながら視線を向ければ、隣国の正装を着た人々がこちらへ向かってくるのが見えた。あんな人達を招待した覚えはなく、嫌な予感しかしない。
「お、お嬢様、彼らはユシテア王国の大使だそうです」
「は……?」
もう誕生日どころではない。心の底から泣きたくなった。