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覚え違い  作者: 砂たこ
4/4

ー4ー

 行方不明になって7年経つと、人間は法律上の死亡が認められる。


 カズの遺影の横には、古びたノートが置かれていた。葬儀後、荼毘に付す前に、カズのおじさんが俺達を呼んで見せてくれた。


「運動会の前日にね、これだけが見つかったんだよ」


 それは、夏休みの絵日記だった。変色し、ゴワゴワに膨れたノートは、1頁1頁丁寧に乾かされてから、大切に保管されてきたのだろう。


「知良のヤツ、遥斗君のを、写させてもらったんだってね……」


 おじさんは、赤い目で苦笑いした。

 促されるまま中を見て――手が止まる。日記は、カズの消えた日付で終わっている。


「この絵……ヒトデかなぁ? ハル、何描いたか、覚えてるか?」


 一緒に写したヒロが、首を捻っている。

 おかしい。俺は、皆が帰った後、あの日の出来事を描いた筈だ。


「ごめん、忘れた……」


 呟きながら、俺は思い出していた。ヒトデじゃない。これは――この無数の星形は。


「仕方ないさ。もう7年も経つんだ」


 おじさんは、固まる俺の肩に触れた。優しく大きな掌だった。


「もう少し、ゆっくりしていけばいいのに」


 久々に現れた俺を、村の人達は温かく迎えてくれた。開いた年月などなかったかのように、俺と朝陽村はまだ――また繋がったのだ。


「駅まで送ろうか?」


 15時過ぎ。帰りの列車まで、2時間くらいある。


「いや、ちょっとその辺を散歩するよ」


「そうか……また飲もうな」


 葬儀場の玄関で仲間達と別れた。

 思い出の場所をフラリと歩く。朝陽小は、隣町に統廃合され、地域の交流センターになっていた。あの頃駆け回ってた校区は、大人の足には余りに狭く、1時間も歩くと行き尽くしてしまった。


 ――後は、あそこだけだ。


 どうしようかと、迷った。もちろん恐ろしい思いをしたのは、間違いない。あの場所に居たのは多分あやかしで、俺は紙一重で助かったけれど、カズは――あの崖で足を滑らせたのだ。


 躊躇う間に、いつしか足は3線道路に向いていた。

 もう大人だ。当時とは違う。ちゃんと注意すれば、大丈夫だろう。


 それに……俺は、あの女が忘れられなかった。危険な化け物だと分かっていたけれど、強烈に焼き付いた美しい姿が消えなくて。それどころか、あれから何度も夢に出た。あの白くひんやりとした腕の中に絡め取られて、頭が空っぽになる。そんな夢と現をさ迷うような、甘い幻に囚われた。目覚めると何とも切なく、涙が流れていたことさえある。


 ――ザワ……ザワ……


 3線道路の御堂前に立つと、心が波立った。

 夏の終わりの陽は、まだ高い。下草が生い茂る小径は、ほとんど獣道になっていた。手入れする者もいないのだろう。


 転校後、図書館の植物図鑑で、あの白い花を探した。「定家葛」という名前を知ると、何故か鼓動が早鐘を打った。


 俺は、ゆっくりと小径に踏み出した。

 憧れ続けた想い人に逢いに行くような――渇望にも似た、恋い焦がれる想いが込み上げてくる。


 ――ザワザワ……ザワ……


 木立がざわめく。古びた建物の残骸が見えてくる。

 不意に、清楚で甘い香りが鼻孔を掠める。手足に、身体に、巻き付く香りが深くなる。頭の中からスウッと警戒心が消えていく。


「おいで……」


 両腕を広げて、呼んでいる――。

 俺は、夢中で駆け出した。


【了】


拙作をご高覧いただき、ありがとうございます。



さて。

思わせ振りな主人公の「忠告」から始まる、本作。


「逃げる」ことが正解、という独白でしたが、もちろんこれは「逃げられなかった」という結末の暗示です。


彼を捕らえたモノは、蔓植物の物の怪でした。

この植物は、定家葛(ていかかずら)という設定です。

ジャスミンに似た、ふくよかな甘い香りで、スクリュー状の5弁の白い花を付けます。


蔓植物というのは、以前も拙作『蔦庵の女』で取り上げましたが、巻き付く・絡まるという特徴が、気に入っています。


本作の定家葛の女は、甘い香りで惹き付け、いつの間にか心を絡め取りました。主人公自身が初恋と錯覚してしまうほど、深くしっかりと。


「3線道路」は、知良の自宅に近い通学路です。恐らく、彼は消えた台風の日より前に、定家葛を見たのでしょう。強風に花が散る前に、絵日記を描きに行ったのです。

それが、彼の「忘れ物」でした。


このことが分かるのは、7年経った葬儀後のことです。

いなくなった日の絵日記に描かれていた「ヒトデ」、これはもちろん定家葛の花達でした。子どもが見上げれば、満開の花は、あたかも満天の星空の如く壮麗に見えたことでしょう。



定家葛といえば、謡曲「定家」を思い出す方もいらっしゃるでしょうか。

ある僧侶が、雨宿りをしていたら、女が現れ「式子内親王を慕った藤原定家の執心が、蔦になって内親王の墓に絡んでいる。内親王が苦しんでいるので、読経して欲しい」と言われた。僧侶が読経すると、女自身が内親王の霊で、喜んで成仏することができた。絡んだ蔦は、後に「定家葛」と名付けられた――という内容です。

定家葛には、儚い恋慕の物語が似合う気がします。



いなくなった「あの子」とは、7年前の「知良」のことですが、過去から時を超えて、7年後の「遥斗」へと繋がっていくのです。



あとがきまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

また別のお話で、ご縁がありましたら、よろしくお願いします。



2019.9.4.

砂たこ 拝


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