変わっていくもの
「今はこんなに家族がいるのか、良かったな」
「あ、ありがとう……」
広間のソファにどかりと座り、なんとも偉そうな態度で足を組んでいるキースは、その周りに座るわたしの兄と姉二人、そして両親を見て、嬉しそうに微笑んだ。
その一方でわたしの家族は皆、突然現れた隣国の黒竜王というとんでもない人物を前に動揺し、いつも口うるさいお姉様ですら顔を青くしてわたしとキースを見比べていた。
「あの、キース様とステラはどういう関係で……?」
「ステラ? ああ、ドロシアのことか。俺の飼い主だ」
「ぶっ」
そんな兄の質問に対してとんでもない回答が飛び出し、わたしは思わずお茶を吹き出してしまう。けれど間違ってはいないから余計に困る。皆、「新手の冗談なのか……?」と言いたげな、理解不能だという表情をしていた。
かと言って、昨夜前世の記憶を思い出しました! なんて言ったところで、信じてもらえるとはとても思えない。
「兎に角、我が家で良ければいくらでもゆっくりして行ってください。必要な物があれば何なりとお申し付けを」
「おお、助かる。もちろん金は払うからな」
お父様のその言葉に、キースは満足げに笑うと「これで一緒に居られるな」なんて言ってわたしに抱きついた。
一緒に暮らしていた小さな竜だったと分かっていても、この超絶美形な顔のせいで、ときめいてしまう自分が憎い。
「……ていうかキースってお金持ってるの?」
「腐る程あるぞ。城もある」
「し、城……?」
「ああ、そこで二人で暮らすのもいいな」
ちょうど近くにあった耳元でこっそりとそう尋ねれば、キースはそんなとんでもないことを言って笑った。
◇◇◇
「お嬢様、本日の髪型はどのようになさいますか」
「何でもいいわ」
「えっ? 急にどうされたのですか、もしや具合でも……」
「何だか、どうでも良くなってしまって」
昨日までのわたしは髪型や化粧には、人一倍口煩かった。けれど伸びっぱなしの髪や、化粧のけの字も知らなかった頃の記憶を思い出した今、こうして整えてもらうだけでも十分すぎる気持ちになっていた。
とにかく貴方に任せるわね、とメイドに言うとわたしは目の前の鏡へと視線を向けた。
輝くような金色の髪と、空色の瞳。それらが良く似合う、美しい顔立ちの少女がじっとこちらを見ている。何故だか自分が自分ではないような、不思議な感覚だった。
ドロシアの瞳は、何色だったのだろう。髪は長かったからこげ茶色だったのは見えていたけれど、鏡なんてもちろん無く、水面に映った顔をぼんやりと見たことがあるくらいで。自分の顔もわからなかったなんて、今思うと変な話だった。
少し離れた場所にあるソファに寝転がるキースは、そんなわたしを物珍しそうに眺めていた。時折テーブルの上にあるクッキーに手を伸ばし、自分の家のような寛ぎっぷりだ。
やがて支度を終えると、わたしはキースと二人きりにしてもらい、彼の向かいのソファにぽすりと腰かけた。
「随分派手だな、昔とは大違いだ」
「今日はわたしが主役だもの」
「そういや、今日が誕生日だと言っていたな」
「うん、17歳になったの。夜はパーティがあるのよ」
「昔は思いついた日に誕生日を祝ってたのにな」
「よくそんなことまで覚えてるわね」
当時はドロシアの誕生日なんてわからなかったし、かと言ってキースのようにいつ生まれたかわかっていても、10より先を数えられなかったドロシアが、きっかり一年後に祝うなんて到底無理な話で。
その結果、ふと思い立った日に、今日は誕生日のお祝いをしようなんて言って、ささやかなお祝いをした記憶がある。
「当たり前だろう。ドロシアのことは何一つ忘れていない」
そんなキースの言葉に、胸の中がじんわりと温かくなっていく。けれど同時に、わずかな痛みも感じていた。
「……ねえ、キース」
「なんだ?」
「わたしはもう、ドロシアじゃないの。ドロシアの記憶はあるけれど、ステラとして生きてきた記憶もある分、性格だってなんだって、あの頃とは全然違う」
ステラには、ドロシアのような無邪気さも純粋さもないのだ。今ここにいるのは我儘なお嬢様であって、キースが求めているドロシアではない。だからこそ、彼が今のわたしに幻滅してしまう前に、言っておきたかった。
「それがどうしたんだ?」
「えっ?」
それなのに、キースは不思議そうな顔でわたしを見た。
「俺だって、あの頃とは全然違うだろう。人間の姿になれるようになったし、言葉も覚えた」
「………………」
「お前がドロシアと同じ魂を持っていて、俺のことを思い出してくれて、今生きている。それだけで十分だ」
そう言って、キースは笑顔を浮かべたけれど。その表情はどこか悲しそうにも見えた。
「……あり、がとう」
「礼を言われるようなことはしていないが」
「言いたい気分なの」
何故だか彼の言葉に、ひどく安堵している自分がいた。過去の自分も、今の自分も認めて貰えたような気がして。
少しだけ、視界がぼやけた。
「ドロシアの瞳は、何色だった?」
そして先程気になったことを尋ねてみれば、キースは深い夜のような瞳でわたしをじっと見つめて、小さく笑った。
「今のお前と同じ、空のような美しい色をしていた」
「……そっか」
ずっと自分よりも深い青色をしたお姉様達の瞳の色を羨んでいたけれど、この瞳が好きになれるような気がした。
「ステラ様、バーナード様が到着したそうです」
不意にドア越しに聞こえてきたその声に、わたしは慌てて立ち上がる。思い出に浸っている場合ではなかった。
そして今の今まで彼の存在を忘れていたことに、わたしは驚きを隠せなかった。つい昨日までは夢に見るくらい、彼のことを想っていたというのに。
「バーナード? 誰だそれは」
「この国の第三王子よ」
「ほう、そんな人間もお前を祝いにくるのか」
キースは感心したようにそう言いながら、わたしのお気に入りのクマの人形をつついている。彼には食事などは用意するから、とりあえずこのままわたしの部屋の中で大人しくしているよう頼んだ。
とにかく今日のパーティは楽しんで、キースのことは明日また考えればいい。そう思っていたけれど。
……この後、自分の誕生日パーティで国際問題に巻き込まれ、楽しむどころではなくなることを、この時のわたしは知る由もなかった。