ドロシアという少女1
親の顔も、自分の年齢もわからない、気が付けば森の奥で老婆によって育てられていた子供。それがドロシアだった。
まるで自分の娘のように、孫のような年齢のドロシアを老婆は可愛がり、沢山のことを教えた。
やがてドロシアが老婆の背丈を追い抜いた頃、老婆は静かに息を引き取った。多分、老衰だった。涙が溢れそうになったけれど、死ぬことは悲しいことではないと教えられていたから、ドロシアは泣かなかった。いつかまた生まれ変わり、会えるのだという老婆の言葉を、まっすぐに信じていた。
老婆のお陰でドロシアは生きる術を身につけており、山菜や魚をとっては飢えを満たし、一人静かに暮らしていた。
そんな、ある日。
「これ、なんだろう?たまご?」
ドロシアは木の実を探す途中、山の奥で大きな卵を見つけた。以前見たことのあるものとは大分違ったけれど、もしかしたら食べられるかもしれない。そう思ったドロシアは、家と呼べるかも怪しい小屋へと、それを持ち帰ることにした。
そして小屋へと戻り、夕飯の支度を始めようと卵を手に取った時だった。突然、ぴしり、と殻に亀裂が入ったのだ。
「き、黄身、こぼれちゃう」
皿の上に慌てて置こうとしているうちに、勢いよく殻は割れていく。やがて中からひょっこりと顔を出したのは、黒い小さな生き物だった。真っ黒な大きな瞳と、目が合う。
「わあ、かわいい…!」
やがて生き物はふるふると身体を振った後、ゆっくりと小さな翼を伸ばした。その姿に、ドロシアは覚えがあった。
……こんな山奥に、貴重な本などあるはずもなく、もちろんあったところで、ドロシアが字を読めるはずもなかった。だからこそ、彼女が有する知識と言えば、老婆に教えてもらったことが全てだった。
そんなドロシアは以前、老婆に教えて貰ったことがある。背中に羽が生えている生き物は、鳥だということを。
「かわいい鳥のあかちゃん、よろしくね」
つい先ほどまで夕飯にしようとしていたことは忘れ、ドロシアはその小鳥を飼うことにした。
そしてその小鳥に、キースと名付けた。森、という意味があるのだと以前老婆に聞いたことがあったからだ。
森で拾った小鳥のキースは、彼女の新しい家族となった。
◇◇◇
それから、5年の月日が流れた。ドロシアは相変わらず自分が何歳なのかはわからなかったけれど、身長はもう伸びなくなり、骨張った身体にもほんの少しの凹凸ができていた。
「おはよう、キース。今日も自分でごはんをたべられる?」
ドロシアがそう尋ねれば、キースはこくり、と頷くような仕草をした。あっという間にドロシアの顔よりも大きくなったキースは、彼女の言葉を理解しているらしい。
鳥というのはこんなにも賢い生き物だったのだと、ドロシアは日々驚かされていた。
そしてキースは、ある程度大きくなった頃から、ドロシアが用意した木の実や魚ではなく、ふわふわと森の中へと飛んでいき、自分で餌をとって食べてくるようになった。
自分の食べる分を用意するので精一杯だったドロシアとしては、とてもありがたかった。時折、謎の血をべったりとつけて帰って来るのには驚いたけれど、キース自体にはいつも傷一つ無く、そのうち気にしないようになっていた。
「あはは!冷たい!」
昼間はよく、二人で近くの泉で水浴びをした。お互いに水をかけあって遊ぶのが、ドロシアは好きだった。キースは器用に手足や羽で水をかけてきて、いつもお腹が痛くなるほどドロシアは笑った。
キースを洗ってあげるのもドロシアの仕事だったけれど、キースの皮膚は自分やその辺にいる鳥と違い、硬い丸い物で覆われていて、なかなかに難しい。
時折それがぺり、と剥がれるとドロシアはドキドキしたけれど、痛みはないようで。綺麗な黒いそれをドロシアはとっておいて、首飾りをつくったりもした。
「キース、おいで。ねんねの時間よ」
空が暗くなり、ドロシアがベッドとは呼べないような草の上でそう声をかけると、キースはすぐに飛んできて膝の上に乗った。そんなキースの硬い頭を、ドロシアは「いいこ、いいこ」と優しく撫でる。
「おやすみのちゅー、しなくちゃね」
そう言ってドロシアはキースの頬に唇をふにと押しつけ、優しく抱きしめるようにして眠りにつく。それはいつも眠る前に、老婆がドロシアにしてくれていたことだった。
……キースが来てから、ドロシアは寂しくなくなった。老婆のことを思い出し、こっそりと涙することもなくなった。毎日が楽しくて、幸せだった。
けれどそんな幸せも長くは続かないことを、ドロシアもキースも、まだ知らなかった。