155話 『実験体』
呆気ない。本当に呆気ない終わりだった。
あんなにも大口叩いていたのに、今じゃ勇者は地に伏し、息絶えている。
戦いなんてほんの数分程度だったのに。
……でも、どうしてかやっぱり私の心のざわつきは収まりそうにない。
なにか嫌な事が起こりそうな気がしてならないのだ。
『おかしいと思えるくらい呆気なかったな』
「そうだね」
これだけしか言えなかった。まるで私の心を代弁したかのように、魔王も違和感を覚えているようだけど、私にしても、魔王にしてもその違和感の正体が分からないのだ。
けれど、そんな私達の前で勇者はピクリと体を痙攣させ、息を吹き返し始めた。
明らかに死んでいたはずだけど、こうして生き返る姿を目の当たりにしてしまえば、本当に死んでいたのかが疑わしく思えてしまう。
そして、私はこれこそがきっと違和感であり、不安の正体なのではないかと考えた。
「……はぁ、はぁ、言っただろう。俺に勝てるわけがないと」
『なっ、死んだんじゃないの!?』
「……やっぱりそういう事ね」
『どうして勇者が息を吹き返したのか分かるのか?』
「憶測だけならね」
驚愕している魔王へと、私は自分が考えていた事を話した。
最初に言った勇者な意味深な言葉こそが、今生き返ったことに対しての説明になると思って。
ただ、神妙な顔をして聞いてくれている魔王には悪いけれど、これはあくまでも憶測でしかない。
「こんな狂った世界じゃなく、母さんのいる世界に、俺は戻らなきゃいけないんだ……あいつらを殺してでも、例え何度死の淵を彷徨ったとしても……」
私と魔王が話している間にも、ぶつぶつと呟きながら聖剣を手に取り、立ち上がろうとしている。
『大体理解したよ。どっちにしてもまだ真相が分からないのなら、何度も殺せば自ずと分かるはずさ』
「そう……だよね……。っ、なにこの頭痛……」
まるで勇者の言葉が呪いだったかのように、微かに聞こえただけにも関わらず、激しい頭痛が私を襲った。
そして、それと同時に私の脳を潰すように、日本の事が次々と蘇り、遂には立つ事すらままならなくなっている。
それに加え、日本の事は思い出せるのに、どうして私自身、本来の私の事だけが何故か思い出せなかった。
記憶が消えているのか、それにしたって多少なりとも憶えている筈なのに、思い出そうとすればするほどに頭痛は増し、視界はグルグルと回っていく。
『君は……そうか、実験体だったんだね』
魔王の言葉が揺れて聞こえ、上手く聞き取る事が出来ない。
かろうじて聞き取れたのも、『実験』という言葉だけ。
どうして魔王が私に哀れみの視線を送っているのか、その言葉の意味がなんなのかすら私にはなにも分からなかった。
ーーいや、考えたくはなかった。
「な、なにか知ってるの……?」
考えたくはない。知りたくもない。知ったらきっと後悔する。
そう理解しているのに、私の口からは勝手に言葉が出てきた。
『残念ながら私も詳しくは知らないさ。ただ、魔王をしていると勇者がどう生まれてくるのかとか、知りたくない事まで知ってしまう。それだけの事さ』
「それは、一体……」
揺らぐ視界の中で、必死に言葉を紡ごうとするけれど、今度はどうにも喋る事が出来ず、私が言い切るより前に、魔王は聖剣を手に向かってきている勇者を迎え撃ち始めた。
残された私は激痛に苦しみ、脳内を永遠と回る魔王の言葉と日本の事で徐々に視界が暗くなっていく。
けれど、脳が膨大な量の情報を処理する為に休息しようとしていても、私が意識を落とす事はない。
無理をすればどんどん悪くなっていくのなんて分かっている。
だとしても、私一人だけがここで休む事は出来ない。
なにせ、万が一にも瞼を閉じてしまえば、いつ目覚めるのかすら分からないのだ。
もし起きたときに魔王が死んでいたら? 勇者が私の前に立っていたら?
そう考えるだけで胸が苦しくなる。
だからこそ、私はどんなに痛みが襲ってこようとも、屈したりはしない。